ロイ視点:自分の力では変えられなかった王子様の話
精製と言っても薬そのものに関しては、特殊な材料を多少必要とするだけで、拍子抜けする程に簡単だった。付与する魔法と組み込む術式だが、それも問題ではなかった。
特殊な材料とは、加護を与えられた血族の主となる者の血。
加えて必要なのは、魔術師の技術。
(……兄さんはこれを知っていたのか?)
ほぼそのままで手付かずのまま保管されていた膨大な資料からも、実際に秘薬をどうの、というのはなかっただろうが……秘匿されている王家の情報として王太子だった兄が、このことのみを伝え聞いていてもおかしくはない。
難題だったのは精製そのものではなく、古代語を読み取り、正確に解析することだった。
そしてその殆どが、精製法ではなく注意事項だとわかった時には、ゾーイの訃報から既に5年経過していた。
解析を進める中で、実質的に実験が不可能であることが、この注意事項の量に繋がっていると知る。
全てを飲み込み、その力を以て過去へと戻り、術者と使用した者のみ、回帰前の記憶を継続する。
1度の生で作れる回帰薬はひとり分のみだが、回帰後にこの魔法薬を新たに精製し、使用することは可能。
ただし【術式は加護として働き、そこで与えられるものは生涯にひとつだけ】とある──つまり回帰後の精製には、回帰前の術式の条件を引き継ぐことが前提となるようだ。
どうも、人の理の範囲のことはなかったことにされるが、加護は人に非ざる力。
なので消せない……ということらしい。
正しく解析できたとは思うが、習った魔法理論からは大きく外れており、わかっても理解できないことばかりだった。
しかしおそらくそれこそが正しく、人が理解しようとするなど本来烏滸がましいことなのだろう。
ただ興味はあるし、そこに近付く為に学び、僅かにでも歩を進めていくことが、魔術師としての本懐なのだとも思う。
だが今それはいい。
幸運にも、僕は与えられた。
今は、これだけで。
それよりも、回帰をいつにするのかを慎重に決めなければならなかった。
回帰後の立ち回りも、予め考えておくべきだ。
その為に僕は、母国でのゾーイの当時の状況を調べさせ、その流れである女性と会うことにした。
元エヴェルス侯爵令嬢、シルフィア。
トラキレールでのゾーイの友人。
大切に手紙を持っていたことから、大切な友人だったことは間違いない。
僕は手紙を読まず、預かるだけにしていた。
シルフィア嬢……いやベイル夫人はなんと、ラガリテにいた。
除籍し追放された際、行く宛てのない彼女を保護したのが我が国のとある商会で、その嫡男である薬師、コルネリウス・ベイルと結婚していた。
商会が扱っているのは認定済の正規の薬品だが、魔法薬ではない為、流通の規制はされていない。
「トラキレールがエヒーネに狙われていたのはわかっておりました。 なので万全を期し、魔法薬でない薬品や規制外の低級魔法薬を仕入れておくべきだと考え、当時婚約者だった王太子殿下に進言したのですが……それがかの方にはお気に召さなかったらしく」
「トラキレールでは優秀な女性が好まれず、出しゃばりだとされる傾向にあるようですね。 貴女やゾーイのような才媛は疎まれるか搾取されるかだと」
「仰る通りです……ですがそれは文化の善し悪しで、元々『女子供は守るものである』という観念が強いからだった筈でした。 だからゾーイがいくら魔術師になり参戦を余儀なくされても、衛生部隊として後衛で治癒にあたるものだと。 なのに……こんなことなら、『トラキレールには戻るな』と伝えておけば……!」
最後の方は僅かに声を荒らげてそう告げると、ベイル夫人は悔しげに唇を噛む。
ベイル夫妻はトラキレールを出国後、陸路で数国を渡った後、海路でクナを経由、というルートでラガリテに入国したそう。
