19.猫がつまみ食い
俺は、黒江さんに頷いてみせて、話を続ける。
「台所に入ったら、うちの猫が、ガスコンロの上に乗って、鍋に手を突っ込んでました」
「三田のお母さんって、鍋の蓋開けっぱで買物に行ったのか?」
「鍋の蓋は、床に転がってた。奴が猫パンチで叩き落としたんだと思う」
「猫……えッ?」
驚く国包を置いてけぼりにして、俺はなるべく冷静に語った。
「猫は、俺に見つかってヤベって顔して固まってました。俺は頭の中で、『シチュー……タマネギ……猫……中毒……死』ってのが、コンマ二秒くらいで駆け巡って、『タマネギうあぁああぁあぁあぁッ!』って意味不明なこと叫んじゃってですね……」
「そう! 私もそれが心配!」
状況を想像しているのか、黒江さんは口を挟まず、俺の目をじっと見ている。
「猫は俺の絶叫に驚いて、シチューまみれのまま、奥の部屋まで逃げました。勿論、廊下も部屋もシチューの足跡だらけですよ」
「うわぁ……」
国包が、あちゃーと言う顔で先を促す。
「猫をコーナーに追い詰めて、とっ捕まえて、喉の奥に指突っ込んで、もう一方の手でおなか押さえながら逆さにして振って、無理矢理吐き出させました」
「何と酷いことを!」
黒江さんの抗議を俺は片手を挙げて制した。
「いえ、放置できません。普通の猫は、タマネギを食べると中毒を起こして、最悪、死にます」
「なんと……! ご無事なのですか?」
「吐かせましたけど、どう見ても鍋の中身の減り具合に対して、吐いた量が少な過ぎるんで、動物病院に電話しました」
三人は固唾を飲んで俺の話に聞き入る。
無事だとわかっていても、経過は気になるらしい。
「獣医さんの話だと、タマネギ中毒は個体差が大きいから、明日の朝まで様子見て、血尿とか出なかったら、取敢えずは大丈夫なんだそうです。その後も数日は様子を見て、具合悪そうなら、夜中でも電話して来てって言ってくれたんで、様子見ました。大丈夫でした」
三人は同時に、ほぅっと息を吐いて脱力し、椅子に座り直した。
獣医さんに電話してる横で、松太郎が自分のゲロを食べようとするのをアイアンクローで阻止して、手を血まみれにされたことは、黙っておくことにした。
松太郎は、こっそり食べてるところを俺に見つかった上、意味不明なことを怒鳴られ、鬼の形相で部屋の隅に追い詰められ、とっ捕まえられて、力づくで吐かされた。
それだけ酷い目に遭わされて懲りたのか、松太郎は二度とガスコンロに近付かなくなった。
不思議なことに、酷いことをした俺の膝には、ケロッとした顔で乗ってくる。
それ以前に、人間の食べ物……況してや、タマネギたっぷりのシチューなんて与えたことは、一度もない。
何故、食べようと思ったのか謎だ。
そんなに旨そうな匂いだったのか。
因みに、味のしみた二日目のシチューは全量廃棄になった。
「よかったぁ……ダメなコは、ちょっと舐めただけでもダメらしいから……」
「タマネギとは恐ろしい物なのですね……ところで、名称の似ている葱は宜しいのでしょうか?」
黒江さんが、元猫飼いの和坂さんに聞く。
「えっ? 葱も勿論、ダメですよ。同じ成分が入ってますし」
「……ッ!」
黒江さんが青くなって震えだした。
なんとなく予想はつくが、一応、聞いてみる。
「ひょっとして、葱入りのちくわ、食べましたか?」
「つい先日……いただいたばかりです」
「黒江さんは、普通の猫じゃないから、たぶん、大丈夫なんじゃありませんか?」
タマネギ中毒に特効薬はない。中毒症状が出れば、輸血や点滴で対症療法するしかない。
黒江さんには注射針とか刺さらないのに、中毒を起こしたら、どうやって治すんだろう。
「タマネギ、犬もダメなんで、俺も知ってますけど、何日も経ってて、こんだけ元気なら、もう大丈夫ですよ」
犬飼いの国包が言うと、黒江さんはちょっと安心した顔で、乱れたネクタイを締め直した。
「ちょっと話、変わるけど、猫の『つまみ食い』ってホントにつまんで食べるんだ」
「えっ?」
「人間がそうするから、真似してるのかなぁ……? たまに、こう……カリカリを手掴みで食べたりすんの」
俺の言葉を受け、和坂さんが猫っぽい動作で、カリカリを口に運ぶ真似をした。
「最後の一粒とか、猫が食べようとしたら皿の中で転がって口に入らないから、手で捕まえて、つまんで食べるんだよな」
「犬はそれ、しないなぁ」
「猫と犬じゃ、手首の可動域とか、違うからじゃね?」
「あぁ、そっか」
国包は納得したようだが、黒江さんは解せぬと言いたげな顔で、自分の手をじっと見ている。
現在の黒江さんは人間形態だから、手も人間と同じ形だ。
気になるが、なんとなく面倒臭そうな気がしたので、スルーすることにした。




