桜色の。
初投稿です。
文章が痛いです。語彙力がなくへたくそです。話が分かりづらいでetc.
……習作のつもりです。でもよんでくれたらうれしいです。
それは四月半ばのことだった。
進路相談室とプレートに書かれた教室の前にポツンと置かれた椅子。そこに腰かけ僕はぼんやりと窓の外に目をやってキーパッドを入力している。
ここは爛々と咲き誇る桜の花弁が最も美しく見ることができる場所だと、僕はひそかに思っている。校内に映えている桜の木の中で最も立派なものだというだけでなく、廊下の窓枠がまるで絵画のフレームのように実にいい塩梅で空間を切り取ってくれるのだ。
僕は休み時間によくここから外を眺めていた。
これもきっと最後になるのだろう。
窓枠から切り抜かれた春の日差しが僕の学生服を照らしている。陽だまりの温かさを、彼らが言うところの『無駄』な、リソースをもって再現している。
同級生たちはよく、くだらない機能だといっている。はたして、意味があるかどうかは別にして、僕自身は割と気に入っていた。
うん、やっぱり悪くない。
今日、僕がここに来たのは母親を交えたいわゆる三者面談だ。
母はまだ来ていない。接続残滓を残して、メッセージを送るように言われている。きっと直前まで仕事をしていたいのだろう。かつてワーカーホリックと呼ばれていただろうわが母は、しかしいまでは当たり前の一員だ。
ほんの少し目の前のウインドウから、くるくる回る、デバイスアイコンに目をそらして僕はため息をつく。
この行為にも意味はない。そんな『無駄』なアクションをリソース消費していることがすでに信じられないと友達に言われた記憶がある。意味がないからするんだ、といった僕の主張は必ず否定される。もう主張することさえなかった。
……はっきりとは、覚えていない。けれどたしかこのくらいのタイミングだったと思う。
そもそも、はっきりと覚えていない重要なことなんてものがいまだにあることを理解できない人種には到底わからないだろうと僕は踏んでいるのだが、確かにこの時だったと思うのだ。
僕の、人生が。
大げさに言うならば運命が変わったのだと、そう思える分岐点は。
絶対に聞こえないはずの隔離空間から声が聞こえてきたのだ。直前になにかノイズのような耳障りな音が聞こえた、気がする。その音に多少驚くがしかし、其れよりも。僕は中から聞こえてきた声に圧倒されていた。
「私は、魔女になります」
澄み渡った瑞々しい声だった。少女が大人になる合間の微妙な不安定さをもったそれでありながら中に感じる静かな闘志が一音一音に張りと潤いを与えている。大声ではなかった。けれどその声はまるで僕のすぐ耳元でささやかれたかのような確かさをもって僕の聴覚デバイスを通過していく。砕けるポリゴンの破砕エフェクト音すらきこえそうな静寂だけがその原因ではないはずだ。誰かの声のすぐあとにきこえてきた担任や誰かの母親の濁った声は確かに聞き取れなかったのだから。
ほんの少し言い合いのような言葉がきこえてそして扉があいた。規定された時間まであと五分以上もある。時間を守ることに執念をもやし、遅刻はもちろん早く来すぎることにすら怒りを覚えるわが母親は当然いまだ来ていない。
そして僕は中から出てきた人物とばっちりめがあってしまった。其れも突然扉が開いたから驚いて振り返ったという感じでなく、何事かと覗き見ようとしていたかのような気まずさとともに。
扉から出てきたのは、同じクラスの霧島だった。
……いや、いまさら何を取り繕ったって確定した事項は変更されない。白状すると、僕は声が聞こえてきた時点でその人物が誰か知っていた。というかわかってしまった。その理由を殊更に説明する必要はないし、その気もないのだけれど。
腰ほどまであるつやのある黒髪に、切れ長な瞳。おなじ女子高生でも着る人物が違えばこうも違うのかと思ってしまったのは秘密である。
ありていに言って彼女は美人だ。
二十年前ならいざ知らず、自分のパーツ生成がすべて実体をもとに構成される昨今においてまるで冗談のような存在、というかほぼ冗談だ。
霧島と僕はたっぷり十秒以上見つめあっていたと思う。いや、表現が正しくない。訂正。十秒近く睨みつけられていた。
