9 執事界にて(sideアレクサンダー)
人の世界とコトリ様のお姿が歪み、私は見慣れた執事界へと戻ってきます。
ああ、またしても話している途中で帰還してしまいました。
──まぁ、わざとですけど。
今なら初めて召喚したバリーがいますしね。彼ならきっとコトリ様の助けとなってくれるはず。
パワータイプの割に細やかな気配りの出来るヤツですから問題ないでしょう。
それに、そろそろコトリ様もこの世界の人間と交流するいい機会です。ちょうどいい人物が三人ほどいた気配がありましたしね。
「どうだったの? 新しい主人は」
「怖くなかった? 優しかった?」
同じ人物を主人とする執事仲間が訊ねてきます。
この二人は特に戦闘能力が低いですからね。乱暴な主人に痛い目に遭わされることも多いため、心配になるのもわかるというもの。
もう一人、荒事を嫌う執事がいますが……彼は怖がりでもあるので召喚されるまでは話にも入ってこないでしょう。
とはいえ、我々執事の能力は人間より遥かに優れていますから、そこまで怯える必要はないのですがね。
暴力を振るわれたところで命に係わる怪我をすることはありません。
そうはいっても、心にダメージを負うのは人間も執事も同じ。
特に、この子は。
私は質問に答えるべく、顎に手を当てて口を開きます。
「そうですねぇ。お仕えのし甲斐がある方、とだけ」
「それじゃあわからないよ。殴ったり髪をひっぱったりしてこない?」
「これまでに三度、私は今の主人に召喚されました。この通り、無事に戻ってきていますよ」
「そ、そっか。ならとりあえず大丈夫、かな……?」
いまだ不安そうな顔を浮かべるこの子にとって、主人の性格は非常に重要なことです。
色々と教えてあげたいのは山々ですが、必要以上に主人の情報をお伝えすることが出来ないのが執事界のルール。
個々の偏見が混ざらぬよう、各々が主人を見定めなくてはなりませんからね。
ゆえに私はコトリ様の名前はおろか、お姿や細かな性格、性別すらも伝えることは出来ないのです。
私としても、執事仲間のことは出来る限り守りたいとは思うのですがね。
暴力を振るわれようが、暴言を吐かれようが、捨て駒にされようが主人には逆らえない。
そういった状況に見舞われた時、我々が仲間にしてやれることはほとんどないのです。
それでいて、お仕えする人がいることこそが我々にとってこれ以上にないほどの喜びとなります。
喜んで尽くしたくなるのが我々の決して抗えない本能。
たとえそれが、どんな人物であっても。
矛盾した感覚なのでしょうね。
けれど、どれほどの目に遭っても主人を喜ばせることさえ出来れば私たちは幸福を感じてしまうのです。
人としてどうしようもない人物だとわかっていても、決して主人には逆らえず、お仕えしたいと思ってしまう。
人間からすると、さぞ歪に見えることでしょう。
けれどそれが我々、召喚執事の宿命。
ただ、私たちとて痛みを感じます。苦しみも悲しみも感じる心がある。
ああ、なんて残酷な仕打ち。心さえなければ機械的にお仕え出来るというのに。
主人に許されない限り自由もない私たちに許されるのは、出来ることなら心から敬愛する主人に出会いたいと願うことだけ。
私が感傷に浸っている間に、質問をしてきた二人の執事が会話を続けています。
「今度こそ、本物だといいなぁ」
「期待しすぎたらダメよ。もう百人以上もの主人に仕えてきたけれど、その域にいたる主人は現れなかったじゃない」
「で、でも。良い人だってたくさんいたよ?」
「けれど現れなかった。これが事実よ。はぁ……真なる主人となる条件がわかればいいのに」
彼らの話を聞きながら、どちらの意見もわかると内心で頷いてしまいます。
我々はずっと、その存在を待ち望んでいるのですから。
真なる主人さえ現れれば、私たちの心は救われる。
思いは皆同じです。
私は小さくため息を吐いてから、もう何度目になるかわからない同じ言葉を彼らに贈りました。
「考えても意味のないことです。本物に出会えるまで、ひたすら新しい主人に仕え続けるしかありません」
「わかってるよぉ……でもせめて、毎回どんな人が主人なのかがわかればいいのになぁ」
「世の中、そううまくはいかないのが当たり前です。我々はただ、この世界にランダムで召喚された主人を見定めていくのみ」
一体どこの誰がこんなシステムを作ったのか。
我々は何者で、どこからきたのかさえわからない。
執事になる前の記憶として残っているのは、己の名前だけ。
けれどやらねばならないことだけはしっかり刻まれている。
我々はいわば、世界の奴隷といえるでしょう。
そこから解放してくれる存在こそ、我々が何百年も待ち続けている主人なのです。
「楽になりたいよ……」
ぽつりと呟く彼の、切実な思いが胸を締め付けます。
とはいえ、こうして嘆いていても何かが変わるでもなし。少しくらいは彼らに希望を与えておくとしましょう。
「たとえ本物でなくとも、今回の主人はなかなか楽しめると思いますよ」
「そ、そう?」
「ふん、またそうやって期待させる言葉を吐くのね」
素直に表情を少し明るくする彼と違って、もう一人の彼はひねくれ者ですね。
まぁ、それもこれもコトリ様に会えばわかる話です。
私たちが会話している間に、執事界のゲートが開く気配がありました。
おや、随分と早いご帰還ですね。
「あ、バリーが戻ってきた! ちょっと早いね?」
「あら。それなら彼からも情報収集をしようかしら」
「私に聞くのとさして変わらないと思いますけどねぇ」
私としましても、他の執事がコトリ様を見てどう思ったのか興味があります。あとでバリーに話を聞いてみるとしましょうか。
さて、コトリ様は今どうしているでしょうか。
現地の人たちとうまく交流をしていると良いのですが。次は誰を召喚するのかも気になるところです。
っと。おやおや、またしても私を名指しで呼んでくださるのですか?
ふぅむ。これまでの主人は、一通りどんな執事が呼べるのかを確かめる方が多かったのですけれどね。
そして、可も不可もなく、取り立てて特徴のない私のような執事はすぐに飽きられ、呼ばれる機会が減っていくのがいつものパターンです。
「……? なんでしょう、この感覚は」
私は、期待しているのでしょうか。これからも頼りにしてもらえるかもしれない、と?
主人に呼ばれた際、我々に多幸感を与えられるのは仕様みたいなものですが、私自身ワクワクしているようです。
コトリ様のことを、もっと知りたい。
ただ会話しているだけで胸のあたりを温かくしてくださるコトリ様。ついついからかってしまいたくなる不思議な方。
私は貴女を見極めるため、まだまだ猫をかぶることとなりますが……どうかお許しを。
貴女に仕え、尽くすことが私の生き甲斐であることは変わりません。この気持ちに嘘もない。
だからどうか、もう少し観察を続けさせてくださいませね。私の主人。私の、コトリ様。




