モブ令嬢と王様の魔法薬(前)
ようやく会えた──それが望み通り『再会』だった喜びと興奮。
想いを告げたふたりは、感極まって口付けを交わした。
しかし、公衆の面前である。
最初こそ嬉しさが勝っていたものの、段々と込み上げる羞恥。
知らない人達の生温かい視線と祝福に耐えられず、最終的にゾーイはロイに腕を引かれ、そそくさとその場を後にしたのである。
なんとなく格好がつかないまま、ふたりは前回と同じカフェに入った。
頼んだのも同じメニューだ。
目が合って、照れくさく擽ったい気持ちではにかみ合う。
甘酸っぱい気持ちと多幸感。
だがそんな感覚と共に胸を締め付け込み上げてくるのは、そればかりではない。
ゾーイはどのタイミングで、なにをどう聞いていいかわからずにいた。
「ロイ、あの」
「──ゾーイ」
話し出しは同時。
ゾーイは口を閉じてロイの言葉を待った。
「すまない……きっと聞かれても、答えられないことの方が多いと思う」
「……そう、よね」
ゾーイもすぐ納得した。
理由は色々あるだろうが、なによりここはクナだ。学園内ではないけれど、迂闊なことは言わない方がいい。
「ありがとうゾーイ、あんな端的な言葉を信じてくれて」
「そんな! ……お礼を言うべきは私だわ。 ありがとう、ロイ」
「いや…………助けられなくてごめん」
「そんなこと……」
ロイがどこまでを予め知っていたのかはわからないが、彼は優しい人だ。そうせざるを得ない理由があったのは、充分察せられた。
おそらくそれが、彼が学園を辞めた理由なのだろう。
それに──
「あれは特別なものでしょう?」
『私が使ってしまって良かったの?』と言いそうになって、やめて、代わりにまたお礼を告げた。
何度かはわからないが、きっと彼はもっと繰り返している。
秘薬がそんなに作れるとは思えない。その貴重な1回分を、もしかしたら使わないかもしれない自分にくれたのだ。
詳しく事情など聞かずとも、上手く救出できない状況で、自分を助けようとしたのは間違いなかった。
(それに──)
『ゾーイ、言えなかったけれど、ずっと君が好きだった。 きっと初めて会った時から。 今も変わらず。 いや、今まで以上に』
口付けと、その前に言われた言葉を思い出し、熱が上がるのを感じる。
充分熱烈な告白だけど、何度も繰り返しているとしたら、とてつもなく熱烈な告白を受けたことになる。
「少し早いけれど、もう1度……受け取ってくれないか。 使わないことが望ましいけれど、保険として」
「ロイ……ありがとう。 でも実は──」
ゾーイはなるべく言葉を選び、『魔法・魔術』というのをぼかしながら、先生が保護魔法を掛けてくれたことを説明した。
あれがなくても肌身離さず持ってはいただろうが、流石にウエディングドレスの際はそうもいかなかった筈だ。もしかしたら奪われていた可能性もある。
「ロイ?」
「……それは僕も考慮して、瓶は特殊にしてあったけど……」
「あっ、そうなの?」
「…………装飾品か、ちょっと妬けるな」
「!」
「わかった、学園で僕はそれよりいい物を作ることにするよ」
ロイはそう言って笑う。
本当に内心を隠すのが上手くなったものだ、と思いながら。
(いや本音でもあるか)
「ところで──」
彼の心の内など知らないゾーイは、彼が滲ませた嫉妬に照れたけれど、甘い空気など醸している暇もなく、話は今後の身の振り方へと移った。
再会の際に備え、ロイは辻褄が合うようにストーリーを用意していた。
他国が見たいと駄々を捏ねたロイは、とある商会の青年にお忍びでトラキレールへ連れて行ってもらった。
商会の上客であるエヴェルス侯爵邸。
ロイはたまたま招かれていたご令嬢の友人、ゾーイと出会った……ということになった。
そこでゾーイは、シルフィアの手紙にあった『婚約者となった懇意にしている商会の人』がラガリテの人だと知る。
(どこまでが彼の作った現在なのかしら……)
ラガリテの商会の青年の話が面白くて、気に入っている──という話は以前シルフィアから聞いたことがあった。
手紙を読んで、きっと彼なのだろうと安堵しつつも『一介の商人にシルフィアが?』と疑問に感じたのを思い出す。
「いずれ、話せることは話すよ」