先に動いたのは霧島だった。
「なにか用?」
僕はそこでようやく呼吸をしていなかったことを思い出し、ようやく現状を認識できた。蛇ににらまれた蛙とはこういう気持ちを意味するのだろうか。蛇も蛙も、実物を見たことはないのだけれど。
とりあえず開いていたウインドウを閉じる。
さて、先に言い訳をするとすれば僕はいまだ混乱状態にあった。ひどくプライベートな話を故意ではなかったとはいえ盗み聞きした挙句、ぶしつけに女性の顔を見つめるという愚行を犯した。そして最も重要なことが一つ。僕は彼女に好意を抱いていた。すべてを統合して、それでも……。いや後悔先に立たず。つまりすべてに意味はない。
僕は彼女にどうでもいいことをいってしまったのだ。
「今日は桜が綺麗だね」
僕は大学生になった。
高校の時に思い描いていた大学というものはひどく大人な香りがして、受験だのなんだので散々名前を呼んではいたけれどむしろ名を呼べべ呼ぶほど実を失うというか、曖昧模糊としたものになって言った気がする。
大学に通う先輩たちはみな怪しげな雰囲気を持っていて、僕らとは大きく隔たりのある壁の向こう側にいる、そんな印象を持っていた。
かつて、どこかの誰かが言っていたことだが人間というものは恐れるべきものを恐れるのではなく未知の事柄にただおびえる生き物だそうだ。なるほど確かにそういわれてみれば、ほとんど記憶にない幼少教育の試験はさておき、中等教育試験のさいはひどく緊張した記憶がある。どんな奴が学区にいるのかと怯えににた感情を、いやきっとおびえていたのだろう。しかしふたを開けてみたら大したことはなかった。面白いやつもいたし、それなりにスポーツや勉強ができるやつもいた。しかしそれはきっと世界のどこを切り取っても見ることができる環境であり状況なのだろう。そして気が付けば僕は高等教育を修め、今や最終教育機関に身を置いている。
「なあ、お前もうバイトやってる?」
不意に話しかけられて少し困惑する。ぼんやりと境界の向こう側においていた思考を現実……というかこっちに引っ張ってくる。
僕は大学生になった。そして四月が終わりもう五月の半ばである。僕はいま大学の、古臭い言い方をすれば、キャンパスを友人の一人とあるいている。目的は、確か……。だめだ。思い出せない。
「なあ、牧田。僕らは今何をしようとしてたんだっけ?」
仕方がないから尋ねた。すると僕の友人である牧田はわかりやすいまでに胡散臭そうな顔をして眉をひそめた。
「……何回目になるか忘れたけどさ。お前って変な奴だよな」
彼はため息をつかなかった。彼もそんなリソースを割く余裕はないのだろう。
「今から、昼飯を食いに行こうっていったのはそっちだろ? TODOリストの一つくらい入れとけよ。あくびだとか、ため息に割くリソースがあるんなら」
生まれて初めて見たぞ、あくびなんて。と彼は続ける。
ああ、ようやく思い出した。
そう、彼と食事に行こうとしていたのだ。まったく、こんなことでは旧世代の人たちに笑われるのではないだろうか。新世代と呼ばれる友人から盛大にあきれられている僕は思う。
多くの友人は便利になったという。実際にその差を知らないからきっと便利になったに違いないというのが本当のところなんだろうけれど、僕は不便な世の中になってしまったと思っている。あくびやため息をつくためには毎日のしたいことをメモリに記録する行為はあまりに重すぎる。けれど、多くの人たちはそう感じていないようだ。こちら側に完全に接続できる人たちはほとんどすべてが第三ラインより後に生まれた人たちだし、第一不満に思う人がいつまでもこちら側にはいないのだ。僕は特別だ、とは思わない。けれど少数派なのは確かだ。そしてそんな少数派の僕と、あきれながらも友人関係を続けてくれる牧田はある意味では僕以上の変わり者だともいえる。貴重な友人だ。
ただ、彼の場合友人思いであるから僕と話し続けてくれているというよりも、この時代において驚くほど彼は大雑把でなんというか……おおらか、なのだ。
