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光が消えたら、終わりの合図。
金属がカンカンと鳴るのは、出発の合図。
真鍮の蝶は約束した場所へ向かわなければなりません。
すべてにお別れを言う時が来たのです。
悲しみと苦しみから解き放たれて、笑顔になれる場所へ。
蝶は、もう一度自分の花畑を取り戻すために飛び立つのでした。
私は図書館の仕事の後片付けだけはすると言い張って、一人、図書館にやって来た。
頭の中ではフロリスタの童話と、朝に聞いた鐘の声が交互に繰り返され、思考がまとまらないままだった。
灯部屋の光が消えた時、金属が打ち鳴らされる音が鳴り響いた。そしてその中に、聞いたことのない人の声が混ざっていた。
贖罪の時は終わった。
これは自由を報せる鐘の音だ。
同胞よ、再び誇りを取り戻せ。
あるべき姿を思い出せ。
我々の守るべき地、守るべきものの為に戦うのであれば、そうすればよい。
調和を望み、現状をつつけるのであれば、それもよい。
しかし我らはゼノであることを忘れてはならぬ。
この地の為、この地に住む生物の為、犠牲になった者を忘れてはならぬ。
今一度、自分自身に問うてみよ。
自由を手にしたあるべき姿とは何ぞや。
鐘の声は不思議とすんなり覚えることができた。きっとあの声にも魔法がかかっていて、聞こえた人物が覚えられるようになっている。
不思議な事にゼノ以外の人種にはあの声が聴こえなかったらしい。
リドさんが読み終えた本を本棚に戻していく。その中に禁書棚の本が一冊混ざっていた。
リドさんから禁書棚に続く扉の鍵は預かっていたので、何も躊躇わずその扉の鍵を開ける。
「ルクエラの魔法と魔灰の考察。こんな本、翻訳した覚えがないな」
リドさんの古語の習熟度は劇的に早く、私が居なくてもだいたいの本を読めるようになっていた。きっと私が居なくても、もう、問題ないんだろう。
「ルクエラって確か、大昔のマガだったはず」
女性魔法研究家と名乗って、国々を回り、魔法の起源や発生方法を研究していた人だと、あの人から聞かされていた。
「ルクエラは当たり前にあることに疑問を持つことができる人だったんだ」
またしても懐かしい声が右耳に届く。この世にはいない男の言葉に、私は何度も気持ちを乱される。
この感覚は、寂しさか、恋しさか。
私はルクエラの記した本をパラパラと捲って、古語の文章に目を通していく。すると、その内容に呼吸が止まるような気がした。
「この本、ルクエラが書いたものじゃない」
その時、禁書棚の入り口の扉が勢いよく開かれた。
「か、鍵が開いている。ゼノが居なくなるとこうも杜撰になるのだな」
とにかく物陰に隠れて、息をひそめた。ここは禁書棚。勝手に一般人が入っていい場所ではない。見つかれば死罪になるかもしれない。
バタバタと急いだ足音がこっちに近づいてくるのが分かる。どうしよう、見つかったらどう言い訳をしようか。
「ロ、ロ、ロ。どこにあるんだ。ロドニー・アージエンスの本はどこだ」
その名前に冷汗が滲み出そうになった。
「どうしてロドニー様の本を?」
入って来た男は声の感じから、おそらく中年男性くらいだろうと思われた。その男が何やらとても急いでいて、ある男の著作物を探している。
私は男が本探しに夢中になっているすきにここから出て行こうと思い、扉付近にゆっくり移動する。
その時、本の間に挟まれていた書類がどさっと零れ落ちた。
「誰だ!」
男が走りまわり、入り口付近で私を見つけると眉間に皺を寄せながら大声を出した。
「そこで何をしている。ここは禁書棚だ」
「ええっと、その」
「禁書を盗もうとしているのか?」
男はずかずかと近づいてきて、私の持っていた本を荒々しく取り上げた。
「決してそんなことはありません。ただ、本に虫が付くといけないので、定期的に換気と掃除をしてるだけです」
「ならば、どうしてこの本の鍵が外れているんだ。読もうとしたのか?」
禁書はすべて本棚と鎖で繋がれ、そこには鍵がかけられている。
「いいえ。鍵が壊れていたので報告をしようとしただけです」
「嘘をつくな」
恐ろしさのあまり、ずっと下を向いていた私の顔を見ようと、男はしゃがみ込んで私の胸倉を掴む。
「お前は……。ロドニーの所にいたゼノじゃないか」
ここでの答えは何だろう。どう答えれば殺されずに済むのか、必死に考えた。
「ロドニー・アージエンスは殺されました」
男はピタッと瞬きを止め、じっと私の瞳を覗き込んでいる。
「……やはりそうなのだな。息子は自殺ではなく他殺だったのだな」
息子!この男はロドニー様の父なのか。私は初めてあの人の父親を見た。
「殺した者が誰なのか言え。どんな奴だったのか教えろ」
