怪しい二人組
『オーリント急行』の車内は豪華な造りで、指定席のほかに特別席とよばれる個室付きの客席が用意されていた。セトは窓の外の風景に夢中になっているが、ミーナはなぜか俯いた表情をしていた。
「これが特別席か……」セトが中を見て呟いた。「座席三つ分もあるなんて、まるでお城みたいだね」
特別席の個室は、座席が向かい合わせになっていて、寝転べるほどの広さがあった。
「見てよミーナ、山があんなに小さく見えるよ!」
セトが車窓から腕を出して叫ぶ。先ほどまでは小さかった揺れが強くなった気がする。それに少し息苦しい……。
ミーナはちらと窓の外を覗いてみた。少し前まで森林などが視界を覆いつくしていたが、今は何もない、空の上を走っているような感覚だった。
「そ、そうね……」
手を膝の上に置いて頷くと、セトが覗き込むように見つめてきた。
「ミーナ、もしかして乗り物はじめてなの?」
ミーナは顔を上げて頷いた。
「村にはこんなすごい乗り物なかったから……」
馬車だって珍しかった。そもそもそれほど大きな村ではなかったし、乗り物を使う必要がなかったというのもある。しかし町から町へ移動するには乗り物は必須で、遠くに行くほどより大きい乗り物が必要になる。
「いま、山の上を走っているんでしょう?」
「そうだね、どれくらい高いかな……」
「落ちたりしない?」
ミーナは真剣な顔つきでセトに聞いた。するとセトが、荷物から包みを取り出してテーブルの上に置く。広げるとサンドイッチがいくつか入っていた。
「とりあえず落ち着きなよ」
ミーナは頷いてサンドイッチを一つ取った。食べると少し気分が落ち着いた。
「初めての経験だから、不安なのは仕方ないと思うけどね」セトが肘を窓の手すりについて呟いた。「この景色もさ、見られるのって今だけなんだ。このあと、もう少ししたらまた景色は変わって、いつかは街が見えてくる」
セトの目線はどこか遠くを見ているようだった。
「動いてる景色を見ていると、まるで時間が止まっているみたいに感じるんだ。町にいるときはずっと時間が背中を追ってくる感じがするけど、こうして座って景色を眺めているときは、景色は動いていくんだけど、不思議と時間はゆっくりと流れている気がする」
独り言のように言葉尻が小さくなっていったが、ミーナはどうにか聞き取れた。
「動いているのに、止まってるの?」
「不思議だよね」セトがうんと頷いて笑った。ミーナはそうねと頷いて、再び外の景色を眺めてみる。言っていることが少しわかった気がした。落ち着いて考えると、こんなに早く景色が移り変わる経験もそうない。まるで現実から切り離されたような不思議な空間だ。
非現実な時間だからと無邪気にはしゃいだりはしないが、楽しむ余裕は少しばかり生まれた気がした。
ミーナは思い立ったように立ち上がった。
「どうしたの?」セトが振り向いて訊ねると、ミーナは答えた。
「せっかくだから、中を探検してみようかなって」
セトが笑って言った。「そっか、足元気を付けてね」
「うん、クウのことお願いね」
カゴの中で寝息を立てる火蜥蜴をちらりと見つめて、ミーナは客室を後にした。
適当にその辺をぶらついていると、ミーナはふと立ち止まった。
「……で、どうしてあなたが付いてくるの」
人目を避けて車両の連絡通路で振り返ると、相手は悪びれることなく答えた。
「腹が減った、何か買ってくれ」
ハムが堂々と言い放つ。セトのポーチの中にいたのだろうが、出るときに姿を見た覚えはない。ミーナは断ることも一瞬考えたが、ハムが何かを買ってほしいと直接伝えてきたのはこれが初めてだった。これまですれ違った客から食べ物を奪っている素振りもない。
ミーナはしゃがんでハムを見つめた。
「何が食べたいの?」
「何でもいいのか?」
「そんなに高くなかったらね」