「まあいっか。んで? どこに食いに行く? そーいや北町がこないだチャイナタウンでうまい飯屋があるって言っていたな……。そこにいってみようぜ?」
このとおり、である。
「ああ、いいよ。……それにしても北町さん、このあたりの食事処ほとんど食べつくしちゃったんじゃないのかな? 彼女が言ってない店を探す方が難しそうだけど」
「ばっか。ンなわけないだろ? 空間リソースは確かに存在すっけどよ。でも向こう側よりははるかに土地があいてるせいで一学区の台湾料理屋だけで6万店近くあるんだぜ? 全部行ってたら、あいつ今何歳なんだよ」
なぜ牧田が台湾調理屋を例に出したかはわからないが、確かにそのとおりである。ひとたび商業エリアに足を踏み入れたら輝く広告の文字群に圧倒されてしまうことだろう。だからこそ皆、視覚検索型アプリケーションを常駐させているわけだが、それでも目が痛くなるほどの情報量が飛び込んでくる。10年近く前からすでに、商業エリアに入る際視覚遮断系のソフトが起動されていなければ警告が出るようになっていることからも状況は容易に理解できるだろう。
「けど確かに、エリア区分をもう少し小さく絞れば、つまり校区で検索かけたら八割がたいってるのも事実だけどな」
牧田がにやつきつつ、可視化した窓を投げてよこした。どうやら何かしらのアプリケーションらしい。わずかに警告文字列が顔を出すがすぐに診断され異常がなかったらしく視界の端に消えていく。
「なにこれ」
「アプリ北町、だっけ。たしかそんな名前のアプリ。北島のコミュニティとリンクしててさ、行った店と味の評価が出てくる」
プライバシーもへったくれもない。というか誰がそんなアプリケーションを作ったんだ。
そう聞くと牧田はより一層口角を上げ、どうせ「黒縁メガネ」の連中だろう、と言った。
どうして牧田がそこで得意げな顔をするのか、どうして笑うという表情だけ多くリソースをとっているのか、気になることはいくつかあったが僕が最も興味をひかれたのはやはり「黒縁メガネ」だった。
「黒縁メガネ」は、僕らが通う大学のとあるサークルの通称だ。正式名称を境界魔女同盟研究愛好会という。これがどうして「黒縁メガネ」なる名前になったのかは謎だけれど、問題はそこじゃない。その名からしてわかる様に、境界魔女、つまり一般的に言われるところの魔女に興味を持つ者たちが集まるサークルなのだ。表向きなサークル活動は主に資料をあたり体感・視聴覚などのさまざまなメディアをとおして魔女に詳しくなること、だとサークル紹介文に書いてはいる。が、当然嘘だ。
その実、かのサークルが行っているのは合法非合法にかかわらないスクリプトからアプリケーションまで含めたいわゆる「魔法」の開発であり、それの実験的使用なのであった。
「すげーよな。黒縁。きっとこれ北町の奴気づいてないぜ? まず他人の行動を尾行できるのがいみわかんねーのに、勝手に同期までやっちまうんだからなぁ。頭いいというよりもむしろ、……悪い何も思いつかなかった」
牧田はいいやつだ、と思う。けれどたまに見切り発車するときがある。それが悪い癖だ。
「挑戦する勇気は認める」
「やかましい。っていうかお前、ちょくちょく黒縁のことを気にするよな。はいりたいわけ?」
……確かに。その名前が上がると無意識に気になってしまう。でも僕には「魔法」を作るどころか扱う才能すら皆無に等しい。そんな僕が一体何を気にしているのか。まあ、才能がないからこそひかれるというのがないわけでもないけれど。
「黒縁メガネ」には、霧島が所属しているのだ。
牧田と別れた後、僕はもう一度学校に戻った。校区であれば正門までは一瞬だ。アドレスを打ち込むだけでいい。
いつものとおり、瞬間的な立ちくらみとわずかな視覚エフェクトののちに僕は大学の門の前にまでやってきていた。
見慣れた校舎、といっても視覚的には単なる大学を示すアイコンであり中に入らなければ校舎といったものは見えないのだけれど。
アクセスする際に学生キーの確認手続きを求められる。
