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私の仕事は、ゼノが古来より使っている文字をレピュス語に変換する、翻訳のような仕事をしている。
肥溜め集めや、汚物掃除、死体処理よりはとてもマシな仕事だとよく文句を言われる。
ケルウス王国から特例で突然与えられた仕事で、外国から来た文学者の助手をしろというものだ。
「リドさん、この本は翻訳が済んでいます」
「ありがとう。本当に助かるよ、エウィ」
文学者はリドと言って、とても温和な雰囲気を持った男性で、こんなにも優しさで構成されている人間を見たのは始めてだ。
ゼノの私にも礼を述べるし、食べ物も分けてくれる。いつも笑顔で接してくれるし、休憩時間もちゃんと用意してくれるので、有難い。
他のゼノが汗水たらして、罵声を浴びながら仕事をしている姿を見ていると、こんなに良くしてもらっていいのかと、罪悪感すら抱いてしまうほどだ。
「学べば必ず、君の才能に合った素晴らしい職に就くことができる。知識を蓄えておくことに損なことなどない」
あの男はそう、偉そうに私に説教したが、現実はどうだ。男はその豊富な知識故に、命を落とし、自殺という汚名まで着せられた。
「バカな方がずっと楽に生きられる」
「エウィ、何か言った?」
私は首を横に振って「何でもありません」と答えるのだった。
リドさんの研究は「エアルの手記」を解読するという途方もない、無謀ともいえる研究だ。
エアルという大昔の大罪人が生前残したとされる、記号だらけの謎の多い手記。
数百年かけてあらゆる学者が解読に成功したのは、たった一頁ほどらしい。
「リドさん、エアルの手記には魔法がかかっているのではありませんか?」
「どうしてそう思うの?」
「だって、どう考えてもそうだと思いますよ」
一文ずつ文字の形が違うし、そもそも右から読むのか左から読むのかも分からない。
「読めない魔法がかかっているのならば、解読されている文章が存在するのは何故だろうとは思わない?」
「それは、時が経てば分かるようにと仕組まれているのかもしれません」
彼は本から目を放して「なるほど」と小さく頷いた。
「エウィの仮説が正しければ、全部解読できるようになるまで何百年もかかってしまう。それは困るな」
「困るんですか?」
私は大昔の大罪人の心境など全く興味が無いので、まったく困ることは無い。
「困るよ。自分はどうしてもエアルを知りたいからね」
「どうしてそこまで?」
「だって、手記を解読困難にしてまで残した。きっとすごい秘密が書かれているんだよ」
彼は研究者らしく、目をきらきら輝かせながら遠い目をしている。
そう、私の知っている研究者も時折、こんな風に浪漫や夢を語って、遠くの方を見つめていた。きっとその目は自分の未来を想像する時に輝くのだろう。
「解読困難にしたのは本人ではないかもしれませんよ」
エアルが爆弾のような秘密を書いてしまってそれを第三者が魔法で書き換えたのかもしれない。
「おお!その発想もあった。若い人は頭が柔らかくて実にいいね」
「リドさんも若いですよ」
ちゃんと年齢を聞いたわけではないが、おそらく二十歳くらいだと思われる。
「魔法が失われた後に書かれたと言われているから、本に魔法をかけたとすれば、マガがかけたという事になるだろうね」
マガとは魔法が日常に溢れていた時代の名残で、一番強力な魔力を持ち、高度な技術を継承する魔法使い達の王を指す。
「魔法が失われた後っていうのが間違っているのかもしれませんよ」
「そこは確信がある。ロス国のマガが友人宛に手紙を出していてね、そこにエアルに人生を書き綴るように勧めたと書いてあるんだ」
補足情報として、そのマガの手紙はロスの博物館に硝子箱に入れられて保管されているらしい。
「その手紙には他にもこう書いてあった。エアルはずいぶん憔悴しきっていて、見た目が老人のように老け、生きる気力が感じられない状態だ、と」
「どうして憔悴していたのでしょうか」
人々の手から魔法を奪ったという大罪を悔いて、心身ともに病んでしまったのかと私は思ったが、実際は違った。
