ロイ視点:愛され王子が絶望し王になる話
「君も留学で?」
そう声を掛けたのが、ゾーイとの初めての出会い。
学園への入学には少し早いが、きっと僕と同じ新入生だ──そう思って。
「……そうだとしたらなにか?」
1回目だけは酷く警戒された為、返ってきた返事はすげないもの。
下心がなかったとは言わないが、別に男女の関係を期待したものではなかったから、僕は慌てて弁解をした。
「あっ……? ご、ごめん不躾に! ……あ、僕もラガリテからここに留学に来た新入生で、君の荷物を見て同じかなって思ったら嬉しくて! その、ちょっと早いけどもう待ちきれなくてクナに」
「──ふふっ」
それが功を奏したらしく、笑顔になった彼女は警戒を解いてくれた。
「私も同じよ。 ……ごめんなさい、旅慣れなくてつい」
「いや当然だよ。 突然でびっくりしたよね? 僕はロイ・ブラウニング。 ラガリテから留学に……名前を聞いても?」
「ゾーイ・クロンメリン。 トラキレールからよ」
後で思えば彼女の洗練された所作は貴族のそれだったけれど、自分の振る舞いの正解がよくわからなかった僕はそれに気付くことはなく。
ただ急に緊張して、汗ばんだ手のひらを拭ってから求めた握手は、きっととても不格好だっただろう。
「よろしく、ロイ」
応じてくれた彼女の手は白く柔らかかったけれど、よく見ると指にはペンだこが出来ていて。
それがなんだか嬉しくて、僕はクナで始まる学園生活の期待に胸を弾ませていた。
僕の本当の名はアロイシウス・ファン・デル・ラガリテ──ラガリテの第二王子だ。
ラガリテは『薬の国』と言われ、多くの魔法薬を精製し、他国に卸している。
それが王族の授かりし精霊の加護ありきであることから、長らく他国の侵攻を免れてきた。
だがその影響がないわけではない。
戦好きと評判の、帝国・ジルクザーストの第八皇子が賜った領地エヒーネを独立国としてからは、薬の輸入量を増やそうとあからさまに圧力をかけてくるようになっている。
周辺諸国への戦の気配が色濃く滲み、それはラガリテ国内にも不穏な空気を齎していた。
「兄さん、留学して本当にいいの? ……魔法学園は入学したら、卒業か退学するまでクナから出ることは許されないのに」
「ふ、その為に今まで努力してきたのだろう?」
僕は幼い頃から薬学に興味があり、特に魔法薬には夢中になった。
王家には様々な魔法薬の精製法が残されているが、古代語で書かれた魔法や魔術を用いる部分は解析されないまま放置されており、大半が意味不明……それでもひたすら読み漁って、気が付けば夜が明けていることもざらにあった。
クナの学園で学ぶのは幼い頃からの夢。
ラガリテからクナまでは船で3時間程と近いのもあって、休暇になると意味無くクナまで行き、港町から学園を眺めたりした。
僕はかなり自由を許されてきたとは思うけれど、それでも王族だ。
年齢を重ねると共に夢だけでなく、留学はこの先臣下となり、兄の治世を支える為の知識を得る為、というのも目的のひとつになっていた。
「そうだけれど……こんな時だよ?」
夢であったのも努力していたのも事実だ。
確かに平和な時分なら迷わず留学しただろう。
だが、それは今このような時に優先していいこととは、僕も流石に思ってはいなかった。
尤も『まだ15で、薬学ばかりを勉強しているお前になにができるのか』と言われればその通り。大してなにもない。
それでも古代語を修得する一環で、多言語には精通している。なにかの役には立つ筈だ。
「僕だけが王族としての責務を果たさないのは──」
「いいや、ロイ。 お前がクナで得た知識や技術はきっとこの国の……いや世界の力になる」
「兄さん……」
「お前には才能と情熱がある。 古代語で書かれている内容の解析までには至らずとも、読めるようにまでなるなんて、研究者も舌を巻いていたじゃないか。 燻らせては勿体ない……そう心配せずとも、なんとかするさ。 兄を信じろ」
安心させるように兄はそう笑い、揶揄うように続けた。
「留学では従者もいないんだ、むしろ早目に行って慣れろ。 環境と、平民ぶりっ子にな」
──学園での日々は、素晴らしかった。
友人達は個性が強く少々変わっている者が多かったけれど、彼等は僕に新しい視点や考え方を与えてくれた。