これもいつものことだ。それにそんなに手間のかかることではない。いくつかの注意事項とともにYorNで質問が聞かれるからYesを選択するだけだ。ただちに魔法が僕のアーカイブからアクセス権限を読み取ってくれる。物の数秒もかからない。しかも接続先を設定していれば勝手にそこまで飛ばしてくれるのだ。移動をここまで省略化させた世界で、なお省力を望むのだから人間というものは恐ろしいとしか言いようがない。
まぁ、一つの接続エリア内での移動は本質的に禁止されておりそういう意味では馬鹿でかいエリアを抱える大学内の移動は不便だという声もわからなくはないのだが。
僕が普段アクセス先に設定しているのは、一限目の授業がある小エリアと学内中央、それにサークルの小エリアだ。
僕は迷うことなく行先をサークルで選択し、決定ボタンを押した。
サークル、といっても各サークルの細分化されたエリアに飛べるわけではない。保安上とか、その他もろもろのお偉いさんたちの立場だとかよくわからない力が働いたせいで、最短でも飛ぶことができるのは各サークルにつながっているサークル統括エリアだ。しかし、今回に限ってはそのほうが都合がよかった。
とんだ先は、小さな円形の空間で浮遊するいくつかのアバターに見覚えがある。ちゃんとボディでの移動をしている人もちらほら見かけるけれどやはり少数だ。球体の外円部には点灯するアイコンがいくつもあってそれらの一つ一つがサークルにつながっているのだ。僕は目的のサークルアイコンを見つけようと検索魔法を起動する。大した時間はかからず目の前に旧世界を象徴するような硝子製視野補助器具、つまり黒縁メガネのアイコンが現れた。
僕は、言葉通り脳内で再生されるメッセージに従って黒縁メガネのアイコンにタッチする。
『久しぶり。偶然見かけて驚いた。今日、暇だったらサークルに来てよ。一応リソース確保しとくから、パスワードは……』
読み上げられる記号・文字群を打ち込んでいく。
扉が開いた。
牧田と飯を食っている途中にメッセージが届いたのだ。内容は上記のとおり。送り主はあの霧島だった。
割と真剣に驚いた。なんでいきなり、というのもあったのだけれど、なによりも。僕のことを覚えていてくれたのか、という。
エリア内は想像以上にファンシーなデザインで統一されていた。彼女の沽券にかかわること……ではないのだろうが別段詳しく話すことに意味はないと思う。よって割愛。重要なのはその小部屋に霧島がいなかったということだ。
「さっきも書いたけど、久しぶり。ま、いうほど久しぶりじゃないんだろうけど」
後ろから声をかけられた。
それが何らかの手法なのか彼女の想像より早くついてしまったせいなのか、わからない。
驚いた調子で心臓が仮想ボディから飛び出るのではないか、と思ったほどだ。
当然そんなことはなかったけれど。
「……意外、だった。まさか覚えててくれるなんて」
「そう? 少なくとも人の進路を盗み聞きしたやつのセリフじゃないと思うけど」
「あの時も言ったと思うけど、故意じゃない。というか事故みたいなものなんだ。急に声が聞こえてきたから」
言い訳じみた声色になってしまったことを少し恥じた。本当に言いたいことはそんなことであるはずがないというのに。
「だってそうだろ? 何らかのバグで防音機能が壊れたんじゃないとするなら、断絶された空間をつながなくちゃならない。あの部屋は本当は防音されてたんじゃなくて空間断絶だってきいたよ」
「ふうん、あんたがそう言うんだったらそういうことにしておいてやるよ」
数年前と同じ会話を、まるでなにかのイニシエーションのように僕らは終えた。
そして僕はひそかに確信する。あの時は気恥ずかしくて思考することさえできなかったことだけど。
やっぱり僕はこの娘のことが好きなんだ、と。
「……魔女に、なれたんだね」
「仮免はとれたよ。ま、対して魔女らしいことはしていないけどさ」
「よく言うよ」
僕は空間にパーソナルデバイスを出現させる。可視化した窓にアプリケーションを一つ。
それは先ほど牧田が見せてくれた「アプリ北町」だ。
「へぇ! よくわかったね」
「わかるよ。むしろ怖いくらい堂々と描いているじゃないか」
そう言って僕は魔法の外層を一つ外した。そして情報をアウトライン化。その上でシステムに外層を重ねなおす。するとなんてことないアプリケーションアイコンの上に、一つの文字列が浮かび上がった。それは彼女の名前だった。
