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聖女の行進  作者: 円夢
1/3

1.

 魔王が斃され、勇者一行が帰還したその日、私の恋は砕け散った。



 アルヴェリア辺境伯領。

 国境にそびえる城壁の向こうに、かつて隣国だった荒れ地が広がるそこは、我が国における対魔王戦の最前線だった。

 全てを失い、さいはての修道院行きを宣告された私がここに送られたのは、貴族学院を卒業した春のこと。


 補給物資を積んだ荷馬車と共に、王都から何日も旅を続け、明日は領都に入ろうかという矢先、魔物の群れに襲われた。

 たちまち馬車は引っくり返り、馬は(いなな)き、人の悲鳴と魔物の咆哮が交錯する。

 荷台から地面に投げ出され、逃げなきゃ、と思った時には、周り中が魔物でいっぱいだった。

 中の一匹と目が合って、ああ、ここで死ぬのかと妙に冷静に思ったことを、今もはっきり覚えている。


 だが、次の瞬間。


 澄んだ角笛の音と共に、目の前に鮮やかな紺青が翻った。

 鎧姿の大柄な騎士が、私に襲いかかろうとしていた魔物の前に立ちはだかったのだ。

 大地を蹴って跳躍した魔物を、その人は長柄の斧(ハルバード)の一撃で斬り伏せた。そのさまはまるで伝説の勇者のようで、私はへたりこんだまま、奇跡的に無事だった眼鏡越しに、彼が斧を振るうたびに波打つ海色のマントや、ヘルムからたなびくアッシュブロンドの髪を、茫然と見上げるばかりだった。


 気がつけば、魔物はすべて塵と化し、生き残った人々が、騎士たちと協力して倒れた馬車を起こしたり、逃げた馬を捕まえに行ったりしていた。

 先ほどの角笛は、領都から救援に駆けつけた辺境騎士団のものだったのだ。


 私の命の恩人は、無造作に斧を投げ出すなり、私の前に跪いた。


「大丈夫か。怪我はないか?」


 言いながら兜の目庇(バイザー)を上げれば、王都で見慣れた女顔のイケメン達とはまるで違う、威風堂々とした男の顔が現れる。マントと同じ海色の瞳。しっかりした太い鼻筋の下に、髪よりやや濃い金色の口髭をたくわえているところも、いかにも成熟した大人の男という感じで頼もしい。


「……っ、ありがとうございます。おかげさまで助かりました」


 慌てて頭を下げる私に、


「なんの。それが俺の仕事だ」


 と白い歯を見せて笑った彼は、ドルフ・ディ・アルヴェリア。

 アルヴェリア辺境伯その人だった。


 その日から、彼は私のヒーローになった。


 魔王復活の報は、大分前から我が国にも届いていたが、魔王城から遥かに遠く、大陸の南端に位置する王都に暮らす人々にとって、それはまだまだ他人事だった。

 華やかに着飾った男女が街路を行き交い、社交シーズンともなれば、王宮や貴族のタウンハウスは毎日のように茶会や夜会で賑わう。


 けれどもここ辺境伯領は、魔王の領土に最も近い北の国境に接しており、日増しに強く、数を増していく魔物達との戦いに、住民たちは早くも危機感を募らせていた。


 そんな中、私はすぐに人々の耳目を集めることになる。

 というのも――。


「シスター、怪我人だ。三人! 羊の群れにドゥンギが紛れてた!」


 修道院長の言いつけで薬草を摘んでいた私のもとに、どやどやと人々がやってきたのは、ここへ来ていくらも経たないある日のことだった。


 ドゥンギは他の生き物に擬態する魔物だ。力はさほど強くないが、牙に特殊な毒があり、咬まれれば血行が阻害されて、最悪壊疽を起こしてしまう。

 運び込まれた三人のうち、一人は血を流す腕を押さえながらも自分の足で歩いており、気絶した一人はがっしりした老人に担がれ、残る一人は担架の上で呻いていた。


 私は彼らを一瞥するや、矢継ぎ早に指示を出す。


「腕を怪我した人はこのまま教会へ。この傷口は咬み傷じゃないから、初級ポーションで洗浄すれば大丈夫。気絶してる人は手首の捻挫と、肩を脱臼してるわね。捻挫は湿布するとして、この中に肩を()められる人は?」