とりあえず売店を探すことにする。するとハムがすたすたと歩き出した。
「どこいくの?」
「こっちにうまそうなニオイがする」
偶然にもミーナが向かっていた方向だった。すると十一号車へ向かう途中でミーナはぴたりと足を止めた。
『まもなく【モーガン・フリーク】に到着します。お降りのお客様は出入り口付近でお待ちください』
出発時にも聞こえた車内放送だ。列車内の天井や壁には伝声管が取り付けられていて、先頭車両と後方車両の二か所に放送室がある。
どういう町かハムに訊ねると、「さあな」と軽くあしらわれた。
列車の車内販売は、最後列の車両に設置されている屋台式の売店だけであった。値段もそれなりだが、取り扱っている商品の品数はなかなか豊富で、飲み物や軽食、菓子類など多岐にわたる。
「いらっしゃいませ、何になさいますか?」
売り子の女性がニコニコした笑顔で訊ねてくる。せっかくなので自分も何か買ってみようとミーナは値段を見てからハムに小声で言った。
「やっぱり一個、一個だけね」
グランベールの経験から食べ物の値段が高くなることはある程度予想していた。それでもまだ手持ちはぎりぎり足りるだろうと考えていたが、甘かった。一番高い品物は銅貨二十五枚もする豪華な弁当だった。さすがにこれを頼まれてしまえば身が持たない。
銅貨二十五枚といえば、格安の宿に食事なしで一泊泊まれる金額だ。
慎重に品物を吟味しハムが選んだのは、銅貨十枚もしないクルミのクッキーだった。
「本当にこれでよかったの……?」
「ああ」
ミーナは何となく申し訳なく思って、一番安いサンドイッチを買った。それでも銅貨十二枚。手持ちは底をつく寸前である。
急いで来た道を戻ると突然、出入り口の向こうから二人組の男が車内に駆け込んできた。ミーナが叫び声を上げると、男たちは驚いたように顔を上げ、一瞬目が合った。しかし、すぐに彼らは左右に避けるようにして倒れこんだ。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
ミーナが恐る恐る声をかけると、一人の男がうつむきながら答えた。「あ、ああ……何ともねえよ」その声は震えており、男の顔は汗で濡れていた。
頼りなさそうな男がもう一人の仲間に「おい、起きろ」と小声で声をかけると、仲間はうめきながらも不自然に目を逸らしつつ、手元のトランクをぎゅっと握りしめた。そのトランクはフタが開いており、中身が露になっている。
何だろうと思って覗き込もうとした瞬間、男が慌てて体をひるがえし、トランクを勢いよく閉めた。
「あ、あはは……わりいな、嬢ちゃん」
ミーナは男の表情に恐怖を覚えた。明らかに不審だったが、訊ねようか迷っているうちに男は仲間のもう一人を引っ張り起こし、男たちは急いで前の車両へと消えていった。
あっという間の出来事だったが、ミーナはこのことが頭から離れなかった。さっきの箱の中身はいったい何だったのか。疑問が胸の内に渦巻く。
間もなく、アナウンスが聞こえて出入り口の扉が閉まった。
九号車に戻るまで、ミーナはさりげなく二人組の姿を探した。客室を横目で見ると、紳士服の男や黒ドレスの女性など、身なりのしっかりした人ばかりで、あの二人組の服装はそれと比べると、泥のような薄い色で帽子も高さの低いものを被っていた。
九号車に戻るとさすがに諦めもつき、ミーナは客席に戻った。
「あ、おかえり。ミーナ」セトが顔を上げて言った。「悪いんだけど、何か食べ物買ってきてくれないかな?」
ミーナは首を傾げた。するとカゴの方から物音がして覗いてみると、クウがぽりぽりと木の実をかじっていた。セトの困り顔にミーナはふふっと笑顔を浮かべ、肩の上のハムに視線を向けた。
「クッキー、少し分けてあげてもいい?」
ミーナがクッキーの入った袋を持ち上げると、ハムは細い目を浮かべた。