男は私の胸倉手から手を放し、今度は両肩に手を乗せた。
「誰かは分かりません」
「なら、ロドニーの書いた本がここにあるはずだ。どれか分からないか?いくら探しても見つからない。必ずここにあるはずなんだ」
角ばった額の形、エラの張った輪郭、毛質や、真っすぐ私の顔を覗いてくる眼差しが、ロドニー様に似ている。よくよく聞けば声も似ている気がする。
確か父親は法に関する仕事をしていたはずだ。
私はゆっくり指をさす。男の足元にあるルクエラと書かれた本を。
「これはルクエラと書かれてあるぞ」
「表紙はルクエラと書かれていますが、内容はロドニー様が古語で書いたもののようです」
「古語が読めるのか?何と書いてあった」
「新法の草案、と」
男が本を手にし、内容を確認しようとした時、図書館の一階の方で人の声が聞こえてきた。
旦那様、旦那様。と呼んでいるようだ。きっとこの男の従者なのだろう。
「明日、ロドニーの家に来てくれないか。この本を翻訳してほしい」
「でも」
「すぐにここを離れた方がいい。騎士が来る」
私はその「騎士」という単語に思考を止められ、すぐさま禁書棚から離れ、普通閲覧棚の物陰に隠れた。
男の言う通り、従者の後ろには騎士が付いてきていて、男を探しているような雰囲気だ。
「旦那様、そちらにいらっしゃったんですね」
男もすばやく禁書棚から離れ、普通閲覧棚で立ち読みをしているかのように見せかける。
「アージエンス様、評議会がお呼びです」
「わざわざ騎士様がいらっしゃるとは。ゆっくり読書ぐらいさせてくれたっていいではないか」
「こんな非常事態に優雅に読書など、不謹慎です」
騎士は厳格そうな若い騎士で、今朝の血の気の多い騎士とは大違いの、落ち着きのある大男だ。
「非常事態だからこそ、心を落ち着かせようとしているのが分からないのか?武勇に秀でる君たちには分からないか。本は良いぞ、私が何かおすすめを紹介しよう」
男は明らかに話を伸ばそうとして、騎士の話も聞かず、ずっと一方的に話し、本棚の奥へと進んでいく。
もしかして私が逃げられるように時間稼ぎをしてくれているのだろうか。
とにかくこの場を離れることが優先だと思い、私はゼノ用の勝手口から外に出た。
走っている時、ずっと考えていた。
この世の中には殺されようと自分の意見を曲げない人がいる。自分の研究をとことん続ける人がいる。魔法を堂々と使う人がいる。恐ろしい騎士にも言いたいことを言う人がいる。死んだ人を信じ続ける人がいる。
大長が言った。私たちは自由になったのだと。
私は無理に働かなくていい。こそこそと街を歩かなくていい。好きな服を着てもいい。言いたいことを言っていい。知りたいことを知っていい。魔法を使っていい。
私は自由でいい。
私はどんな私になってもいい。
「知的好奇心こそが、人生を豊かにするのだ」
ロドニー・アージエンスの声が聞こえる。
ゼノ用の暗い隠し通路は様々な場所に続いていて、私は一番行きたい場所へ続く道を選んだ。
それはあの鐘が鳴った、灯部屋だ。展望台の近くに出る扉から、中に入り螺旋階段をぐるぐる昇っていく。
そして階段を上りきると、不思議な材質のツルツルした天井扉が見えた。その扉は何故か開いていて、まるで中に誘われているような気がした。
扉を押し開け、中を覗くと、白いだけの質素な空間が広がっていて、四方八方がガラス窓になっている。
部屋の中央には巨大な硝子製のランタンが置かれ、その中には何も光っていなかった。
部屋の中に入ると、春のように暖かく、澄んだ水のような爽やかな香りに満たされている。
ランタンやランプは金属製の物が多く、私はガラス製のランタンを始めて見た。
しかもガラスのランタンは私より大きく、上部は天井に付きそうなくらいだ。
「どうやって中に入れたんだろう」
「どうせ魔法よ」
独り言のはずだったのに、後方から誰かが反応した。女性の声だ。
「大昔っていうのは、何でもありなの。巨大な建物をいとも簡単に動かしたり、自在に天候を操ったり、当たり前みたいに寿命を延ばしたりもした」
ペタペタと裸足で近づく女性は、二十代位で、色白、つやつやの髪、華奢な体つきの、いかにも上流階級の人間だ。
「下働きの子たちがね、鐘が鳴っているって騒いだと思ったら、急に仕事を放り出して逃げてしまったの。あなたもその一人かしら?」
女性は私の側を通り過ぎて、ガラスのランタンをじっくり眺める。その姿を見て、私は彼女が何者なのか全て思い出した。
あの日、暗闇の中で浮き上がるような白い肌を見た。日焼けをしたことが無いような、真っ白の肌で、水仕事をしたことなどないほっそりとした細い指で、髪を耳にかけていた。
「今日は、ずいぶん質素な服装なんですね」
