30.猫と電話
「はい。帝国大学魔道学部、巴研究室でございます」
黒江さんが受話器を取り、いつも通りの決まり文句を言う。
巴先生は、受話設定をスピーカーにしてから行ったらしい。
先方の声が聞こえて来た。
「ん? なんだ、黒江か。宗教は?」
巴先生とは対称的な、腹に響くバリトン声。巴先生のお兄さんの声だ。
俺も何度か会ったことがある。
顔立ちは巴先生にそっくり。身長もほぼ同じだが、健康的で、一目見て別人とわかる。
残念ながら、魔力がないので、ムルティフローラの王位継承権は、持っていないそうだ。
黒江さんが、巴先生の命令通りの応対をする。
「巴准教授は、ただいま席を外しております。一時間程度で戻る予定です」
「あっそ。今日、迎えに行くの、いつもの時間でいい?」
「所属とお名前、ご連絡先のお電話番号と、ご用件をお願いします」
「何言ってんだ、お前……」
呆れて絶句するお兄さん。
お兄さんは、巴宗教准教授と同居していて、毎日、車で弟を送り迎えしている。
使い魔の黒江さんも当然、同居していて、猫形態で巴先生の膝に乗り、車にも同乗していた。
俺たちは、固唾を飲んで成り行きを見守るしかない。
「所属とお名前、ご連絡先のお電話番号と、ご用件をお願いします」
「俺だよ、俺、俺! 知ってんだろ」
お兄さんの声が、詐欺っぽい発言をする。
だが、黒江さんは動じなかった。
「所属とお名前、ご連絡先のお電話番号と、ご用件をお願いします」
「……そう言えって、命令されたのか? あいつ! 身内は除外とか、条件付けとけよ! もうッ!」
お兄さんのお怒り御尤もだ。
ゼミ生三人は無言で頷いた。
お兄さんは渋々、形式通りに答えてくれた。
「株式会社巴、代表取締役社長、巴政治、お前のご主人様の兄だ」
お兄さんの声音は刺々しかったが、黒江さんは全く動じていない。
「ご連絡先のお電話番号と、ご用件をお願いします」
お兄さんはキレ気味に電話番号を告げた。
黒江さんの手が、聞いたことをすごい速さでメモ用紙に記録している。
巴先生は、使い魔にどんな訓練を施したのか、走り書きなのに達筆だ。
「その電話、ナンバーディスプレイ付いてないのか? 宗教は俺の番号覚えてるし、あいつのケータイにも登録してあるだろう。お前は臨機応変な対応とか、できないのか?」
「ご用件をお願いします」
質問を無視して、淡々と必要事項を要求する黒江さんに、お兄さんは溜め息混じりに答えた。
「それはさっき言っただろうが。……今日、健康診断があるって言ってたから、帰りにお前たちを迎えに行く時間、ずらした方がいいのか、いつもの時間でいいのか、教えて欲しいんだ。宗教のケータイに掛けても出ないから、こっちに掛けたんだけど……」
お兄さんの声に後悔が滲む。
俺たちはお兄さんに同情した。
「それでは、ご主人様にお伝え致します」
お兄さんは何も言わずに電話を切った。
黒江さんがメモを巴先生の机に置くのを待って、和坂さんが話し始めた。
「猫って、電話に出たがるコ居ますよね~。うちのコは電話が掛かって来たら、電話台に飛び乗って、人間が『もしもし』って言う前にニャーって言って、先方さんを驚かせたりしてましたよ」
「ふむ。それは、姿が見えないのに、声だけ聞こえるのが、不思議だからですよ」
「まあ、その辺の仕組みは、説明が難しいですからね。言われてみれば、確かに不思議です」
黒江さんの率直な意見に、国包が同意する。
「単純に、会話に加わりたいんじゃないのか?」
「猫って割と話し掛けてきますからね。猫語で」
猫派の俺たちが言うと、黒江さんはそれに同意したのか、力強く頷いた。