「そんな動作をする人が世の中にいるだなんてあまり思わないと思うんだけど」
「そんな魔法をわざわざ書く魔女がいるだなんて、それこそだれも思わない」
霧島は獲物を見つけた豹の笑みでデータを実体化させた。
けれどそれを見てすぐに僕は首を振る。
「ごめん、僕はもうサークルに入ってるよ」
「……なんだ。まこの時期まで入っていないっていう方が希少すぎるか」
まあね。と僕は言う。
彼女の方も半ば想像していたみたいで、特に残念がる様子もなくサークル参加認証データを破棄した。
「魔女になってさ。したいことがあるんだ」
「何?」
唐突に彼女が話題を変える。
「ま、大したことじゃないんだけどさ。戦争を終わらせる」
そして、本当に彼女は大したことのない口調でそう言った。
だけど僕も、彼女が言うのならばたいしたことにはならないのだろうと思ってしまった。彼女にそれを実現する力があるかどうか僕にはわからない。というか、単純に考えるのなら無理だと思う。けれどそういった論理的な思考とは裏腹になんとなく納得させられてしまうような、可能だと思わされてしまうような何かを彼女は持っていた。魔法ではない本当の、魔法。彼女はそういう意味でもう十分に魔女だ。
「そっか」
だから僕の返事も軽いものになってしまった。
逆に彼女が驚いた顔をする。
「自分ではさ。無理だとは思ってないんだけど、普通もっとなにか聞いてきたりしない?」
たとえば、どうやって? とか。一人で? とか。彼女は不思議そうに首をかしげる。
「そう……聞くべきなんだろうけど」
うまく言葉が出てこない。こういう時語彙能力のない自分に辟易させられる。常時検索可能な世界ではあるけれど、0と1のこの世界において祖もsも知らないことは調べようがないという事実は歴然と存在するのだ。
「無責任な発言をすると、きっと君ならできるんだろうなってそう思う。百パー可能だとか絶対に無理だとか、どちらかによっているわけではなくて」
なんというか、と僕は言葉を探す。
「明日もきっと一限目の授業に遅刻するんだろうなっていうぐらいの確証で」
彼女は笑った。
気持ちのいい、笑顔だった。
「うん。やっぱり君と話せてよかった。今日、ううん。あの時も」
霧島が死んだ。
そう言われても、すぐに僕は反応できなかった。
理解できない、というよりは納得できないという意味で。
リソースの大部分を僕は考えることに費やした。多分、十分くらいたってからだったと思う。
僕は一つの質問をした。
「今、何時ですか?」
事の顛末はこうだ。
僕は一人パブリックスペースで確保できたリソースの整理やら明日までの課題やらをやっていた。
出現先はいつもと同じ、月極めで支払っている灰色のバンクだ。そこにポータルを設けて、自分の脳内に引きこもっている。
灰色は、有料バンクのなかでもっとも安く安全性も低いものだ。けれど男一人の、それも貧乏学生の低リソースを狙う犯罪などほとんど起きることはなく、この程度のセキュリティで十二分である。リソースという概念がすべてを占めるようになった境界線内はアパート、とか個人宅といった概念が発生しない。いや、発生しないというよりもずいぶん湾曲した形で存在している。つまり規定されたバンクアイコンから接続すると各々のリソースを割いて作成された小エリアにポータルを作成する。そこでスタンドアローンな自身の脳にアクセスすることでパーソナルスペースを確保できるというのが主流になっている。正しくはそれ以外はほぼ存在しないというべきだろうが。それぞれのセキュリティの高さに応じて、バンクアイコンのカラーが灰色から果ては金色まで変化するのだ。
そんな、パブリックスペースにアクセス許可を求める緊急メッセージが届いたのは昼ごろのことだった。
提示されたプライベートデータには「警察」の二文字。
仕方がなく、僕はパブリックスペースの外殻にもう一枚リソースを割いて訪問者用のスペースを設定する。
急ごしらえだから内装もへったくれもないが、まあそこにこだわる彼らではないだろう。
