report.12
物事には必ず始まりがあり、同時に終わりが必ず存在する。
これは誰にも避けられない運命であり、神と言う概念が生まれる前から決まっていることだ。
どんなに苦しい体験であっても、いつかに終わりがある。どんな楽しい時間にだって、必ず終わりはやってきてしまう。
こんなものは誰だって分かっていることだった。
そして、シルヴィアだって分かっていた事だった。
ダンテから読み聞かせられ、何度も反復してきた言葉だった。
今思えば、シルヴィアが周りから浮いているのは。それが根底にあったかもしれない。
シルヴィアに親しくしようと試みた人は何人もいた。だけど、シルヴィアは最後まで距離を詰めようとはしない。
なぜなら、どんな関係になろうと。終わりが来るからだ。
親しければ親しいほど、その終わりは辛くなるかもしれない。
今は平穏だけど、いつ戦争が過激化し、その親しくなった誰かが死ぬのかなんて分からない。
その時、シルヴィアはその死に耐えられるとは思えなかったのだ。
悲しみに暮れ、無力さを責め、責任に押しつぶされる。
平たく言えば、逃げていたのだろう。
苦しみから。辛さから。
だが、運命はそれを許さない。許すはずがない。
許されるわけがなかった。
そして、最後はあっけなくやってくる。
そのカウントダウンは、既に始まろうとしていたのを、シルヴィアは知る由もなかった。
「ほら。いい加減に出てきなさい。いつまで拗ねてるの? 突拍子のない噂に翻弄されてるんじゃないの?」
外からドアをノックする音と、ナルシアの諫めるような声が届く。
今、シルヴィアは王城に与えられた一室で、引きこもっていた。
それと言うのも、とある噂を聞いたからだ。
曰く、第143期は騎士始まって以来の変わり種だ。その中でも、筆頭なのが『英雄』の候補者であるシルヴィアであるらしい、という。
それを聞いたシルヴィアは、途方もない衝撃を受け──部屋に籠ってしまったのだ。
「ナルシアさん……私、暫くこのままでいようと思うんです……」
若干気落ちした声で、ナルシアへと返す。
「シルヴィア……残念ね。仕方ないけど、実力行使に映らせてもらうわ」
「えっ……ちょ、ちょっと、待って……何をするつもりで……」
「はい、魔法の行使」
「ちょ、何を──!?」
本来であれば王城で魔法を使用は禁止されている。
だが、魔法の行使はある条件下で行使を許されるのだ。
そう、例えばナルシアがそれを許した時──つまりはナルシアのさじ加減で決まるのだ。
ここまでの好待遇。正直疑問に思わなくはないが、王が決めたことだから文句はあるまい。
「それじゃあ、行きましょう。それと、ドアは私が治しておくから心配しないで」
「……ねえ、取りあえず、準備だけはしていいかな……?」
なんかもう、突っ込むのは止めた。
「それで、なんで私がこんなところに呼ばれてるの……?」
「いいじゃない。引きこもってた罰として、143期全員に奢るってことで。──あ、勿論私にも奢って……」
「ナルシアさんは自分で払ってください」
訓練後。部屋に戻る際になぜかナルシアに引き留められ、半ば強制的に東ブロックに連れてこられた。
勿論、監督役としてだ。
確かに、お金の面についてはあまり問題はない。
今まで稼いだお金も、使い道が特になかったので家に置きっぱなしなのだ。
今回の王都訪問でも、大したお金は持ってきていないが──彼らの監督役として働く間にもお金は貰っていたので、全員の注文ぐらいは払えるぐらいはあるはず。
「じゃあ、今日はシルヴィアの奢りだからどんどん注文してね!」
「ちょ、ナルシアさん!!」
もはや貸し切りに等しいここで、全員の鬨の声が上がる。こうなってしまえば、もう後戻りはできないだろう。
特に男連中は死ぬほど食べる──とは言っても、ほとんど男しかいないのだが。
女子と言えばシルヴィアと、ナルシアと、ユキ。他に143期の者で一人二人いるぐらいだ。
と言うのも、しょうがないことだ。女子で騎士になろうなどと思う人は少ないのだから。
「それでだけど……シルヴィア。少し真面目な話をしていい?」
全員──男連中が盛り上がり、騒音を奏でているのを、シルヴィアはジュースを飲んで離れたところに座って聞いている所に、こんなときでも怪しげな服を外さないナルシアがこちらにやってくる。
その手には大人専用のお酒も交えてだ。