そう言って微笑むロイの、仄かに憂いを帯びた表情……それは酷く大人びていて、ゾーイの喉と胸を詰まらせる。
いつも穏やかで優しい、ゾーイの知るロイと今のロイに然程の乖離はない。
ただそれ以前に、もっと年相応にあどけない彼がいたような気持ちになる。
回帰の魔法薬──それはきっと、とても孤独な薬。
まぎれもなく奇跡を齎す物だけれど、もし無意識だとしても、彼は確実に色々なものを犠牲にしているのだ。
(もう使わせてはいけない)
そう思った。
そして使わない為に、ゾーイは自身の問題を解決しなければならなかった。
未来は確定していないのだから。
──学園入学後、一年が過ぎたある日。
ゾーイはアーノルドにあることを相談した。
前回は誰にも話さなかった、家の事情……それ故に『学園生活の継続と卒業に不安がある』として。
『頼ったらいいんじゃない?』
あの頃は頑なで、それができなかった。
当時の自分を否定する気はない。
あの頃のあの感覚は、ゾーイにとって大事なものだったことは変わらない。
だが、今はロイと同じで回帰している。
当時のゾーイと今のゾーイは少し違い、しなやかさを手に入れた。
もう頼らないことを強さとし、不安や弱さに目を背けなくても、胸を張って立っていられる。
「問題は奨学金の返済と、籍だろうな。 だが他国のこと……アドバイスはできても、関与は難しいんだが──」
「先生、頼りたいのはそこじゃないんです。 それで魔道具開発を自己研究にしたいと思っていますが、粗方できたところで権利ごと学園側に買い取って貰うことは可能ですか?」
「それは……できるが、随分な自信だな?」
「ええ、需要はある筈なので」
彼女が考えたのは、価格の安い小振りで純度の低い魔石を使用した、冷蔵庫製造機。
それは冷暗保存用の箱や、床下の保存庫にこの機器を入れることで、簡易的に冷蔵庫が作れる、という物。
既に魔石を内蔵した冷蔵庫は存在するが、高額で規模も大きく、貴族や豪商しか手に入らない物。小型も作れるものの平民にはやはり高額で、購入できるのは常に繁盛しているような一部の店くらいしかないので、作られていない。
ゾーイは生活にある程度余裕がある、程度の一般的な平民を購買層と考えているので、単価は安くとも莫大な金額が入る自信はある。
「──ふ~ん、いいんじゃないの。 魔道具としてはチープだが、目の付け所が」
「うふふ。 研究者肌で天才肌の皆様とは違い、私は凡庸で世俗的ですので。 それが強みかと」
前回もこれを研究開発しており、ほぼ完成していたと言っていい。
これが日の目を見なかったのは突然の帰国のせいだけでなく、母国で流通させるだけの資金と販路を見出せなかったからだ。
通常、学園で研究開発した魔道具を発表し、それが有用と認められれば学園から認可が降り、開発者としての権利が保障される。
研究開発の継続が必要な場合に於いてもだ。
前回の在学中、既に発表できる段階にはあった。だが権利により入ってくる金は実家に搾取されるのが目に見えていただけに、発表を見送っていたのである。
魔術師になれば卒業後でも学会に参加でき、発表の場はある。
帰国し籍を抜けるまでは発表しない方が賢明、と当時のゾーイが判断したのは当然のことだった。
「だが権利もか? ……勿体ねぇな」
「商品化するのに出資者を募ろうにも、それができるのは卒業後ですもの。 国からの借金を一括返済できるだけのお金が必要なんです。 実家からは1リーン足りとも貰っていないという事実があれば、籍を抜けるのも容易になりますし」
「ふむ、だが甘いな……在学中にそれだけ稼げる人材を、国が手放すと思うか?」
「ええ。 なので次の相談を」
「ん?」
「卒業後の数年、私を先生の助手として雇って頂きたく」
「はぁあぁぁ?!」
ゾーイの目的は、母国の王家に目を付けられることなく借金を全額返済。
それに、成人するまで父に干渉させないこと。
成人してさえいれば、籍を抜く権利はゾーイにも発生する。
前回も帰国時には成人してはいたものの、その前に婚約をさせられていた。
ただの貴族令嬢であり、婚約時の契約に基づいて借金を返済されてしまったゾーイには、成人していたところで為す術がなかったのだ。