訪問者用のスペースを設けたのはいわばマナーのようなものだ。けどそれ以上に本能的な恐怖感もある。パブリックスペースとは端的に言うならば僕の脳そのものだ。不正データを流し込めばそれだけで僕は脳死。あの世行き、というわけだ。だから外殻、つまりファイヤーウォールの外側に緊急スペースを設けるのは常識ともいえる。
そして訪ねてきた警察が言ったのだ。
単刀直入に言わせていただきます。霧島瑞葉が脳死いたしました。他殺の線が濃厚です。あなたの記憶野の一部を譲渡していただきたい。
その日僕は三限目から授業があった。
欠席するもしないも僕の自由だったけど、惰性で気が付くと僕は机に座っていた。
どうしてせっかくデータでやり取りできるようになったのに、いまだ勉強を受ける姿勢はこうなのだろうと意味のないことを考えても見た。
意味はなかった。
霧島は死んだ。
古い、文字のみのメディア媒体でエンターテイメントデータを受容したとき、こんな表現があった。ちょうど今の僕のように恋焦がれていた女性を失ってしまった男性のセリフ。「ぽっかりと胸に穴が開いたような――」
当時、僕には理解できなかった。母に尋ねると、「リソースを大幅に失ったような気持ちだ」と教えてくれたけど、それも同じくらい僕には理解できなかった。結局理解することはあたわず、僕はそのうちに大体こういうことなんだろうと辺りをつけて、つまり妥協を納得とすり替えて今日まで生きてきた。
今でもその表現の意味が僕にはわからない。
胸に穴が開いたような、感覚は僕にはない。むしろ静かに延々と燃え続ける青白い炎のような怒りがそこにはあった。理不尽さに対する、恨みとさえいえそうなこの感情がいったい何のリソースを消費して生まれてくるものなのか僕にはわからなかった。それこそ、理解できない。けれどきっと、この感情も妥協と納得をすり替えることでうまく折り合いをつけることができるのだろう。時間というパッシブエフェクトが僕の中からこの出来事の優先度を奪い、いずれは霞に消えて行ってしまうのだろう。
ふざけるな。
そんなことを到底受け入れられるはずがなかった。
彼女が、僕のすべてだったとは言わない。けれど、すべてでないからこそ、それを忘却できるこの魂を僕は呪う。
「今、何時ですか?」
警察に尋ねると不思議そうな顔をしながらもちゃんと答えてくれた。僕らは常時ネットワークにつながっている。時刻を知れないはずがない。その警官がすべきことはそう、僕を指摘、もとい糾弾することだったのだろう。
誰にでも役割は存在する。
ならば、僕の役割とは?
広大な、無尽蔵とすら感じるリソースが意味もなく捨て置かれていた。
捨て置かれているというのは正確に言うと誤った表現だ。なぜならそこには脳死してしまったたくさんの人たちの残留データがひたすらにつみあがっていたからである。残留痕、形骸体、もっとも強烈な言い方でいうのならば死体、だ。そこには老人がいた。女の子がいた男の子がいたおじさんがいた筋骨隆々の青年も痩せこけて川と骨になってしまった女性もいた。ありとあらゆる人種データがそろっていたし、ありとあらゆる年代別データーがそこで死んでいた。つまりここは死体の図書館だった。
データを検索するとあなたのニーズに合った死体が手に入ります。貸出期間は一週間となっております。
人が、死んでいた。意味もなく、理由もなく、ただただ人が死んでいた。すべてがデータで、いわば無駄になったリソースで、廃棄された残骸で、そしてすべてが不要なものだった。ここには何もない。何もないからこそ、「何もない」がすべてある。言葉遊びではなく、客観的な事実がそこにはあった。誰一人として声を上げるものはいなかった。鎮魂歌も讃美歌も、祈りの声さえ聞こえない。なぜならここにいるのは限りなく死に尽くした者たちと、限りなくいきそびれた者たちだけなのだから。
「少佐、境界がまた歪みだしたそうです」
「……いこう」
部下の一人が声をかけてくる。その声はやはり生者のそれではない。目に光はなく、構成されるデータのほとんどが死にかかっている。境界線の外でも中でも、変わらないことはほんのいくつか存在する。そのうちの一つが兵士は必ずドッグタグをぶら下げる、だ。