それに気付けたのはゾーイのお陰だった。
僕は人当たりがいい方だけど、彼女と出会うまで、あまり他人やその考えに興味を抱いたりはしなかったから。
もし最初に出会ったのが彼女でなければ、学園生活で得られたものはきっとまた少し違っていたのではないかと思う。
個性の強い友人達は度々衝突し、喧嘩になるようなこともあった。
それを宥めるのは大抵僕かゾーイ。
「皆は『また押し付けられてる』とか言うけれど、どっちの考え方も面白いってだけなんだよね」
「わかるわ。 アプローチの違いって、新鮮な発見があって聞いていて飽きないもの」
ゾーイはとても魅力的な人で、僕はあの時声を掛けたことで、結果的に一番近くの場所を手に入れた幸運に感謝していた。
魔法薬以外でこんなに心が踊ったのは初めてで、それが恋だとわかったのは結構後のこと。
ただでさえ朴念仁だった僕は、この気持ちに戸惑い、関係が壊れるのが怖くて友人以上の好意を伝えることはできずに卒業した。
(きっとまた会える)
そんな甘い考えで、締め付けるような胸の痛みに浸ったまま。
クナの魔法学園という特殊な環境下で、ひたむきに勉学に励んでいた僕を待っていたのは、遮断されていた外の情報と無情な現実だった。
「すまない……ロイ」
「兄さん……! なんでこんな……ッ」
帰国すると、父である国王陛下が毒に倒れ、その犯人として王太子である兄、ヒルベルトが投獄されていたのだ。
「まんまと嵌められた。 よく聞けロイ……エヒーネから刺客が入り込んでいる」
我が国が要求を飲まない姿勢を貫くと、エヒーネは他国への魔法薬の供給を滞らせることに手段を切り替えてきた。
まず周辺諸国にラガリテ王族の不仲を匂わす噂を散りばめ、耳聡いラガリテの貴族達の不安を煽る。
その後、留学で僕がいないのをいいことに『第二王子の留学は、王太子が彼を陛下から遠ざける為に目論んだこと』『陛下は優秀な第二王子に王位を継がせたい』という話を捏造して国内に広め、今まで存在しなかった第二王子派閥を作りあげたのだ。
『焦った王太子が、即位を早める為に陛下に薬を盛った』──それが事実かどうかの判断を難しくし、内政に混乱を及ぼす為に。
「既に交易どころじゃなく、流通は止まっている。 エヒーネはどこかに攻め入る気だ……それはもう止められないが、奴等の思い通りにはさせない。 させてはいけない。 いいかロイ、お前は王になるんだ」
「兄さん?! それは──」
「陛下はもう、もたない。 一刻も早く態勢を立て直すにはそれしかない」
「そんなッ! 考えなお……うっ?!」
僕は騎士に意識を刈られ、呆気なく倒れた。
兄の護衛騎士、バルトルト・ボーイェンだった。
その間に兄はしてもいない罪を認め、毒杯を煽っていた。
「こんな……こんなことって……ッ!!」
どうしてひと月──いや半月、せめて一週間でいい、待ってくれなかったのか。
僕が魔法薬を精製するまで。
父の体調さえ戻れば、なんとかなった筈だ。
しかしそれは正しいが、間違ってもいた。
クナからは出る為の条件は変わらないし、情報制限は行われているにせよ、手紙は送れる。それが届かず卒業を迎えたの自体が、エヒーネが前から巧妙に動いていたことを示している。
予定通りの僕の帰国は奴等にとっても予定通りであり、この時点で既に詰んでいたのだ。
エヒーネに貴重な魔法薬の精製国である我が国を潰す意図はなく、目的は内政の混乱による流通ストップ……やり方はどうあれ、僕の帰国後の兄の判断は迅速であり、確かにそのスピードこそがこの場合の最適解と言えないこともない。
「殿下。 ヒルベルト様を偲ぶなら、ヒルベルト様に感謝されるなら、早急にかの方のご意志を。 私も彼も、その為に生き長らえているのです」
そう言ったのは兄の側近で親友だった男、ペーテル・メイエル。
彼の目の下には隈が浮き出ており、顔色は青を通り越して真っ白で。
きっと、寝ていないのだ……やり切れない気持ちのまま、兄の意を汲んで現状を打破する為に。
立ち上がるしかなかった。
王となった僕を待っていたのは、慣れない政務に追われる目まぐるしい日々。
束の間、ゾーイのことに思いを馳せる……という余裕すらなかった。寝る時間すらろくに取れなかったのだ。文字通り夢も見る暇がなく、眠れるときは意識を失うように眠っていた。