魔術師になった後でなら、自衛手段はいくらでもある。
「今回のご購入による返済であることは隠し、返済は先生が肩代わりした体で。 ついでに数年間、私を助手として学園に留める旨をトラキレール王家に──」
「ちょ、ちょっと待て……!」
王家には『然程能力には長けていないが、助手としてなら結構使える』というような、評価はされているがされてもいない感じが望ましい。
元々女性の社会的地位が低い国だ。
借金返済の際に色をつけて返しておけばなにも言われない可能性は高く、王家が認めてしまえばたかが木っ端子爵程度、逆らえない。
また年数を有耶無耶にしておけば、婚約を取り付けるのは難しいだろう。
「あら先生、先生にとっても悪い話じゃありませんわ。 先に言った通り私は凡庸で世俗的ですが、協調性と共感性には自信がありますから」
「ううぅぅぅ~ん……」
「図々しいのは承知です。 人生がかかってます、先生が頼りなんです!」
「いや、うん、正直助手は別にいいけどさぁ……そんぐらいの給金は貰ってるし。 でもこれ、ロイは知ってるの? 俺やだよ、変に勘繰られんの」
ダルそうに眼鏡を外し、『アイツに相談してからにして』と言うとすぐに突っ伏し、アーノルドは狸寝入りを決め込んだ。
──結論を言うと。
ゾーイが意見を押し通したものの、ふたりは珍しく……というか初めて大喧嘩した。
「金は僕が出すって言ってる……なのに何故あの人を頼るんだ……!」
「確かに頼ったけれど、一学生として行き過ぎた頼り方はそこまでしていないつもりよ。 貴方に頼る方が余程おかしいわ!」
まだ未発表の研究を権利ごと売ったのはあくまでも学園にであり、アーノルドは担当教諭として間に入ったに過ぎない。
そしてゾーイはロイと共にクラスの癖の強い生徒達を纏めているし、成績も優秀。
トラキレール王家への手続きと助手の話は、多少常識の範疇から逸脱しているにせよ、咎められる程のことかというと、そうでもない。
教諭が助手を雇うのに、学園側からの精査は必要だが、それ以外に特別な制限はないのだ。相手が魔術師であれば、身元も実力も割れているので採用は個人の自由。
そもそも、少しだらしないアーノルドの助手の仕事に就くこと自体、特別羨ましい進路ではなく、入学当初ならまだしも『贔屓』とやっかむ者などおそらくいないのではないだろうか。
ゾーイの言う通り、どちらかというならロイに頼る方が余程おかしい。
「ゾーイ」
ロイは深呼吸のように溜息を吐き、声を潜めた。
「実のところ……僕はアーノルド先生を完全には信用していない」
「! ──あ……っ」
保護魔法の話をした時のこと。
あれは嫉妬だけではなかったと、今になって察したゾーイは青ざめて黙り込んだ。
「…………ごめんなさい」
「いや…………僕も悪い…………ごめん」
告げることができなかったのは、ロイにも迷いがあったからだ。彼の心中は複雑であり、更に前回までとは違い、葛藤から判断できないことも増えていた。
ロイは、自身がそうしたように『目立たない程度の優秀さで学園生活を』ということすらゾーイに頼んでいない。
一年半、ゾーイが察して自発的にそうしてくれていただけだ。
そもそも選んだと言える程、ゾーイには情報を与えられなかった──なので結局『巻き込んだ』という気持ちはまだ解決していない諸々から消せず、不安として残っていた。
アーノルドは最初から尊敬できる教師であり、彼自身頼った恩師である。けれど、ふたりを気にかけてくれた理由を疑わないわけにはいかなかった。
それが教師として特別気にかけてくれただけなのか、魔術師としてなにかに勘づいてなのか、男としてゾーイに好意を抱いていたのか。
3回の私情もあり、ロイにそれらの客観的な判断は難しかった。
「『信用していない』……この言い方は卑怯だったと思う。 誤解のないよう言うと、先生はずっと味方だった。 ただ──」
「いえ、私が悪いの。 貴方に相談するべきだったわ」
漠然とでも、ロイの不安をもう少し察するべきだった、とゾーイはいたく反省した。
「……今からでもそうしてはダメ?」
全てを察するなんて神でもない限り無理な話だが、だからこそ多少ぶつかっても言葉を尽くさねばならない──それができるのは、ゾーイの方だけなのだから。