15.猫を騙す
「何も言ってません。猫をだっこしてる時に、口をもぐもぐしただけですよ」
「ほほう……それで、どう騙されるのですか?」
「猫は、俺が何か食べてると思ったみたいで、『何? 何食べてるの? ねぇ!』みたいな感じで、俺の口の匂いをすごい勢いで嗅いで、『ちょっと、口、開けて見せて!』って感じで、口の横を肉球で叩かれました」
「成程……そう言われれば、気になりますね」
「えっ? 気になりますか?」
和坂さんと国包が、同時に聞く。
黒江さんは、当然だと言いたげに、大きく頷いた。
「食べ物を口に入れた様子がないのに、突然、何かを食べ始めたら、気になりますよ」
「あぁ、そういう……」
「俺、人間の食べ物をあげたことも、口移しで食べさせたこともないのになぁ」
松太郎は、俺が口を開けてみせると、口の中に頭を突っ込みそうな勢いで、顔を近付けて匂いを嗅いだ。ひとしきり嗅ぐと、首を傾げて俺を見上げた。
俺が「別になんも食ってねーよ」と言ったら、その吐息の匂いまで嗅いでいた。
あの時の「解せぬ」って顔は、つまり、そう言うことだったのだ。
松太郎は、俺が自分を騙すなんて思ってないから、食べ物がないのにもぐもぐしているのが、不思議だったんだ。
「言われてみれば、猫って割と、物事の因果関係をちゃんと把握してますよね」
「当然のことでございます」
俺が納得を口にすると、黒江さんは力強く頷いた。
何で黒江さんが、猫の代表者面なのかはさて置き、話を続ける。
「そう言えば黒江さんって、クロの時でも冷蔵庫くらい、開けられるんですよね」
「はい。可能です」
「ちくわ……は、先生に禁止されてるから、勝手に食べたりしませんよね?」
「はい。以前、個人的にちくわを賞味してみたくなり、冷蔵庫を開けて取り出しましたところ、双羽さんと月見山さんに見つかって、叱られました。それ以来、ご主人様の許可なく食物を口にすることは、禁じられております」
やってんじゃねーか! しかも、禁止の理由がまんま、それじゃねーか!
この瞬間、ゼミ生三人の心がひとつになった。
「うちのは、冷蔵庫の前に重しを置いて開けられなくしたら、冷蔵庫の前で『ちょうだい、ちょうだい』って、感じで鳴くようになったんですけど……黒江さんも、ひょっとして……」
「よくご存知ですね。三田さんは、ご主人様のお住まいにいらっしゃったことが、おありですか?」
「いえ、ありません。黒江さんも、猫形態の時に『ちくわちょうだい』って、鳴くんですか……」
この魔法生物は、どこまでが素の猫で、どこからが猫のフリなのか。
人間形態の時は、こんなに礼儀正しくて、渋い執事さんなのに。
「いえ、猫の形の時に人間の言葉で話すことは、禁じられております」
「あ、『ちくわちょうだい』ってのを、猫語でって意味です」
「左様でございますか。確かに、猫の声でそう申しております」
本来、食物を摂取する必要がない筈なのに、そんなにちくわが食べたいのか。
なんで欲しくなるのか。
どう言う仕組みなのか。
解剖以外の手段で、どこまでアプローチできるのか、ちょっと興味が湧いた。
これは今後の課題にしよう。