「いいですけど……ラクロスさんとかから何かあったんですか?」
「ええ。──以前、出会った魔獣だけど……心当たりがある現役の騎士がいたようだから、聞いてみたんだけど……7年前ぐらい前に起こった事件、覚えてる?」
「えっと、確か、貴族の領地が一夜にして赤に染められたっていう……?」
「そう。その時の援軍として向かった騎士達──と言っても、五人将が向かうまでにその場に辿り着いた援軍は皆死んだのだけれど……いえ、そうじゃなくって。その生き残りにいたのよ」
「あれを見た事のある人が、ですか?」
「ええ。サソリの尾や、シルヴィアの証言から推測される化け物の全体図。全部が一致していると言っていた」
「名前、とかは……」
「ううん。分からないらしいわ。ただ他にもいるかもしれない、ってことで、今は警戒を続けてるわ」
ナルシアから伝えられた情報。シルヴィアが地下水路で激闘を繰り広げたあの化け物。
過去にも同じ魔獣が発見されていること。
だが、どうにも腑に落ちない。
目撃者が騎士の中にいたのならば、なぜダンテが調査に乗り出したのか。
確かに恐怖に押され、報告が遅れたのかもしれないし。その時を思い出したくないからかもしれない。
──ならば、今ダンテは何をしているのだろう。
ダンテはシルヴィアの父親だ。だが、シルヴィアですら彼の全ての行動を把握しているわけではない。
「──それより、シルヴィア。貴女……気になる人とか居ないの?」
「──いっ、いきなりなんですかっ。なんでそういう話を……今そういう雰囲気じゃ……」
「そういう細かいことはいいの。だって、心配じゃない? こんなに将来有望……まあ、一部分だけに関しては何も言えないけど、少なくとも将来は確約されているはずなのに、浮いた話の一つもないなんて」
「なっ……それを言うなら、ナルシアさんだって……」
「シルヴィア。世の中には、ね。触れていけないことがあるのよ」
どういうことだろうか。人の禁止領域に入ってきておきながら、その言い分は通じないだろう。
「別に……いいんですよ。私は、誰とも結婚するつもりはないです」
「そうなの? でも、ほら、少しぐらい付き合うなりなんなりしないと……遅れちゃうわよ?」
「──私は、別に……」
そう言って、シルヴィアは目を伏せる。
シルヴィアも、昔は憧れていたのかもしれない。
そういう、結婚とか、誰かと付き合って、平凡な暮らしを過ごすことを。
でも、それはシルヴィアには許されない。
戦場を駆け抜け、いつ死ぬのか。それはシルヴィアには分からないが、必ず死ぬときはやってくる。
もしも、親しくなった人がいたとして。付き合った人がいたとして。
シルヴィアの死を聞かされれば、どう思うか。
──終わることのない苦しみに、巻き込んでしまう。
昔の事はよく覚えていない。母親が亡くなったその日は、どう思っていたかなんて、もう思い出したくもない。
でも、きっと。泣いていた。
毎晩毎晩、ダンテを困らせていた。
自分でも驚いていたのかもしれない。枯れたと思っても、いくらでも湧いてくる涙に。
同じ目に遭わせてしまうのは、嫌なのだ。
「確かに、誰かが死ぬのは苦しい事よ。貴女が愛した誰かはあっけなく死んで、貴女を傷つけるかもしれないし、貴女を愛してくれた人は、貴女の死を知って、癒えることのない傷を負うかもしれない。──でも、忘れちゃだめ。それは、貴女が、その愛してくれた人が、本当の感情を持っていたからなのよ。嘘でも、欺瞞でもない、本当の愛情を」
「──」
こちらの考えを読んだかのように、告げてくるナルシア。
その言葉は、やけに実感がこもっていて──。
「その苦しみを乗り越えて、いつか人は成長する。それが、人と言う生き物よ」
「──そういう、ものですかね」
「そういうものよ。人は儚い。一生は瞬きするぐらいに短い。その間に、人間は誰もが想定できないような物語を紡ぐ。その過程には、愛情が不可欠で。私が視てきた物語は、そんなものばっかり」」
「──私は、やっぱり……」
「いずれ、貴女にも分かる日が来るわ。貴女だけの『英雄』が。いずれ、必ず来るわ。貴女を『英雄』として見るのでなく、ひとりの女の子として見てくれる人が。その時を、逃しちゃだめよ」
「──難しい、話ですね」
「ま、今はそんなんでいいわよ。どうせ、今の貴女には分からないだろうしね」
「むう。なんですか、それ」
そんなシルヴィアの声と共に、夜は更けていくのだった。