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人は自由を夢見る(D-03)  作者: 橙ノ縁
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 仕事帰り、夕日が地平線に沈んで辺りが暗い紫の空に染まっていた。

「何してるの?」

 図書館を裏口から出て、王宮の裏門の側を通った時、沢山の人が集まっているのに気づいた。

 薄暗い中で集まった人たちは背伸びをしたり、鉄格子の門の隙間を覗いている。

 ボロボロの身なりからするに、集まっているのは全員ゼノのようだった。その中で、知っている顔を見つけ、私はその男に声を掛けた。

「何してるんですか?」

 声を掛けたのは、ティダ姉の友人の一人、チャルという名の男だ。

「今日、王宮に紫青様がお越しになったんだと。みんな一目ご尊顔を拝せないかと集まってるんだよ」

 チャルは言いなれない敬語に舌を噛みながら説明した。

「どうして紫青様が王宮に?」

「さあ、詳しいことは分からない」

 紫青様とはマラキア国を治めるとても偉い人の尊称で、私たちゼノにとっては尊敬する人の一人である。

 マラキア国とロス国は歴史の長い国で、その統治者は古来からマガと呼ばれ、魔法使いの長がなる決まりだ。

 魔法使いというのはゼノという人種と同義である。とあの人はよく言っていたが、その通りで、大昔はゼノの中で一番魔法に精通していた者がマガと呼ばれ、国を与えられていたのだ。

 しかし、ゼノが多くの人たちに魔法を教えるようになり、マガになれるのはゼノだけではなくなった。ルシオラやランテルナなど、もともと魔力の強い原住民が務めることも多くなっていく。

 そして現在、マラキア国のマガはルシオラ、ロス国のマガはランテルナが務めている。

「確か紫青様はルシオラですよね。どうしてここまでみんなの関心があるんでしょうか」

 確かにマガというだけでとても尊敬に値するとは思うが、人種は違うし、外国人だし、一目見たいというほどのものだろうか。

「みんな、心のどこかで救ってほしいんじゃないかな。こんな生活から誰か助け出してくれって思ってる」

 チャルの横顔はとても真剣で、真っすぐだったがどこか他人ごとのように感じた。

「今更、紫青様に縋ったってどうにもならないことは分かってるんだけど、希望を持つくらいいいよな」

 ゼノは生まれてから死ぬまで、人として扱われずに一生を終える。

 幼い頃から安い賃金で働かされ、学校にも通えず、職業の選択は出来ない。貧しく、不自由なのが当たり前。

 街を歩けば汚いと避けられ、時に性犯罪の被害に遭い、危険な仕事に駆り出され、ごみクズのように扱われて、簡単に命を奪われる。

 明日、誰かがレピュス人に殺されても誰も不思議がらない。子どもが大怪我で泣いて帰って来ても、その子は翌日必ず出勤しなければならないのが日常だ。

「誰も助けてくれないのに、期待しても仕方ないと思うけど」

 私がそう呟いた時、集まった人たちが急にどっとどよめいて背伸びをし始めた。

 王宮の庭に一人の女性が歩いているのが見えたからだ。しかし集まった人が私より背が高いので、はっきり姿を見ることができない。

「エウィ、肩に乗れ」

 チャルがしゃがんで私に肩に乗れという。恥ずかしいから嫌だと断っても頑として譲らないので、仕方なく肩に足を乗せた。

 ぐんと高くなった視界には女性の姿がしっかり見える。丈の長い服は生地が薄そうで、足元はどうやら裸足。真冬には不向きな格好だということが分かった。

「あれは、紫青様ではないと思います」

「違うのか?じゃあ、誰だ」

 私が首を傾げていると、王宮の中から使用人がやってきて私たちに立ち去るように命令してきた。

「あの方は誰ですか?」

 ゼノの一人が使用人に質問するが、「お前たちには関係ない」とまともに取り合って貰えない。

 ゼノ達があまりにしつこく訪ねてくるので、使用人は「あれはマガ様ではない」とだけ答えてくれた。ゼノ達は残念そうに俯いて、帰って行く。

 そんな騒ぎが耳に入ったのか、庭に立っている女性がこっちに振り向いた時、私と目が合うのだった。

 あの目に覚えがある。

「チャルさん、あの人。王女様です」

「確かか?」

 あの人の家に一度、あの女がやってきた。確かに覚えている。笑顔で本心を誤魔化し、人を見下す冷徹な目を。

「どうして、あんな格好を?」

 私が見た王女の姿は、頭のてっぺんからつま先まで完璧に整えられて、いかにも育ちの良いお姫様だった。

 しかし今目の前にいる女性は、お姫様には到底見えない。

 ぼさぼさの髪に、質素な服、裸足に化粧をしていない顔、高価な装飾品もないし、付き人もいない、これでは誰も王女様とは気付かない。

「王女様はさぞや、憔悴しているだろうな」

「どうして?」

 チャルが私を肩から降ろしながらそう王女を思いやるように呟いた。

「先日処刑された騎士は王女様の婚約者だったらしい」

「そうなんですか」

 知らなかった。大切な人を失って悲しみのあまり、あのようなみすぼらしい格好をしているという事なのだろうか。

「王様はどうして娘の婚約者を処刑したのでしょうか」

 王侯貴族という生き物は、たとえ法律だろうと自分たちに不都合な場合、簡単に捻じ曲げるものだ。王女の婚約者なら恩赦なり、違う誰かに罪を擦り付けるなり出来たはず。

 どうしてこんなことになった?