死者が誰か判断できるように。いや、死者と会話できる唯一の翻訳機として。
きっと部下の目に映る僕の目も、ずっと昔に腐って爛れて壊れて、死に続けているのだろう。
世界が滅んでから僕たち人類は境界線外と境界線内にわかれた。そして戦争はなくなるはずだった。
確かに、ある意味では戦争はなくなった。熱を帯びた金属の薬きょうが吐き出されるごとに消し飛ぶ命はほとんどなくなったし、魔法によって書き換えられる魂の抹消は想定されたほど怒ることはなかった。でもそれは同次元での戦争がまったく異なる種の問題を前に後回しにされたからに過ぎない。戦争はいまだに起こっている。境界を挟んだ、僕らと彼らの側で。
再び、結論から言おう。
僕は死んだ。
少なくとも社会的なシステムの上において、僕という人間のアイデンティティーデータは抹消された。これで僕が町を歩けば簡易版動く死体の完成だ。そしてそれにすぐ上の人たちは気が付いた。けれど、全てをもとどおりにするためには気が付くのがあまりに遅かった。僕という人間の死はすでに確定してしまっていたのだ。そして彼らはすぐに考えた。回りきった歯車を止めてすべてをやり直すことと、不必要になってしまった一本のねじを破棄すること。どちらがたやすいか、だ。
結論はご覧のとおり。僕は死んでいて、死体しか入れないここに立っている。
世界は境界はアウトラインのようなものだといっていた。そこに幅という概念は存在せず、そこにあるのは0と1の完成された世界だと。
嘘だった。
ここには見るも無残なグレーゾーンが無限に伸びている。その先はおそらく収束することなくただ単に拡散するのだろう。
ここで暮らし始めて五年が過ぎた。僕はいつの間にか少佐と呼ばれる人物になり、幾人かの部下ができた。上も下も次々と死んでいくここではそれこそ形骸化された組織体制に他ならないのだけれど。
僕らの仕事は単純だ。歪められた境界を、「上」がいうところの「正しい位置」に戻すこと。
それを戻すことができるのは魔法だけで、そしてそれを扱えるのは魔女だけだ。だから僕は魔女になった。
彼らは僕の幽霊化にはすぐに気が付いたが、もう一人の幽霊には気が付かなかったようだ。死んだはずの人間が生きていることに目くじらを立てる癖に生きているはずの人間が死んだことに気が付かにというのは、あまりに矛盾していないだろうか。
僕は大学を辞めてすぐに、名前を霧島と名乗った。幽霊になることは僕の望みにもっともマッチしていたし、そうなるよう仕組んだのは僕だけれど、幽霊も姿が見えなければ生者を驚かすことすらできないのだ。
僕は幽霊になった。
そして幽霊の皮をかぶって、彼女の死を辱めた。
その恥が、いまだに僕に怒りの炎を感じさせる。チリチリと焦げ付くソレを確かに意識させるのだ。
魔女になりたいと、彼女は言った。
戦争を終わらせたいと彼女が望んだ。
このタイミングで「だから」を使ってしまうのはあまりに卑怯な行為だろうか?
だから。いや……。
それでも
それは、すべての気象データを一元化し平均化した境界線内においておそらく最大の「偏った日」のことだった。誰もが暑いとも寒いとも、なるべく感じないように設定されたはずの一日がしかしその日は違っていた。
精神的なケアの一環として作られた桜のオブジェクト。いつものよそよそしさはどこかに消えて、やわらかな日差しの下輝いている。
暖かな春の風が教室の窓から静かに満ちていく。
こういう日もあるのだ。
それは驚きであり、私にとっては希望のような一日だった。昨日までの灰色の世界は舞い散る花弁に消えてしまった。
と、いうのに。
先生や母親は大学がどうとか、将来がどうとか、灰色の世界の話しかしない。
どうして気が付かないのだろう。
あの桜色は、昨日の桜色とまったく違っているというのに。
はじめはふてくされて無視していた。
けれどだんだん二人の声はノイズとなって聞きたくても何を言っているのか聞き取ることができない。
ああ、イライラする。
光彩のない淀んだ双眸が私を見つめる。
ああ。
……ああ! 鬱陶しい!
