11.猫の味覚
改めて言われて、俺は事の重大性に気付いた。
……ちくわが、おいしい?
「あの……黒江さん、食べ物の味、わかるんですか?」
「わかりますよ。ちくわは大変おいしゅうございます」
「それは……その……巴先生に『ちくわはおいしいものだよ』って教えられたから、そう言ってるんですか?」
「教えられましたし、味も自分で感じておりますよ」
俺が連発する普通の人間相手なら失礼極まりない質問に、黒江さんは気分を害することなく淡々と答えた。
黒江さんは、ずっと昔に作られた魔法生物だ。
主の魔力を糧として活動する。
本来なら、食物は必要ない筈だ。本人も排泄しないと言っていた。
食べる必要がないのに、味覚は備わっている。
……何の為に? その機能、必要?
和坂さんと国包も、同じことに気付いたのか、真剣な目で黒江さんを見ている。
「三田さんの家の猫は、食べ物の味が、お分かりにならないのですか?」
「えっ? わかるよ。食べ物の好き嫌い激しいし」
逆に質問され、俺は反射的に答えた。
松太郎は缶詰が好きだが、高いからあんまり買ってやれない。他に、焼き芋とカボチャも好きだが、猫は肉食動物だ。むやみに与えるのはどうかと思う。
初めてのフードは、松太郎に与える前に一度、味見するが、どれも人間にとっては、あまりおいしい味ではなかった。
「ほほう……普通の猫も、味がわかるのですか。三田さんの家の猫は、ちくわはお好きですか?」
「いえ、ちくわは食べさせたことがありませんから……」
「何故ですか? あれ程まで、美味なものでございますのに」
黒江さんは椅子から身を乗り出し、俺を問い詰めた。
「な……なんでって、ちくわは塩分が多くて、猫が食べると病気になっちゃうからですよ。元気で長生きして欲しいからです」
「……ッ! では、私も病に罹らねばならぬのですか?」
「ならぬのですかって、黒江さん、自分の意思で病気になれるんですか? 仮病じゃなくて」
驚愕の表情を浮かべる使い魔に、元猫飼いの和坂さんが容赦なくつっこんだ。
「……それは……わかりません。今まで病気とやらになったことがございませんので……どうすればよろしいのか……」
黒江さんは深刻な顔で首を横に振った。
この魔法生物が、どんなスペックなのか、はっきりしたことはわかっていない。
わかっているのは、五百年くらい前にラキュス湖の南岸地方で製造されて、休眠状態のまま、流れ流れてこの日之本帝国に辿り着いたことだ。
その間に【深淵の雲雀】学派の伝承者が絶え、魔法生物の製法は、ロストテクノロジーになった。
時々、遺跡から休眠状態の魔法生物が発掘されることがあるが、大抵は魔力不足で目覚めさせられないので、封印が解かれることはない。
こう見えて、黒江さんは「現存する活動中の魔法生物」で、とても貴重な存在だ。
簡単に解剖とかはできない。って言うか、物理的に無理。
取り敢えずわかっているスペックに「物理ダメージ無効」がある。
黒江さんは、一応、痛みは感じるらしいが、通常兵器による攻撃は通用しない。だから、予防注射はできないし、手術も無理だ。
……病気になったらどうしよう? 魔法薬なら効くのか?
「あ、いや、さっきも言いましたけど、猫が病気になったら病院に連れて行くの大変だし、猫にとっても苦痛だし、元気が一番ですよ!」
「そうそう! 猫が元気に長生きしてくれるのが、飼い主にとっての幸せですから!」
俺のフォローに続いて、元猫飼いの和坂さんも力説した。
「犬だってそうですよ!」
犬飼いの国包も会話に加わる。
ゼミ生三人の声がひとつになった。
「黒江さん! 病気になっちゃダメです!」
「そ……そうですか。病に罹らねばならぬなら、どうしようかと思いましたよ」
黒江さんは、スーツの胸ポケットからハンカチを出し、お行儀よく額を拭った。