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「天空飛来論」を提唱した者を批判するつもりはないが、私の考えではそれは限りなくあり得ないと云えるだろう。
「生命力の消費論」を認めるには、一度全人類の魔法使用を止める必要があるが、それは現状不可能だろう。
「神の奇蹟論」ばかりは論外だ。
如何にして魔法と呼ばれる現象が発生しているのか。
この答えを求めることこそ、私の人生であり、人類の未来を守ることであると自負している。
レクエラ「魔法と魔灰の考察」より
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「この国は良い奴ばかりが先に逝く」
葵蹄十一年冬。ケルウス王国首都ノックス。凍えた冬の風に混じって、そんな噂が私の耳に入って来た。
破れて穴だらけの薄い綿の服は、たくさん重ねて着ても寒い。底が抜けそうな靴のせいで、つま先が特に冷えている。
白い息を吐きながら、立ち止まることなく私は目的地に向かっていた。
「良い奴はみんな、若くして死ぬ。今朝もグッタとの戦に出た青年が死んだらしい。彼は戦場で三人も仲間を救ったとか」
最近、よく聞こえてくる街の人の噂話の内容は戦争から帰って来た人の話。
ある人は切り傷が悪化して死亡し、ある人は心を病んで自殺し、ある人は帰国後に風邪をこじらせて死んだという。
どの人も若く健康な男女で、という前置きが付く。この悲しい別れがノックスに住む多くの人の心に影を落としていっているように思うのは、私だけだろうか。
「ほら、この前もある貴族の庶子が不審死したじゃない。あの人は本当にいい人だったとか」
私は不意に足を止めた。不審死した貴族の庶子という言葉に引っかかったからだ。
「噂では自殺したって話よ」
心の中で強く否定した。決してあの人は自殺するような人間ではないという事を。
止まっていた足を再び動す。こんな街の往来で立ち止まっていてはいけない。
「そこのゼノ、なに突っ立ってるんだ!営業妨害だ、さっさと失せろ!」
ほら、怒声が飛んで来た。
私は下を向いたまま、地下通路へ続く下り階段を目指す。ゼノである私達の道は地下にしか存在しない。
私達ゼノが生活を許されているのは、都市の地下部分だけ。
大昔の魔法使い達が作り上げた、信じられないくらい広い地下街は、陽が登りさえすれば最高な街だと思う。
床も全面石造りで、壁も綺麗に整えられているし、天井もかなり高い。所々に街灯が据えられていて、雰囲気も悪くないが、湿度の高さと空気の流れが悪いことが欠点だ。
それに広場までの道は、夜目の効くゼノ以外には暗すぎる上に、迷路のような作りなので、誰も近づかない。
地下街の中心地にある広場の手前に、孤児院のような施設がある。その施設前でこちらに向かって手を振る女性が一人。
「良い所に来てくれたわ。エウィ」
「ティダ姉さん。用って何ですか?」
今日はこの美人なお姉さんに呼ばれた。ティダ姉さんはゼノの大長の助手兼、孤児の世話までする活動的な女性で、私も彼女のような自立した女性になりたいと思っている。
「今日はね、追跡者の二人が帰ってくるのよ。だから焼き菓子作りを手伝ってほしくて」
「良いですけど、私を呼び出さなくても他に人がいるんじゃ……」
孤児院は十数人ほど手伝っている人がいるはずなのだが、今日は見渡した限り、誰一人見当たらない。
そもそも、子どもの賑やかな声も聞こえてこないのが不自然だ。
「今日は、人が少なくて静かなんですね」
「エウィは知らなかった?ここの孤児院は閉鎖したのよ」
「え!」
私自身、去年まで数か月間ここの孤児院にお世話になっていた。ティダ姉さんともそれが縁で仲良くしてもらっているのだが、まさか、ここが閉鎖されていたとは、驚きしかない。
「この辺りは老朽化が深刻で、場所を移したの。今は魔法使いもいないし、直しようがないから仕方がないわよね」
「そうだったんですか。老朽化って、この辺一帯のことですか?」