私の発言に、目の前の女性は驚いた表情で私を見下すように見ていた。
「どこかで会ったかしら?」
「あの雨の夜は、首にも指にも耳にも宝石がついていたし、刺繍の入った靴も履いていた。口紅も真っ赤で、香水の香りもぷんぷんしていた。私は貴女を見ていた。何をしに来たのかずっと疑問で、扉の隙間からずっと貴女を見ていたの」
あの夜、家の主人は遅くに帰って来て、客人がいるのだと私たち家の者たちに伝えた。
雨が降っていたせいなのか、人目を気にしてなのか、客人は頭から薄い紗を被っていた。
客人が通った道には高級な香水の残り香が漂っていて、私たちは緊張したものだ。
「貴女には従者が一人ついていて、彼もまた顔を隠すように頭巾をかぶっていた。そしてその男が私の主人の耳元で何かを言うと……」
「それで?何が言いたいのかしら」
女性の言葉は冷徹で、おしとやかなで品の良い雰囲気とはかけ離れていた。
「死にました。突然、苦しみだしてその場に倒れてしまいました」
「そう。それで?」
「貴女が殺したんですね」
「可笑しなことを言うのはやめて。不敬罪で処刑されるわよ」
不敬罪。その言葉を使えるのは、この国で限られている。上流貴族と、王族だけだ。
この香水の香りを忘れる訳が無い。あの日、苦しみ続けるあの人を包み込んでいたのがこの香りだったのだから。
「どうして殺したんですか?あの人は何も悪くないのに」
女性が少し唇を歪めて乾いた笑みをこぼした。
「誰の話をしているか分からないわ。小さな女の子の妄想に付き合ってられない。すぐに出て行きなさい」
「私は自由です。好きな場所で好きなようにします。もう誰の指図も受けません」
そう、ゼノは自由をようやく取り戻したのだ。私にとっては人生で初めてもの自由であり、解放だった。
「自由ね。そんなもの幻想にすぎないのに」
私を哀れむように見つめる女性は、少し苛立ちも混じらせているのか、ガラスのランタンを指で何度も叩く。
「いいえ。幻想ではない。必ずいろんな人の自由がこの国を変えて、いろんな自由が未来を作っていく。この国はきっと王族の独裁から解放される」
冷淡な視線が私を射抜いて、この場に留まらせる。私は早く立ち去るべきだと分かっているのに、どうしてか足がすくんで動けなかった。
もしかしたら自分の意思を初めて口にしたから、恐ろしくなったのかもしれない。
「それは、自分の意見?それとも、ロドニー・アージエンスの思想かしら?」
やはり気づいていた。しらばっくれていたのは演技で、この女性はちゃんとロドニー様の事を覚えていた。
「私の思想です」
「ふーん、そう。なら消えてもらわなくてわ」
そう言うと女性は階段の下に向かって人を呼ぶ。そして階下から三人の男たちが階段を駆け上がり、私の手足を拘束した。
「はなして!」
「連れて行きなさい」
私は簡単に男たちに手足を縛れ、口を塞がれ、階段の下に引きずり降ろされる。
そして目隠しをさせられて連れてこられたのは、とても静かで寒い場所だった。
「王女に悪態をつくからこうなるんだ」
金属の扉が閉まる音と共に、私を運んだ男の一人がそう呟くのだった。
牢屋にいれられたのか?私はこのまま凍死するのか?それとも餓死なのか?はたまた、あの男たちに殴り殺されるのか。
絶望と恐怖がつま先から這い上がって私を覆いつくす。
震える体をなんとか落ち着かせようと、私は脳裏で魔法を思い浮かべた。
火の魔法。体を温め、この場所を明るく照らす炎よ、私の元にと。
「どうして……」
しかし、都合よく魔法は生まれなかった。
もう私に残された方法は、精霊様に祈ることのみ。
「誰か助けて」
葵蹄十一年冬。新年を前に、ケルウス王国は全国民に新法を発布し施行する。
全てのゼノへの制限を解除する。市民権を欲する者にはこれを与え、国外退去を望む者にはこれを認める。
市民権を選ぶものはあらゆる自由が国の法律の下保障されるものとする。
国はゼノの人権を全面回復することを認める。
捕らわれた翌日、大昔の皇帝がこの新法を発布した。私がこの事を知るのはしばらくの後になる。
仮説を立てる。しかしすぐに覆される。
私の思考は何の役に立つのか疑問を持つばかりである。
時間が許す限り魔法発生の仕組みを研究していたい。だが時代というものは移り変わっていくものであり、不変なものなどどこにもありはしないと、改めて気づかされる。
おそらく近い将来、魔法など不必要な時代が来るのだろう。
私の研究など無用の産物に成り下がるに違いない。
しかし、それでいいのだ。
周りがどう感じようが、どう対応しようが、それは私の自由とは関係のない話。
私が許されている「研究するという自由」は誰にも奪わせない。それだけは明確であるのだから。
レクエラ「魔法と魔灰の考察」より




