31.猫がイタ電
そこへまた、電話が掛かって来た。
黒江さんが、素早く受話器を上げる。
「巴准教授は、ただいま席を外しております。一時間程度で戻る予定です」
「あ……黒江さんしか居ないんですか? じゃあ、結構です。後程、こちらから掛け直します」
「私の他に学生さんもいらっしゃいます。所属とお名前、ご連絡先のお電話番号と、ご用件をお願いします」
黒江さんは、お兄さんを怒らせたばかりなのに、さっきと全く同じ対応を繰り返した。
普通の人間なら、「そうですか。それでは、お電話ありましたことだけ、お伝え致します」で済む。
使い魔だから、主である巴准教授が命令した通りにしか、行動できないのだ。
便利なようでいて、不便だ。
「ん? そう言うように、命令されたんですか? しょうがないなぁ……」
相手は、何度か研究室に来たことがある出版社の人だった。
「株式会社蒼い薔薇出版、『月刊魔術』編集部の志染です。電話番号は、ナンバーディスプレイに出てるのが、そうです」
編集者はそう言ってから、一応、市外局番から電話番号を告げた。
「用件は、今月分の原稿の進捗状況を教えて下さい、です。じゃ、もう電話切ってもいいですね?」
「結構でございます。それでは、ご主人様にお伝え致します」
黒江さんは、編集者が電話を切ってから、丁寧な所作で受話機を置いた。
電話の相手が二人とも、よくわかってる人でよかったが、黒江さんの正体を知らない人だったら、どうなっていたかと思うと、ちょっと心配になった。
「猫も、電話掛けるんですよね」
俺は、思い出したことがポロリと口を吐いて出た。国包が驚いた顔で俺を見る。
黒江さんは、うきうきと弾んだ声で言った。
「三田さんの家の猫は、やはり、人間語が……」
「わかりません。でも、電話の掛け方は……よく見て、覚えて、実行していました」
「ホントに掛けたんだ……?」
国包が、疑わしげな目で俺を見た。
俺はそんな犬派の目を見ながら、身振りを交えて説明する。
「猫は、三次元で移動できるからな。廊下の電話台に飛び乗って、猫パンチで受話機外して、肉球でダイヤルをプッシュしてた」
「でも、番号は……流石に……」
「短縮ボタンを押したのか、デタラメが偶然、どっかの番号だったのかわかんないけど、ホントに呼び出し音、鳴ってたことがあったんだ。先方さんが出る前にガチャ切りして、叱ったら二度としなくなったけど。あれはヤバかった」
俺が言うと、国包は信じられないと言いたげに固まり、和坂さんは、聞きながら何度も頷いてくれた。
うちの松太郎は、本当に人間のすることをよく見て真似する。
本当に、何でも真似する。
念の為、実家の固定電話からは、短縮ダイヤルの設定を全部消した。
ケータイも触りたがるから、電話が掛かって来た時以外は基本、鞄やコートのポケットから出さない。
SNSとかでよく、猫の自撮り写真がアップされているが、あれは本当に、猫がやっている。
飼い主が楽しそうにケータイ触ってるから、猫も触りたがるのだ。
「黒江さんは、イタ電したこと……ありますか?」
うちの松太郎がやらかしたのは、イタ電と言うか、電話にイタズラしてた訳だが。
「いいえ。猫の形の時にも、いつも通りに電話応対をしようとして、政治さんと経済さんと、月見山さんと双羽さんに、叱られたことでしたら、ございます」
俺たちは、だんだんわかって来た。
和坂さんが、念の為に確認する。
「それ、全部、別の時ですよね?」
「よくご存じですね」
黒江さんは、本気で驚いて女子大生の顔を見た。
四人に叱られてって言うか、基本的に電話を使わない魔女の双羽さんにまで叱られるとか、懲りろよ。この人は。
俺も、自分の予想を口に出して、確認してみた。
「で、最終的に、巴先生に『猫形態の時は、電話に触るの禁止』って命令されたんですよね?」
「はい。三田さんは、あの時、ご主人様のお住まいにいらっしゃいましたか?」
「行ってませんし、見てません」
「何故、ご存知なのですか?」
「これまでの会話から、結果を予測しただけです」
黒江さんは、目を見開き、琥珀色の瞳を猫のように細くした。
本物の猫も、驚くとこんな顔になる。
人間形態の時に猫の表情。この使い魔は、もうちょっと、人間のことも勉強した方がよさそうだ。