「私は、魔女になります」
気が付くと私は言ってしまっていた。
しかも立ち上がって、机に手をついて。思いっきり大きな声で。
きょとんと、二人は私の言ったことが理解できていないらしい。私も私で、自分が何を口走ったのか理解が追いつかない。もしかして、私はずっと胸に秘めていた私だけの作戦を口にしてしまったのだろうか。私の最後の希望を。
ああ、やってしまった。
そう思っても口からこぼれた言葉を取り戻すことはできない。ログをたどればすぐにそして明確に私の発言は記録されている。
ならば、もうここには用はない。私は立ち上がったままの足で教室のドアの前へと急ぐ。
仕方がなく、私は手持ちの簡単な魔法を起動させた。すぐに分断されていた教室の空間と廊下の空間が統合される、はずだった。でも「完了」の文字の代わりに現れたのは「接続済み」の文字。
後ろで二人が何かを叫んでいる。「魔女なんて危険な――」「その才能を無駄に――」
聞こえかけたノイズをまた魔法でかき消す。もはや私にとって重要なのはそんなことではなかった。空間断絶を自由意思によって再接続させることができる腕前を持った魔女が、私以外にもこの学校にいた。その事実が私を動かす。そして私は教室のドアを開けた。
そこにいたのはクラスメイトの男の子だった。見覚えはある、けど名前は知らない。その程度の関係の子だった。この子が? 私は思わずぶしつけにじろじろと眺めまわしてしまう。何かしらの魔法を使ってる痕跡はない。隠蔽系を併用してる感じでもない。
……まさか、単なるバグ?
そこにようやく考えが思い至り私はやるせない気持ちになってしまった。と同時に今の状況を思い出す。勝手に勘違いした挙句不躾に睨みつけているこの状況を。
急に恥ずかしくなってきた。だから思わず照れ隠しで声を低くしてしまう。
「……なにか用?」
するとそいつは金縛りが解けたみたいにあわてている。
そして、必死に何かを考えているようなそんな表情を浮かべて……そしてウインドウを消した。
瞬間私は雷に打たれたのかと思った。それほどの衝撃だった。
この廊下と教室は防音機能を起動させる際、完全に空間として断絶させる。それを再接続するには魔法しかない、とわたしは考えていた。けど、そうじゃない。もう一つ方法がある。魔法とはあらかじめ確定される世界の事象を誤解させることによって発現するロジックの総称だ。だが、其れよりも確実ではるかに難しい手段。
それはつまりリアルタイムで情報を書き直し続けること。
打ち込んだ変数を受け取ってさらに変化する世界を目的の状況に向けるためまた別のベクトルを与え続ける語術。魔法なんかとは比べ物にならない高等技術。理論としてだけなら可能だといわれているはずのフィクション。
それを目の前の、私と同じ学生が行った?
……そう考えるくらいなら、はるかにバグだと考えたほうが理解できるし納得できる。でも気になっていたことがあったのだ。なぜこいつは思考インターフェースが十分に発達したこの世界においてあえてキーパッド入力を行っていたのか。
たとえば。
たとえば、情報の書き直しを限りなく現実的に考えたときもっとも可能性の高いものとしてそれはキーパッド入力があるのだと何かのソースで聞いた記憶がある。思考インターフェースはいわば雑念も含めたすべての思考を入力してしまう。当然、インターフェースが完成しきった昨今ではそんな雑念で正しい入力が阻害されたりすることはないといわれているがそれは生じる雑音をかき消す技術が発達しただけだ。雑音を削除する分だけリソースを奪われてしまう。
だからこそのキーパッド入力。
しかし、それも入力速度は思考インターフェース並みの速度が要求されることは必須で、もしそれができるのなら政府が扱っている国民のパーソナルデータ(たとえば生死情報)を死亡届が確定する前に訂正できるくらいの速さであることになってしまう。
私はおそらく生まれて初めてといえるくらい心臓の鼓動が早くなっていることに気が付いた。
想像もできなかった感情の奔流に押し流されそうになる。
何か、言わなくてはいけない。
しかし何て言ったらいいのだろうか。
情報を書き直していた? どうしてキーパッドを? どうして――。
けれど、そんなさまざまな私の思考は彼の、たった一言に粉々に粉砕されてしまった。
不意に口からこぼれた。そんな調子で彼は言う。
「今日は桜が綺麗だね」
これから先私はこの日のことを、私の人生が大げさに言うなら運命が大きく変わった日を絶対に忘れることはないだろう。
灰色の世界が、鮮やかな桜色に変わった瞬間を。
読んでくださってありがとうございました。
割とどうにでもなれくらいの気持ちで出しました。
嘘です。
前書きにも書きましたが初投稿で、恥を忍んで投稿しました。
酷評していただけることを期待しています。