「クナには数時間程の滞在でしたが、手紙を書いて渡すことくらいできた筈……そもそも私がもっと上手く立ち回り、薬をどうにかできれば……と、悔やまれてなりません」
「……皆そうです。 大切な人を失えば、できなかったことばかりが思い浮かぶ。 貴女のせいじゃない」
それは彼女に向けながら、自分への慰めの言葉でもあった。
ベイル夫人の後悔は、僕の後悔そのものだ。
預かっていた手紙を渡すと、彼女は泣き崩れた。
「努力家で優秀な彼女は、私の希望でした……魔術師になったらたとえ女でも家に縛られず、自立し生きていける……そう思ってたのに……!」
「シルフィア……」
夫であるコルネリウスが、夫人の背中を気遣わしげに撫で、僕に深く頭を下げる。
「妻に代わり、厚く御礼申し上げます」
「遺品となってしまったのは残念ですが、ずっと大切に持っていたようですよ。 私自身、学生時代に彼女から夫人の話を聞いています。 ……今おふたりが幸せなら、それがなによりでしょう」
そう、なによりだ。
おかげで術式の条件──回帰する凡その日付が決まった。
トラキレールでのゾーイを調べるのと同時に、勿論ベイル夫人のことも調べさせている。
調べによると、現ベイル夫人であるシルフィア嬢の婚約は学園入学直後。
正妃の息子である王太子を補佐する為、優秀で血統の良い娘を選ぶのに、王太子が学園に入学するまで同年代の高位貴族子女は婚約してはいけない、というのが不文律としてあったらしい。
入学試験で優秀な成績を修めた彼女は、王太子妃として女性の立場を今より良くする為に、尽力するつもりでいたようだ。
その反面、入学前にはくだらない不文律に踊らされ、婚約を止められている現状を彼女は憂いていたという。
王太子との婚約にも不満があったそう。
(学園には入学させない。 ……それと、彼女には協力して貰う。 コルネリウスにも)
僕自身には最早未練も躊躇もないが、数々の苦労の上に得た他人の幸福の一切を無くすことには、多少の罪悪感がある。
尤も見なければどうということもなかっただろうが、どのみち新たな設定を当て嵌める必要があるなら、相性がいいに越したことはない。
「『君も留学で?』」
「……」
2回目の、ゾーイとの最初の出会い。
王となった僕は、前回よりもずっと感情を隠すのが上手くなっていた筈だった。
しかし生きている彼女にようやく再会できた僕の表情からは、込み上げてくる諸々を隠せていなかったのだろう。
「ええ……少し入学には早いけれど。 貴方も?」
前回とは違い、警戒したのはほんの一瞬だけで、ゾーイはすぐに微笑んでくれた。
──回帰の日は、ゾーイがトラキレールの留学の試験を終えた少し後にした。
あまり時間が戻ると、そこから先の未来の不確定要素も増える……というのもあるが、単純にゾーイの留学試験の合格だけは確定路線になるよう調整したかったのだ。
それは今から数ヶ月前であり、薬を飲んだ時からは、かれこれ10余年になる。
秘薬精製に必要なふたつの条件を、兄はやはり陛下から伝え聞いていた。
調べられなかったし、詳しく教えては貰えなかったが、おそらく他の秘薬精製条件もそうなのだろう。
1度目のこの頃、僕自身にさほどの自覚はなかったが、甘ったれで頼りなかった僕が急に落ち着き成長したこともあって、回帰のことは簡単に信じて貰えた。
陛下も健康なので、ラガリテの方は問題はなかった。
むしろ時間を要したのは、シルフィア嬢とのコンタクトと、彼女の生家であるエヴェルス侯爵家にコルネリウスとの婚約を捩じ込むこと。
身分の違いは彼に、『王子付きの宮廷薬師』という地位と男爵位を与え、対応した。
多少格差はあるが『王子の命を救った』という事実無根の美談と、『恩に報いる為に、是非とも彼の望みを叶えたい』というラガリテの王子直々の書簡を持たせるという小細工付き。
