07.猫とお風呂
俺は、ちょっとしんみりした空気を変えたくて、発言した。
「うちのも全然懲りなくて、猫ってみんなそうなのかな?」
「三田さんも、猫の尻尾をトイレのドアで挟んだのですか?」
黒江さんが俺に琥珀色の目を向ける。人の姿に化けていても、目だけは猫っぽいままだ。
俺は首を横に振った。
「いえ、うちのはお風呂です」
「お風呂のドアで尻尾を挟んだのですか?」
いや、それじゃ、やってること変わんねーだろ。
「俺が風呂に入ってると、風呂のドアの前で鳴くんですよ。『開けろ~』みたいな感じで『ねうあ~ッ! まうあ~ッ!』って」
「ひょっとして、開けた?」
期待に満ちた目で和坂さんが聞く。
その通りだ。流石、よくわかってる。
松太郎がドアに張り付き、二本足で立って背伸びしているのが、すりガラス越しに見えた。
密着した肉球が可愛いかったりする。
「うるさいから一回開けたら、後ろ足で立ち上がって、浴槽のフチに手を掛けて、湯船を覗き込んで、一回床に座って……」
使い魔の黒江さんと犬飼いの国包が、頷きながら聞き入る。
元猫飼いの和坂さんは、その先が予想できたのか、肩を震わせて笑いを堪えている。
「体勢を整えてジャンプして、多分、風呂のフチに着地したかったんだろうけど、勢い余ってドボーン」
「溺れたのかッ?」
「まだ生きてるよ……急いで引き上げて、バスタオルで拭いて、ドライヤーで乾かそうとしたら逃げて、しばらく物陰から出て来なくなった」
「それは、恐ろしい目に遭われましたね」
黒江さんが猫サイドの感想を漏らす。
わざわざ、浴槽の高さを確認してまで浴槽にダイブした件は、スルーらしい。
猫仲間として、聞かなかったことにするつもりなのか。
「そうなんですよね。それだけ怖い目に遭ったら、普通、懲りると思いますよね?」
俺は猫の気持ちを知りたくて、黒江さんに質問した。
黒江さんは本物の猫ではないが、少なくとも俺よりは、猫の気持ちに近いんじゃないかと期待の眼差しを向ける。
「俺の方は懲りたから、開けたくないんですけど、俺が風呂に入ってると、ドアの前でしつこく鳴くんですよ」
「で、根負けして開けちゃうんですよね~」
元猫飼いの和坂さんが、頷きながら先回りした。
黒江さんは、うちの松太郎に猫目線の賞賛を贈る。
「三田さんの猫は、大変、粘り強いお方なのですね」
「えぇ、まぁ……中途半端に懲りたみたいで、浴槽のフチじゃなくて、風呂の蓋の上に飛び乗るようになりました」
ここでも、松太郎の「同じ罠には二度と掛からない」能力が発動しているように思う。
だが、一回目があまりに致命的だ。
俺が、素肌にしがみつかれて血塗れになりながらも、手を離さずに引き上げなければ、溺死していた。
あの一件以来、俺の家では残り湯を洗濯に使わず、すぐに浴槽を空にするようになった。
「単に、あったかいから乗ってるんじゃないのか?」
犬飼いの国包が、一般論を述べる。
「真夏でも乗るんだ。俺が入ってる時、限定で」
「うちのはお風呂場には入らなくて、お風呂上りに『足すりすり』で、毛だらけにされてましたけどね」
俺の説明に、和坂さんが懐かしげに語った。
それを聞いた国包が、使い魔の黒江さんに質問する。
「そこまでして、一緒に居たいものなんですか?」
「私は待機を命じられましたら、このように、ご主人様と離れ離れになろうとも、断腸の思いで我慢致します」
黒江さんは、静かに言った。
表面上は落ち着いているが、風呂場の前で鳴く松太郎と同じ気持ちなんだろうか。
「えっ? じゃあ、巴先生のお風呂、どうしてるんですか?」
国包が聞く。
トイレに介助が必要なら、風呂も当然そうだろう。
「私は『クロはここで待っててね』と脱衣所での待機を命じられ、ご主人様は、双羽さんと一緒に浴室へ入られます」
「えぇッ?」
ゼミ生三人は別な意味で驚き、同時に声が裏返った。