「そうそう。だから住宅地区も、大広場も、何もかも丸ごと引っ越しよ」
ティダ姉さんと大長も新しい区域に移動して、新しく街を作っていくのだという。
「姉さん、それって本当の理由ですか?」
「十一歳のくせに、鋭いな」
「私、賢い人に育てられたので」
学が無いと言われるゼノの中では、少し賢い方だと自負している。これは自惚れとかではなく、昔からレピュス人に勉強を教わって来たからだ。
「エウィ。悪いけど、騙されたフリをしててもらえない?私の嘘に納得したフリでいいから」
「どうしても言えない事ですか?」
「ええ。その時が来たら話をするから」
ティダ姉さんは整った顔を私に近づけ、眉尻を下げてお願いしてきた。
私としてはこのまま与えられた仕事をこなすだけなので、大長の住まいが変わることで何か困ることは無いのだ。
「そういう事なら、分かりましたよ」
「物分かりのいい妹で助かるわ」
そう言って、彼女は私を柔らかく抱きしめるのだった。血の繋がった妹ではないが、ティダ姉さんは私を妹のように接してくれている。
「はいはい。さあ、お菓子を作りましょう」
「ねえ、今日は小麦粉に冬ピーマンを混ぜようと思うんだけど、どうかな」
「ダメです。定番のやつにしましょう」
冬ピーマンは苦い上に加熱すると辛くなる。絶対にお菓子にいれていい食材ではない。
「じゃあ、海花の種は?」
「それも却下です」
海花の種は薬としてよく使われるが、分量を間違えば手足が痺れてしまう、危険な食材だ。
「ティダ姉さんは変なものを入れようとする癖を抑えてください」
「だって、新しい物を見つけたり、新しい組み合わせを考えるのって楽しいじゃない」
「向上心は素晴らしいですが、食べる人の気持ちを先に考えましょう」
彼女は口を尖らせながら、しぶしぶ諦めてくれた。
ティダの焼き菓子は破壊的に不味いと、ノックスのゼノの間では有名である。理由はご覧の通りだ。
追跡者というのはゼノ独自の仕事の一つで、特定の物や人を探す人の事をいうのだと習った。
今日帰って来た青年二人は、ティダ姉さんととても仲が良いらしく、姉さんは嬉しそうに二人を出迎えた。
私は大広場の柱の陰から、そんな楽し気な三人の姿をぼんやり眺めていた。
「いいな。幼馴染」
幼い頃からとある貴族の下女をしていた私には幼馴染と呼べる、同年代の友がいない。
ああして「久しぶり」と笑って話をする人が一人でもいてくれればいいのにと、無い物ねだりをして虚しくなる。
「ちょうど、試作が出来た所なの。ほら、お腹空いたでしょう?」
ティダ姉さんが青年二人に焼き菓子を差し出した。
「姉さん、試作ってどういうこと?」
そんな話は聞いていない。私達はちゃんと伝統的で普通のお菓子を焼いたはずだ。パンのようにふっくら膨れていて、完璧な焼き目のとてもおいしそうな仕上がりだったはず。
籐籠からちらっと見える菓子は少し黒く、焦げているように見えた。
「ありがとう。今回はどんな感じ?」
年下の男が下手な笑顔を作って首を傾げた。
「いろんな果物を発酵させてみたの。味見してみて」
発酵した果物だと!私の目を盗んでそんなおかしなものを入れこんでいたとは。
「それは本当に発酵なのか?」
年上の男が小声で不安を吐露しながら、両手で自分の顔を隠す。自分の未来を想像して悲しくなったらしい。
「とにかく、食べてみれば分かるわ」
「食べてみるまで分からないのか……」
私は今にも飛び出して、そのお菓子を奪い取ってしまおうと思った。が、足が動くことは無かった。
きっとあの幼馴染二人には、これでいいのだろう。きっと美味しくない姉さんのお菓子を楽しんでいるのだから。
無関係な私が当然登場してしまっては、せっかくの楽しい雰囲気が台無しになってしまう。
このままここでじっとしていればいい。柱の陰で、姉さんたちを背にしてぼーと立っていると、誰かが突然私の前に現れた。
「うわあ、びっくりした。こんな所に女の子がいる」
「び、びっくりしたのはこっちです」