最初は傀儡の王も同然だったが、幸いにして皆親身になってくれた。別にそれは僕に魅力があるとか、皆が優しいからとかではない。
直系の王族が、もう僕一人だったからだ。
兄が自ら毒杯を煽った理由のひとつは、エヒーネによる他国の蹂躙に、我が国が利用されたことが許せないからだけじゃない。
おそらく、僕の身を確実に守ろうとしたからでもあるだろう。
指示されたことを熟しながら、同時にそれ自体を学びとし、ひたすら覚え、都度考えては質疑応答を繰り返す。
口調や振る舞いも父や兄を参考に王らしく変え、それも板についた。
ようやくなんとか王として体裁が整った、ある日のこと。
学園の恩師であるアーノルド先生から荷物が届き、僕はゾーイのことを思い出した。
しかし荷物の中に入っていた手紙に書かれていたのは──彼女の訃報だった。
エヒーネが狙ったのは、食糧資源の豊富な彼女の母国、トラキレール。
魔術師となった彼女は騎士として参戦していたそう。
魔法薬が少ないことで衛生兵ながら部隊長として前線に駆り出された彼女は、疲弊しながらも兵士達を懸命に癒し、戦ったという。
我が国の流通再開が思いの外早かったことが功を奏し、エヒーネ軍は撤退を余儀なくされた。
しかし白兵戦となっていた最前線では、戦慣れしているエヒーネ軍に分があった。
トラキレールの兵士達は多数負傷し、部隊は散り散りに分断されており、その報告はゾーイのところまで届かなかったのだ。
しかし、ゾーイは戦死したわけではなかった。
分断され潜伏していた先で傷を負った部下の治療にあたっていた彼女は、その部下から陵辱され自害したらしい。
荷物の中には彼女の遺品が入っていた。
それは彼女の友人からの手紙と、街に出た時に僕があげた小説。
そして母親の形見である懐剣。
出征の折りに、ゾーイが持ってきた生活に必要のない私物はこれだけだったそう。
懐剣はそれなりに価値のあるものだが、自害に使ったせいか、実家は受け取りを拒否したらしい。その場合、一年保管後に売りに出すと言うので、融通して貰ったようだ。
手紙は友人女性に渡そうとしたものの、高貴な家の女性だった彼女は、トラキレールの王立学園で問題を起こし除籍し追い出されていた。
その後の行方はわからず、短い先生の滞在期間では調べられなかったとのこと。
『彼女の大事な物なら、君が持っていた方がいいだろう』──との言葉で締め括られていた。
「陛下……顔色が、」
「────あ……僕は…………あ、……あぁっ
……あああぁぁぁぁぁああああ!!!!」
「陛下ッ?!」
僕は叫びながら机の上の物を腕で払い落とし、落ちた物をひたすら踏み付けた。
なにかのガラスの破片が足に刺さり、血が流れる。
「陛下、血が!!」
「やめろ! 陛下なんて呼ばないでくれ……!! 皆死んだ! ……皆死んだんだ!」
「陛下……」
「…………陛下だなんて、僕は」
騎士達に拘束された時には、僕は既に無抵抗だった。
ソファに座らせられ、足に刺さったガラス片が抜かれた後、勝手に魔力が巡り傷口が塞がっていくのが感覚でわかり、嘔吐した。
──陵辱され自害。
(ああ……せめて)
すんなり死ねているといい。
死ねなくて長く苦しんだのではない方が、まだ。
魔術師は肉体の治癒力が高いから。
敵軍撤退後、治療にあたっていた部下からなんて、随分な話だ。
あまりにも惨い。
彼女はもっと幸せになっていい人なのに、そうなると思っていたのに、まさかこんな最期を迎えるだなんて。
(……………………狂ってる)
運ばれたベッドの中、鎮静剤を飲まされ、ぼんやりする頭でそんなことを思う。
考えてみると、どれもあまりに馬鹿馬鹿しく理不尽だった。
「陛下……ご気分は如何ですか」
「最悪だ。 大体なんだよ第二王子派って。 どう考えても兄が相応しかっただろ? なんで皆騙されたんだ? どうして僕に手紙が届いていない? 兄は本当に死ななきゃいけなかったのか? 彼が王だった方が──戦が起こってなければ……」
ゾーイも死ななかった。
言っても仕方ない言葉を呪詛のように吐き出して、僕は泣いた。
そういえば、今まで涙が出ていなかったことに気付く。
「…………すまない、少しひとりにしてくれ」