「仲間の女性が大勢の民間人に捕らえられ、私的に処刑されたからではないかといわれている」
「その女の人のことが好きだったんでしょうか」
「さあ、どうだろう。でもその真実はきっとここに書いてある」
リドさんは自前の写本を手に取って、丁寧に表紙を撫でた。
数か月前、戦地から帰って来た騎士が公開処刑された。
以前から品行方正で、文武両道、絵に描いた騎士様として有名で、人望も厚く、人気もあったらしい。
そんな人をこの国の王は、敗戦の責任をとれと命じ、打ち首刑に処した。
処刑場には騎士と縁の深い第三王子が乱入し、騒然となったそうだ。
あの日以来、第三王子はひどく落ち込み、奇行が見られるようになったとか。
「大きな悲しみは、時に人を変えてしまうものだよね」
「私には、まだ分かりません」
私は何か変わっただろうか。いろいろ昔の自分と比較してみたが、変化を感じられず、考えるのを止めた。
そして、仕事に戻ろうと新しい本を取りに二階の本棚へ向かう。
本棚の前に置かれた脚立の上に上って、古い本を選んでいると、突然声が聞こえた。
「エウィ、危ないからおりて」
私はちらっと後方に目を向けたが、やはり後ろには誰もいない。そう、その声は、私の記憶が私の耳に響かせたものだからだ。
「あの人は、いつも私を子ども扱いばっかりしてた」
もうその声の主はこの世には存在しない。
脚立を飛び降りて、抱えた本を開く。本の文字は大昔に使われていた古い文字で、この文字をスラスラと読むことができる人は、ずいぶん少なくなってしまったらしい。
私は何故か、幼い頃からこの文字がすぐに理解できた。
大昔、この地方にやってきた他の土地出身の人間にゼノはこの古代文字を教えたという。
ケルウス王国の前身であるケルウス帝国の皇帝が文字を統一するまで、この古代文字と古語は公用語だった。
ゼノは現代文字と古代文字を両方使っている。しかし時代の流れと共に古代文字をだんだん使用しなくなっている。
今までは言葉を現代語、文字を古代文字と分けてきたが、最近のゼノは文字も現代文字を使うことが多い。そっちのほうが楽で便利だから。
「君はどうしてそんな簡単に古語が読めるんだ?」
あの人は私の古語を読む速度が速いことにとても感心していて、古語の翻訳を私に任せた。その際、多くの事を学んだ。
「リドさん、フロリスタの童話は翻訳しますか?」
階段の手すりから一階のリドに声を掛ける。現在、この図書館を利用しているのは私たちだけだ。
「フロリスタの著作物は全部お願いするよ」
「分かりました。全部持っていきます」
大昔、いろんな国を旅して様々な物語を書いた人がいた。大罪人と呼ばれる男の友人で、名をフロリスタという。
彼は言葉が統一される前から執筆していて、彼の本は翻訳が必要な作家の一人だ。
フロリスタの童話集を手に取って、ペラペラと頁を捲っていく。
「童話集っていうから子ども向けかと思ったけど、これは子どもには意味が分からないと思うけどな」
とうてい子ども向きと思えない単語の数々に、私は首を傾げた。
目につく限りの著フロリスタの本を集めてリドさんのもとへ戻ろうと階段に向かった時、女性の声が聞こえてきた。
私は階段の手すりの隙間からその声の主を探す。
「リド、医学書は見つけてくれた?」
「うん、なるべく絵の入っている、尚且つ細密な医学書だよね。一冊は見つけた」
女性は可笑しな髪色をした若い女性で、リドさんの知り合いの人だそうだ。確か名前はダリアさん。
「そうそう、こういうのが読みたかったの。流石だわ」
「あまりにも丁寧に描かれているから、気持ち悪くなったりしないか心配だな」
「大丈夫。私はそんなに繊細な人間じゃないわ。ありがとう、借りていくわね」
「ちょっと待った。それは持ち出し禁止のって、ダリア、ダリア!」
リドさんの忠告も虚しく、ダリアさんは本を片手に裏口の方へと去っていくのだった。
持ち出し、貸出禁止本というのは、国にとってとても重要な内容が書かれている本が多く、決まりを破るとそれなりに罰がくだるのだが、ここは見なかったことにしておこう。
図書館も人手不足で毎日、本の数を数えてはいないから。