コルネリウスは、シルフィア嬢に恋していることになっている。
幸いなことにエヴェルス侯爵は、シルフィア嬢が1度目で『善し悪し』と語っていたような、女性が表舞台に立つのを良く思わないと同時に『女子供は守るものである』という観念を持った人だった。
『愛され、望まれて嫁ぐのが女の幸せ』と考えている一方、それが娘の望む幸せと乖離していると理解していた侯爵は、これを受け入れた。
勿論、コルネリウスの授爵や直々の書簡だけでなく、それなりの結納金だとか、色々と小技は駆使したけれど、思いの外すんなり通ったと言っていい。
彼は元々、聡明過ぎる娘をよく思ってはいなかったものの、ゾーイの父のように、理不尽に認めていないわけではなかった。
それは1度目のようになるのを懸念してのことであり、王家の強いた暗愚の王太子の為の不文律も不満だった様子。
そのあたりが功を奏し、名目だけでも『他国に嫁がせるしかなかった』となるようなそれらしい状況を作り、王家に囚われるまえに娘を逃がそうという意図があったようだ。
商会がエヴェルス侯爵家と懇意にしており、実際にコルネリウスが優秀な青年であることを知っていたのも大きかった。
多少の格差はあれど、ただの商家の青年だった男が娘を娶る為に努力し授爵、王子に気に入られ望みを叶えるに至った……とあって、悪い気はしなかったようだ。
少なくとも『王太子よりはマシ』と思ったに違いない。
これがかなりのハードスケジュールだったと言っていい。主に、時間的な意味で。
当然ながら、陛下と兄以外には回帰のことを話したりしていない。
トラキレールはそれなりに距離があり、小技の為の事前準備はほぼ突貫工事だった。
コルネリウス自身が、想像以上の活躍を見せてくれたのに助けられたと言っていい。
恋情とは少し違うが、彼もこの時既にシルフィア嬢に好意を抱いていたようだ。
それにこの国の女性への扱いに対し、以前から思うところもあったらしい。
時間と労力、金銭を含めかなりの投資をしたけれど、正直なところこれについては失敗覚悟でした行為。
ここまで上手くいくとは思っていなかった。
シルフィア嬢とのコンタクト役は勿論コルネリウス。
僕のことは自分の友人として語ってもいいが、僕がゾーイを知っていることは伏せて欲しい、とした上で、くり抜いた小説に金を入れ『シルフィア嬢から』としてゾーイに渡すよう、言いくるめて貰った。
これについては、経験豊富な商人でもあるコルネリウスには簡単だったようだ。
上手くはいったが、ゾーイと実際に会えるまで、不安でいっぱいだった。
彼女と再会し、ようやく一息つけた、と言っていい。
しかし、まだ終わってはいない。
回帰後、陛下と兄と僕三人で話し合った結果、あまり不用意に動くと早々に別の手段を取られる可能性が高くなる、という結論に至っていた。
多少のリスクはあるが噂や間者は敢えてそのままにし、むしろ乗っかるかたちで回避をし、ギリギリで炙り出す……という方向で決定。泳がせている間に確固たる証拠を集め、エヒーネではなく帝国、ジルクザーストに訴えることになった。
陛下曰く──
「ジルクザーストの王は、表向きエヒーネ王……元帝国第八皇子を寵愛しているように見せているが、それは違う」
現帝王は血に塗れた帝国の歴史を自分の世代で是正すべき、と考え動いている穏健派。
第八皇子にエヒーネを与え独立を許したのは、帝位を狙う皇子を帝国議会から穏便に追い出し、中央貴族から引き離し皇太子を守る為の措置だと言う。
満足したかに見えたエヒーネ王の度重なる暴挙に、まだ帝位を狙っていることが窺い知れ帝王も頭を抱えているが、彼は知己にも長け国際法に触れるギリギリの行為で領土を広げており、なかなか尻尾を掴ませない。
最早粛清すべき対象としながらも、これまでの自分の治世から理由なくしてはできず、手をこまねいているのだそう。