くだらない。どうかしている。
要らない奴等ばかりがのうのうと生きている。
僕を含めて。
寝返りを打つと、ゾーイにあげた小説が目に付いた。
『──あ、コレ』
『ゾーイは小説読む方だっけ?』
『嫌いじゃないけれど、正直、あまり読まないわね。 母国の友人がコレをお勧めしてくれていたのを思い出して……ふふ、私にピッタリの内容だって』
(『読まずじまいだったけどね』と、少し寂しそうに彼女が笑ったから、あげることにしたんだっけ……)
気持ちを悟られるのが怖くて、こんなものしかあげられなかった。
ひとつ思い出すと、とめどなく彼女との思い出が流れてくる。
『ねえロイ、貴方ラガリテからって言ったけれど、この街には何度か?』
『うん、近いからね』
初めて会った日。
入ったカフェでそう聞いたゾーイの目的は、質屋だった。
『ああ、宿?』
『それもだけど……実はお金がなくて。 所持品を売るつもりで来たから』
母の形見の懐剣──それを売るつもりだと知った僕は、『この懐剣の鞘には術式が組み込まれているみたいだ』などと適当なことを言って、『研究したいから』と鞘だけ売って貰い、鞘は卒業式に返した。
同情にしてはあきらかに行き過ぎていた。
(好きだったんだ……きっと、最初から)
僕はどうしようもなく愚鈍で、いつも大事なことに気付くのが遅い。
気付いた時には手のひらから零れ落ちている、とか言うけれど、そんなのまだマシだ。
零れ落ちてから、振り返ってようやく気付くなんて、愚鈍にも程がある。
売ろうとしていた形見の懐剣のことや、友人に勧められた『私にピッタリ』という小説のあらすじから察せられる内容からも、彼女が家と折り合いが悪いことだって容易に想像できた筈だ。
(いや……違うな)
僕を変えたのはゾーイで。
それまでの僕は、合わせるのが上手いだけの、他人に興味のない人間だった。
いざ興味を抱いてみれば、怖くて自ら壁を作ってしまっていた。
だから当時の僕にはそんな想像力など働かなかった。
それだけのことだった。
──それから。
「昨日はみっともないところを見せた。 また、私を支えて欲しい」
「勿論です」
「ペーテル、バルトルト、君達には苦労をかける」
「いえ、我々がそれを謝罪すべきでしょう……ヒルベルト様をお止めできなかった」
ペーテルがそう言うと、普段、滅多に喋らないバルトルトも続ける。
「陛下は我々の想像以上の、主たる姿を示しておられる。 ヒルベルト殿下は陛下だからこそ未来を託されたのだと、皆理解しております」
(僕だからこそ、か)
『お前がクナで得た知識や技術はきっとこの国の……いや世界の力になる』
誰よりも僕の努力を評価し可能性を信じてくれていた兄が、かつてくれた言葉を思い出す。
ずっと守ってくれていた優しい兄だ。
僕に『王として』未来を託すのは、本当は不本意だっただろう。
だけど──
(兄さんの言葉を、僕自身を信じるなら)
「ふたりは……私を信じ仕えてくれるか?」
「無論、この命を賭けて」
「変わらぬ忠誠を捧げます」
僕はこのラガリテ王家に伝わる魔法薬……王家の秘薬の研究を始めることにした。
王にさえならなければ、元々その予定だったのだ。
環境が整ったとは言い難いが、関係諸国の情勢を含め、多少の時間がとれるまでになってはいた。
ふたりを始めとして手を回して貰い、僕がやる仕事を振り分け時間を捻出。それを研究時間に充てた。
勿論、僕の仕事も最低限とはいかないし手は抜けないが、研究をすることで逆に集中力は上がり、能率は悪くなかった。
王になった後に研究を始めたこの時、具体的ななにかをしようと考えていたわけではない。ただ、僕には研究が必要だった。
僕に信じ、誇れるなにかがあるとしたら、もうこれしかない。
それは僕がラガリテの王として在るのにも、必要なことだった。
「──! これは……!」
古代語はただでさえ難解であり、まず訳して読むのが困難。読めるようになっても、詩のような持って回った表現と変則的に見える構成により、暗号じみていた。
だから、それを見付けたのは全くの偶然だった。
【過去の自分に戻る秘薬の精製】
その後の僕は、寝る間や飲食の時間すら惜しみ、この魔法薬精製に充てた。
王として以外の僕の、持つ全てを使って。