私を発見したのは、ティダ姉さんの幼馴染の一人で、年上の方の男だった。
「ごめん、ごめん。驚かせるつもりは無かったんだ。もしかして、ティダの知り合い?」
「え、まあ」
彼の話によれば姉さんは厨房の方に新たなゲテモノ菓子を取りに行ったらしい。
「あの、良かったらそれと取り換えましょうか?」
私は男の腕の中にあるとても不思議な色をした菓子を指さした。自分用に確保していたお菓子と交換しようと持ち掛けたのだ。
「え!いいの?助かる」
私の予想は「せっかくティダが焼いてくれたし、これでいいよ」と答えるのかと思ったが、決してそうではなかった。
目の前の男は簡単に私の菓子とティダ姉さんの菓子を取り替えるのだった。
「一個食べただけで胸焼けしてさ、困ってたんだ」
「そうでしたか」
「オレはチャル。ありがとうエウィ。これで妹も喜ぶ」
そう言って、颯爽とチャルさんは家に帰って行くのでした。
そのあまりに爽やかな笑顔が、どことなく知り合いによく似ていて、少し寂しさが込み上げてくるようだった。
「もう一人の人にも届けるか」
せっかく帰国したのだから、それなりに食べられるものを用意してあげるのが、ゼノの情というものだと思う。
私は残りの菓子を持って、もう一人の男を追いかけるのだった。
大長にさっきの人がどっちにいったのか尋ねると、住宅区に向かったと教えてくれた。
小走りに追いかけると、背の高い男の背中が見える。彼はしいんと静まり返った住宅街に入り、一番狭くて有名な棟に消えていく。
家の中に入る前に呼び止めようとしたその時、後ろから何者かに肩を掴まれた。
思わず悲鳴を漏らして、振り返ると、そこにいたのはティダ姉だった。
「驚かさないでくださいよ」
「エウィ、この先は進まないで」
てっきり私をびっくりさせようとして、にこにこ悪戯心を顔に出しているのかと思いきや、姉さんの表情はとても真剣だ。
「どうしてですか?」
「ほら、シェルは年頃の男の子だし、女の子が家に付いて行っては危ないのよ」
ああ、この感じ。さっきと一緒だ。ティダ姉さんはまたしても何かを隠している。それも私のような子どもが首を突っ込んではいけないようなことで、今まさに遠ざけようとしているのだ。
「何か隠しているんですね。分かりました」
「ごめんね。言えない事ばかりで。でも、全部、エウィの事を思っての事だから」
「謝らないでください。肝心な事をギリギリまで言わないのはゼノという人種の悪い癖ですから」
偉い人というのは本心を若者には伝えないし、ゼノという人種は特に情報に関して箝口令を敷くことが多いと思う。
ゼノはいろんな場所で雑用をこなしているので、情報が外部に出ることを怖れているのかもしれない。
「十一歳の発言とは思えないわ。成人したらその頭の良さをゼノの為に使ってほしいくらいだわ」
「私を褒めてくるのは姉さんだけです」
ティダ姉さん以外の大人からは、生意気だとか頭でっかちだとか、煙たがられるばかり。
同年代の子が楽しそうに猫の話などしているのを見ると、無性にあの男を殴りたくなってしまう。そう、私の人生を変えたあの男だ。
どうして私に学を与えたのかと問うて、拳を振り上げたい。
そう、暴力だ。使ったことないけど。
私は小さなため息を吐いて、その場を離れることにした。通りの大きな曲がり角を曲がるまで、ティダ姉さんの視線をずっと感じていた。
ちゃんと分かっている。世の中には知らなくていいことという事が必ず存在する。
いくら疑問を持っても、不満を抱いても、突き詰めてはいけない真実というものがあって、真実から目を背けていれば安全だという事を。
私はこの身をもってよく知っているつもりだ。
私の良く知っている人間は、多くを知ろうとして、多くを説明しようとして、その尊い命を奪われた。
「バカ。私みたいに、好奇心とかその他もろもろを手放せばもっと長生きできたのに」
その男は、よく私に語り掛けた。知的好奇心こそが、人生を豊かにするのだ、と。
果たしてそれは真理だろうか。