「予め事象がわかっている以上、我が国だけを守ることは容易い。 だが『薬の国』ラガリテとして、矜恃を見せねばなるまい」
その言葉は、兄が前回自ら罪を被り自死したことを僕に思い出させるに充分だった。
(やはり僕に王は向いていないな……)
そのことに、安堵した。
私情で動いた結果の回帰だが、判断は間違っていなかったのだから。
学園とは入学前に相談、交渉することになった。
中立国であり、なにより魔法や魔術を尊ぶクナの学園の魔術師達は、戦やそのために魔術師達が利用されることを望んでいない。
最近のエヒーネは目に余る、と憂慮していたらしく、定期連絡用に魔道具を貸し出してくれた。
これを提案したのは兄で、学園の規則に囚われていた僕にしてみれば、目から鱗が落ちる気持ちだった。
──入学後。
「アーノルド先生」
「ん?」
「少し相談したいことが」
あまり目立ってはまずいので、突出しない程度に優秀な成績を修めた僕は、アーノルド先生に『可能であれば、少し早目に卒業したい』という相談をした。
「ロイ。 君の事情は知っているが、卒業に関しての前例を学園は認めない」
「そうですか……」
先生はそう言ってペンをくるくると回しながら、眼鏡の下から訝しげな視線を寄越す。
「そもそも卒業や魔術師認定は、君に必要のあることとも思えないが?」
「……念の為です」
「ふぅん?」
そう、念の為。
再び回帰薬を精製しないとは限らないから。
必要な要素として書かれていた『魔術師の技術』だが、純粋に技術のみを定義しているかはわからない。
魔術師の歴史は古く、学園には秘匿されている情報も多い。歴史がわからないだけに、魔術師の証とされる腕輪が関係している可能性は捨て切れない。
(やはり卒業は必要か)
だがラガリテのことも心配だ。
定期連絡からは、1度目で得た情報以上の不穏な気配は今のところ感じられないが、なにかあったにせよ対応に充分な時間は確保しておきたかった。
回帰薬は、どうにもならないことに対する最後の手段であるべきだ。
あれは人の理から外れたもの──仮にどんなに多用したとしても、その罪と畏怖を忘れることだけは許されない。
(できれば卒業前半年……いやもう少し前に帰国しておきたかったのだが)
「……卒業を早めることはできんが、再入学自体は可能だ。 君の場合、成績に問題があるわけではないからな。 再入学時に退学時の学年から始めることならできるかもしれん。 それで構わないなら、学園長に確認してみるが?」
「っあ、ありがとうございます……! 是非お願いします!」
「まあ、普段教師など必要ないぐらい涼しい顔した優等生がそんな思い悩んだ顔してりゃ、いくら俺だって聞くぐらいのことはしてやるさ」
聞くぐらい……そう言ったものの、先生は交渉してくれたようで、在学中の学年からの再スタート以外にも、修了学期の次からという選択を可能にしてくれた。
学園は二学期制であり、前期と後期の間には休みではなく各々の研究の為の期間が設けられている。
僕は最終学年の前期まで履修し、帰国すると決めた。
「ゾーイ、君が魔術師になるのを楽しみにしてる……卒業したら、会いに行っても?」
「ロイ……ええ、楽しみにしてる」
1度目の後悔もあり、本当は気持ちを伝えたかった。
しかしまだ終わってはいない。
(会いに行く。 今後の憂いを払ってから。 その時には──)
そう、思っていた。
帰国はコルネリウス・ベイルの実家の商会の持つ商船で行い、公には知らせていない。当面の滞在先もホテルだ。
「エヒーネを片付けるのに、ヒルベルトの即位を早めたかった。 帰国してくれてなによりだ」
計画は順調に進んでおり、エヒーネの謀略の証拠は着々と集まっている。
それらをさりげなく渡した後、速やかに粛清を行う手筈を整えて貰う為に、ジルクザーストの王と接触する機会が必要だった。
