09.猫と言葉
「単語……十個くらいは、わかってたみたいですね」
和坂さんは、思い出しながら、指折り数えて答えた。
俺も言いながら数える。
「うちのも、そのくらいですね。自分の名前、おいで、だっこ、ブラシ、ごはん、カリカリ、缶詰、獣医、病院、注射、コラッ!」
黒江さんは、最後の一言でビクリと身を竦ませた。
「あ、あの、黒江さん、俺、怒ってませんから」
「そうですか。『コラッ!』はいつも、双羽さんに言われておりますので、つい」
この使い魔は人語を理解できる癖に、いつも、近衛騎士に叱られるようなことをしているのか。
何やらかしたのか気にはなるが、聞いてはいけないような気がしたので、質問を変えてみた。
「黒江さんって、人間の言葉、ちゃんとわかってますよね?」
「はい。日之本語、湖北語、湖南語、湖東語、共通語、東方語、ディアファナンテ語の七カ国語がわかります。」
俺より語学力が高い。
でも、ちゃんとわかってるかと言うと、微妙に違う気がする。さっきも、「電話番」を命じられて、電話機を監視していた。
七カ国語を解する魔法生物が、猫飼いに質問した。
「お二人は何故、猫が人語を理解していると思われたのですか?」
「単語を聞いた時の反応が全然違うんです」
和坂さんの答えを、俺が補足する。
「猫の好きな言葉が聞こえたら、超笑顔で尻尾をピンと立てて、こっちに駆け寄って来るけど、不吉な単語が聞こえたら、全力で逃げます」
「さっきも言いましたけど、うちのコは『お風呂』って聞いたら、逃げ回ってました」
「俺がさっき挙げた単語、前半は好きな言葉、『獣医』以降は不吉な単語です」
「うちの犬も大体、そんな感じですよ」
「名を呼ばれると嬉しいものなのですか?」
魔法使いの使い魔は、首を傾げた。
「名前は中立ワードですね」
「眠い時や、気分が乗らない時は、寝転がったまま、耳をこっち向けて、尻尾の先だけパタパタさせて返事します」
「『あー、はいはい、聞いてますよー』みたいな感じで」
簡潔な答えを俺が補足すると、和坂さんは、手を猫の尻尾のように動かして、追加した。
犬飼いの国包も話に加わる。
「犬の反応は、名前を呼んだ人によりますね」
「犬は、誰が呼んだかを重視するのですか?」
「そんな感じです。俺より母さんに呼ばれた時の方が、尻尾の振り方が激しいし、顔も嬉しそうだし……」
黒江さんは、本当の姿にかなり猫要素が入っているので、犬の気持ちはわからないのだろう。
この執事形態の「黒江」さんと、猫形態の「クロ」は、いずれも本当の姿ではない。
俺は、黒江さんの本当の姿を、魔術概論の教科書に載っていた写真でしか知らない。生で見たいような、怖いから止めておきたいような、微妙な気持ちになる写真だった。
大分慣れてきたのか、国包が言う。
「黒江さんは、巴先生に呼ばれたら、いつも超嬉しそうですよね」
「はい。ご主人様に名を呼ばれ、ご命令を承るのが、待ち遠しゅうございますので」
黒江さんはイイ笑顔で答えた。
使い魔である黒江さんの真名は、主である巴准教授だけが知っている。
巴准教授は普段、「黒江」や「クロ」などの呼称で読んでいる。真名でなくとも、命令するのに支障はないらしい。