(わし)がやろう」


 進み出たのは、彼を担いできた老人だった。


「オーケー。それじゃここに寝かせて。私が身体を押さえるわ。いい? 一、二、三!」

「むん!」


 老人が外れた腕を正しい位置に戻した途端、気絶していた男は「ぎゃっ!」と叫んで目を開けた。私は魔法で氷を出すと、水筒代わりの皮袋に詰めて即席の氷嚢にする。


「よかった。その様子なら教会まで歩いていけそうね。肩はしばらくこれで冷やして、手首はアルニカの葉で湿布してもらって。後で様子を見に行くわ。次」


 残るは、担架で運ばれてきた身なりのいい若者だ。今も盛んに呻いているが、私は彼には目もくれず、先ほど脱臼を治してくれた老人のほうに向き直った。


「肘と膝の痛みはいつから?」


 老人は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにふんと鼻を鳴らした。


「儂なんぞよりそっちの若いのを見てやれ。さっきからぎゃーぎゃーうるさくてかなわん」

「もう見たわ。両掌に擦過傷、大腿部と上腕の筋肉に軽度の炎症。腿と腕は単なる筋肉痛だし、そもそも今日負った怪我じゃない。掌は水できれいに洗っておけば、あとは自然に治る傷よ」


 そんなことより、と、再び老人に向き直った私の腕を、担架の若者がぐいと引いた。


「待てよ。俺の手当てが先だ」

「今の説明、聞いてなかった? あなたに治療は必要ない」


 若者はやおら立ち上がり、威嚇するように私を見下ろした。


「あ? 誰に向かって口きいてんだ。俺はヒュー・メイナード。メイナード男爵家の長男だぞ」

「大変失礼いたしました、メイナード男爵令息。先ほどの説明をお聞きになりませんでしたか? あなた様に治療は必要ございません」


 そう言って王宮仕込みのカーテシーを披露すれば、集まった人々の間からまばらに笑いが漏れる。

 ヒューは顔を真っ赤にして怒鳴った。


「同じことを言い直しただけじゃねえか!」

「ええ。一度ではご理解いただけなかったようなので」

「こいつ!」


 ヒューは拳を振り上げたが、その腕を先ほどの老人が素早く取って背中側に捩じり上げた。たまらず地面に膝をついたヒューが悲鳴を上げる。


「痛え! 放せよ、くそジジイ!」

「いいえ。せっかくなので、そのまま押さえていてくださいな」


 そう言うと、私は鞄から注射器を取り出した。王都で腕利きの細工師に頼みこんで作ってもらった特注品だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()医療器具を見て、ヒューは露骨に顔色を悪くした。


「な、何だよ、それ。何するつもり……」

「お望みどおり、治療して差し上げますわ、メイナード男爵令息。今からこちらのガラスの円筒に薬液を吸い上げ、この針をあなたの掌に突き刺します。針は中空になっているので、このピストンを押し込めば、薬液を直接、あなたの体内に注入できますの。王都でも最先端の治療法ですのよ」


 そう言って注射器にポーションを吸い上げ、ピストンを押して針の先から薬液が滴る様子を見せてやると、ヒューはみるみる青ざめた。

 うん。前世で勤めてたクリニックでも、注射が苦手な男の人って、結構な割合でいたものね。


「よ、よせ。おまえ、さっき治療は必要ないって言ったじゃないか!」

「ええ。でも治療しないと殴られそうでしたので。……しっかり押さえていてくださいね? えーと」


 問いかけるように老人を見れば、相変わらずヒューを押さえつけていた老人は、にたりと悪い笑顔を浮かべた。


「アレックだ」

「アレックさん。少しでも動くと、針が掌を貫通してしまうかもしれませんので」

「ひ、ひぃ……」

「はい、ちくっとしますよー」


 涙目になったヒューの後ろに膝をつき、背中に回した掌を掴んだとたん、若者はぐにゃりと地面にくずおれた。恐怖で気を失ったのだ。


「さ、これでやっと静かになった。それで、肘と膝の痛みはいつからですか、アレックさん?」


 アレック老の肘と膝は重度の関節炎だったが、中級ポーションの皮下注射で劇的に改善した。


「聖女レティシア。いや、レティシア・フィンドリー元男爵令嬢。お館様がお呼びだ」


 辺境伯に呼び出されたのは、その日の夕刻のことである。

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