その為に即位式を行う計画を立てるも、僕が卒業できなくなることに懸念を示し、参加をどうするかと予め聞かれていた。
返事は勿論『是』で。
代わりに再入学について相談をすると、僕が帰国を考えそこまで調べていたことに感動されてしまった。
1度目の僕は、ふたりにとっては本当に子供でしかなかったのだろうな、と苦笑……いや、自嘲が漏れる。
自分でも驚く程、認められた喜びや面映ゆい気持ちはない。ただ同じ轍を踏んでいないことが、救いだった。
帝王宛の即位式への招待状には、密書を入れ込んだそう。
どうやったとか、なんて書いたかとかは教えて貰えなかったが、『端的に言うと粛清の準備をして待てという内容』らしい。
ギリギリまで悟られないよう、即位式は強引に行うように見せなければならなかった。
また、それでも帝国からは皇太子ではなく帝王が来たことで、密書の内容が確実に伝わり、粛清の準備が整っていることが窺えた。
事実、ジルクザーストにより、エヒーネ王が粛清されたというニュースが耳に入るようになるまで、数日とかからなかった。
兄が即位し、突然現れたまだ留学している筈の僕がそこで恭順の意を示すと、国内貴族は歓喜と安堵に湧いたが、こと安堵について言えば僕程安堵していた人はきっといない。
(終わった……ようやく……)
エヒーネのトラキレール侵攻は行われることはなく終わった。
これでゾーイが参戦することはない。
だがやはり現実は無情で、僕はやはり詰めが甘いのだと知る。
ゾーイは彼女の父であるクロンメリン子爵の命で、学園を辞めて帰国し、結婚してしまっていた。
帰国からひと月程の婚姻だったという。
子爵家での彼女の扱いを考えれば当然のことだが、式には学園の友人達は誰も呼ばれなかったようだ。
今回その話を聞いたのはコルネリウスからで、ベイル夫人が定期的にエヴェルス侯爵家と連絡を取っていたことで知り得た情報。
ゾーイへの入学前の支援を知っているコルネリウスが、いち早く僕に伝えてくれたのだ。
この結婚がろくでもないものであろうことは、想像に難くない。
ベイル夫妻を連れて行き、お忍びでトラキレールへ向かった。
「──こんなことなら、『トラキレールには戻るな』と伝えておけば……!」
「……」
往路の船の中、ベイル夫人はそう嘆く。
1度目にも聞いた夫人の台詞に、胸がザワつく。
入国後、お忍びだけになにもできない可能性も考慮し、エヴェルス侯爵家に連絡を取り、協力を要請してからゾーイが夫と住むという、クロンメリン子爵領内にある真新しい邸宅へと向かった。
しかし、家人は『奥様も旦那様も不在』の一点張りで、まるで話にならない。
「エヴェルスはのクロンメリンの寄り親で、騎士団もこちらが。 多少の無茶はききます」
「そうか」
連れてきた少数のラガリテ騎士と、ベイルの商会が雇った傭兵と、エヴェルスの領騎士。
それなりに金をかけてはいても、平民の豪商風情の警備兵などが敵う要素などはなく、無理矢理だがスムーズに邸宅へ押し入った。
だが、時は既に遅く──
僕等が再会したのは、変わり果てた姿のゾーイだった。
彼女は夫婦の寝室のベッドの上に、傷だらけのまま寝かされていた。
痩せた身体を僅かにも動くことはなく、虚ろな目が視点を定めることなく、漠然と宙に向けられている。
「ゾーイ! ああ、ゾーイ……ッ!!」
僕はベッドまで走り、骨の浮いた彼女の身体を抱き寄せた。
魔術を展開し、彼女の身体に負担が掛からない程度に魔力を送り治癒力を上げながら、同時にこちらからも治癒を行う。
「……………………殿下」
「お気持ちは、お察し致します。 ですが……彼女は、もう」
誰かの声が聞こえた。
それでも僕は、護衛に拘束されるまで治癒を続けていた。