「さあ、権力闘争か何かじゃないか?」

「権力闘争?」

 王宮の詳しい事情は知らないし、知りたいとは思わない。余計な事を考えるのはやめておこうと心の中で誓った。

「エウィ、そろそろ帰ろう」

「そう言えば、どうして私の名前を知っているんですか?」

 私はチャルさんと面識はないはず。ティダ姉と会話している姿を見かけたことがあるだけで、一方的に私が知っているだけだと思っていた。

「みんな知ってるよ。天才少女エウィ」

「天才少女?なにそれ」

「君は有名だ。古語をスラスラ読んでしまう五歳児がいるんだって集落中で話題になったから」

 五歳といえば私が親元を離れて、あの男の家に引き取られた年だ。

「最悪。私、有名になんてなりたくなかった」

「いいじゃないか。みんなエウィの頭脳がゼノの為に使われることを期待してる。期待されるって羨ましいことだよ」

 期待なんて重いだけで、私は身軽でいたかったのに。

「私は天才ではありません」

「天才かどうかはオレには分からないけど、確実に言えることはオレよりエウィが頭がいいってことだ。今度、古語教えてよ」

 チャルさんは屈託のない笑顔を私に向けると、私の右手を掴んで引っ張って歩こうとする。

「ちょっと待ってください。子ども扱いは止めてください」

「ああ、ごめん。つい妹を思い出してしまって」

「妹さんがいるんですか」

「年が離れているから、よく手を繋いで歩く癖がついてて。ごめん、勝手に触らないから」

 私を肩車で乗せたのも、妹にそうしてきたということか、と思うと納得できた。

 チャルさんが私に優しくしてくれるのは、私を通して妹を思っているからなのだと感じた。

「夜道は危ないから足元に気をつけて」

「はい。ありがとうございます」

 あの人も、よく私にそう言っていた。やれ夜道は危ない、高い所は危ない、火や刃物を扱うのも危ないと。あれもこれも危ない、危ないと言って、私に何もさせようとしなかった。

 下女として雇われたはずなのに、気づけば養女のように特に仕事もせずに日常を過ごすようになっていた。

 あの人の中では、全ての人間は平等に見えていたんだろうと思う。だから私にも、普通の女の子のように接し、私の役目や仕事をさせなかったのだ。

 しかし、どれだけ平等に接しようとも、現実は簡単に変えられないし、私が労働者であるという事実は変わらない。

 下女としての仕事をしなかった私は、他の使用人から疎ましく思われるようになっていった。

「さあ、帰って仕事するか」

「チャルさんは、仕事が残っているんですか」

 こうして同じ民族の中で、仕事話をする方がずっと心が楽だ。

「休暇をもらったんだけど、最近ノックスは人手不足らしくてさ、夜間病院の清掃の仕事をしてるんだ」

 夜間病院とは数代前の王が建てた国営病院で、昼間の病院より診察料が安いらしく、一般市民が利用することが多いと聞く。

 清掃は基本的にゼノの仕事だが、王宮や貴族の使う施設は対象外で、国営病院の夜間部だけ清掃を許されているらしい。

「最近、患者が増えていて医者も看護師も不足しているんだって」

 夜道を歩きながらチャルさんが職場の話を続ける。

「患者が多いって、冬だから風邪とかですか?」

「毎年冬には風邪が流行るそうだけど、今年の風邪は毒性が強いって噂」

「毒性が強いってことは、死ぬ人もいるってことですか?」

 チャルさんは控えめに頷き、白い息をふうっと吐き出して「夜間病院は気が滅入る」と小声で呟いた。

 そう言えば、以前こんな噂を耳にしたことがあった。

 戦争から帰って来た兵士が病に伏して死亡したと。

 私はこれらの話が同じ病気ではないことを心から祈った。




 ゼノの集落に帰ると、地下の広場に人集りが出来ていて、その中心から女の泣き叫ぶ声が響いてくる。

 私とチャルさんは急いで近寄り、その輪の中心に割り込んだ。

「何があったの?」

 大声で泣き叫ぶ女性の腕の中で、一人の少年が顔を腫らしてぐったり項垂れている。

 ぶくぶくに腫れているのにも関わらず、顔色は土気色にくすんで、生気を感じさせない。

「レピュス人に殴られたんだ」

 私の隣に立っていた中年の男性が、小声で私に説明を始めた。

「理由は?」

「あの子が働いている魚屋に来た客が、あの子が働いている姿が気に入らないと難癖をつけて、暴行した。あの子は打ちどころが悪くて、治癒魔法も効かなかった」

「どうして誰も助けてくれなかったんですか?」

 いくらゼノでも子どもが暴力を振るわれていれば、善良なレピュス人が間に入ってくれるものだ。

「暴行した奴は、騎士だったそうだ。それで市民は誰も手だし出来なかった」

 この場に集まる全てのゼノが奥歯を強く噛みしめて、涙を堪えながら静かに、心の中で激しく怒りの炎を燃やしている。

「騎士ならなんでも許されるのかよ」

 チャルが拳に力を込めて不満を口にした。

 私も同じことを思って、胸の奥で湧いてくる熱くて重い、暗くて強い感情を抑える。

「こんなことなら、もっとはやくノックスを脱出していればよかった」

 大粒の涙をぼろぼろ落としながら、子どもを抱きしめる女が族長に、投げつけるように言葉を吐く。

 族長は母親であろう女性の肩を優しく撫でるだけで、何も喋ろうとしない。

「ねえ、チャルさん。ノックスを脱出ってどういう意味?」

 私に服の裾を引っ張られた男は「それは……」と言葉を紡ぐのを迷い、答えを出せず、唇を少し噛んだのだった。




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