「兄さん。 どうか……僕に血を、くれないだろうか」
「ロイ……」
回帰薬に必要なのは、加護を与えられた血族の主となる者──王の、血だ。
「戻るつもりか」
「はい」
魔法薬を使い、回帰したことをすぐに信じてくれた兄と父だが。
経緯は聞いても、魔法薬の精製方法は勿論、回帰すると記憶はどうなる、とか、今はどうなる、とかの一切を聞かなかった。
申し訳ない、とは思う。
だがもし聞かれても、その部分を共有する気はなかった。
「ロイ」
そう僕の名を呼んだ、兄の声は優しい。
「お前が始めたことだ。 悩むことはない……最初からそうだったのならきっとそれでいい」
「兄さん……!」
──そう、最初からそうだった。
見付けたのは偶然だったし、王として在る為だったのも嘘じゃない。
兄や父の死が辛くなかったわけではなく、当然生きていて欲しかった。それが間接的だとしても、ふたりの死が頼りなく甘ったれた自分のせいだと強く感じ、やり直せたら、とはいつだって思っていた。
それでも僕があんなに必死だったのは、他の誰でもなく……ゾーイに生きていて欲しかったからだ。
「『君も留学で?』」
──そして回帰した僕の、3度目が始まった。
兄から貰った血で、僕は再び回帰薬を精製した。
敢えて、学園には戻らなかった。
失敗しても、おそらく回帰薬としての術式が作動しないだけ。回帰薬として作用しない以上、『精製された』とはならない。薬液の原材料の成分的にも、多少具合が悪くなる程度……そう考えた僕は、まずこの状態で成功するかを、今試す必要があった。
ゾーイに生きていて欲しい──それが回帰を繰り返す目的であっても、兄と父、そして祖国を放置するつもりなどはない。
(そんな気もないけれど……きっと、そうしてはいけない気がする。 ラガリテの王族が賜りし加護が関係しているなら)
2度目の成功を思うと、やはり僕は一旦最終学年前期で帰るべきだと思う。
だがそうすると、自国の民ではないゾーイを、父親から救うのは難しくなるだろう。
ついでで始めたような割に手間のかかった、後のベイル夫妻に割いた時間を使うにしても、ベイル夫人とゾーイでは置かれた環境が違う。
手回しは大変だったが、僕自身、彼女の為に動いたわけでもない。そもそも彼女の未来自体は大して変わっておらず、2度目も結局は1度目同様、コルネリウスの力が大きい。
その後のふたりの活躍も考えると、下手に変えるのは悪手としか思えなかった。
それを含め、予め手を打とうにもゾーイか彼女の実家になにかするタイミング、というのがあまりにない。
2度目のやり方では、なにかを働きかけられる状況にないのだ。
トラキレールへ戻らないよう、在学中にゾーイを説得するのも、また難しい。
真面目な彼女に、理由なく自分の責任から逃れるような真似をしろ、と言ってもまず無理だ。
全て話せば……というのも、現実的ではなかった。信じる信じないの話ではなく、共に過ごしているのが『クナの魔法学園』であることがネックなのだ。
魔術師達に回帰薬の存在を知られる可能性がある。
2度目で力を貸してくれたとは言え、これに関しては信用出来る相手ではなく、下手したらエヒーネよりも厄介なことになるだろう。
(もし、これが成功するなら)
そうして成功した3度目の回帰で、魔術師の腕輪は必要ないことが判明した。
僕はほぼ前回と同じ様に動いたが、ひとつだけ違うことを行うと決めていた。
「陛下……いや、父さん。 僕に血を、わけてください」
3度目の回帰。
僕は意を決し、入学前に回帰薬を作った。
そして、学園を去る日、彼女に渡した。
「君が本当に辛くて、もうどうにもならないと思った時、どうかこれを飲んで欲しい」
『術者と使用した者のみ、回帰前の記憶を継続する。』
僕は、あるかわからない4度目に賭けることにしたのだ。
──彼女の意思と共に。




