別れと出会いの交差点
その日の朝は、少し早く目が覚めた。ついでに買った寝間着は想像以上に着心地が良く、着ていないと錯覚するくらいに重さがない。
けれど、これを着るのもしばらくはお預けだ。いつもの服装に着替え、ミーナは寝具をきれいに折りたたむ。前日に掃除をした部屋は新品同様ぴかぴかで、門出を祝福するように輝きを放っていた。
「おはよう、クウ……ずっと待たせてごめんね」
カゴに入った獣はミーナよりも先に目を覚ましていた。露骨な朝食の催促にミーナはいつも通り木の実をカゴの中に投げ入れようとして思い留まる。そして、カゴの入り口を開け、木の実が乗った手のひらをゆっくりと近づけた。
「ほら、おいで」
クウは起き上がりゆっくりとミーナの掌に近づいた。警戒はあまりされていないようで、そのまま投げ入れてもよかったが、ミーナはゆっくりと掌を自分の方に近づけてクウを外に誘導する。
「ほらほら」
クウが外に出てきた。ミーナは、「よしよし」とその頭を撫でて掌をクウの口元に近づけた。クウは掌を一度ぺろりと舐め、潜るようにミーナの掌に頭を近づける。
「……ッ、くすぐったい」
声が漏れた。食べながら舐められているような、不思議な感覚だった。食べ終えると手に傷跡などは見受けられず、クウは「キュー」と鳴き声をあげた。
「ふふ、よかった」ミーナは壁に掛けてあったコートを着ると、クウを抱きかかえ外に出た。
隣の部屋から音が聞こえ、見るとセトも同じタイミングで外に出てきていた。「あ、ミーナ」と視線を向けると、セトは、嬉しそうに言った。「いよいよだね」
ええ、とミーナは頷いた。
***
駅舎の入口の派手目な装飾の屋根の下には、おびただしい数の人が群がっていた。屋根の下をくぐり、少し視界が狭くなったことで閉鎖された空間に一歩足を踏み入れた気分になる。行き交う人の息遣いや足音がはっきりと聞こえた。
どうにか人垣を抜けて建物の中に入ると、そこには博物館のような広々とした空間が広がっていた。押し合い、ぶつかり合う人々の声を押しのけるように、駅員の声と鐘の音が構内に響き渡る。
「二番線! まもなく列車が到着します! チケットをお持ちの方は駅員にお見せして乗車してください!」
「二番線か……ならまだ少し時間があるね」クリスと手をつないだロンダートが呟く。
少し駅を案内しようとロンダートが言い、ミーナ達は人が少ないところに移動した。
駅のホーム近くで、周囲が見渡せる場所までやってくると、人垣で見えなかったものが見えてくる。ホームの壁側には、店の屋台がずらりと並び、椅子に座って食事を楽しむ人達の姿が見られた。そして来るまで気づかなかったが、ホームには二階部分があり、バルコニーのようになっている。ここは本来、見送りの人間が待機する場所で人数も下階と比べるとそれほど多くなかった。
ロンダートの提案で二階に移動したミーナたちは、そこで会話を再開させた。
「さて、これから出発なわけだが、改めて目的を確認しておこうか」
セトが頷き、ミーナが言った。
「わたしは、この子を無事に仲間のもとに送り届けること」
「僕は……一匹でも多く、未確認生物を見つけて報告します」
「うん、これまでは報告の度に戻ってきてもらってたけど、今回は特に長旅になりそうだから、報告は手紙でいい」
ロンダートはそう言った。手紙だと届くまでにかなり日数を必要とするが、短い間隔で定期的に報告を送れば、そう問題もないだろう。
「費用も基本的には手紙で送る」
「えっ、お金も送れるんですか?」ミーナが、どうやって、と怪訝な顔で訊ねた。
「【組合】という組織があってね、大きな街にある組合は他の街の組合とも連携をとっているんだ。僕たち研究者は、ほとんどがその組合に名簿を登録している」
「それがあるとどうなるんですか?」ミーナは訊ねる。
するとセトが話に割って入った。
「簡単にいえばそれでいつでもお金が引き出せるようになるんだよ」
「正確には、年間に支給される活動資金から必要な分だけ引き落とすことができる。しかしそれにはいくつかの書類と名義人のサインが必要なんだ」
「あ、だからそれを手紙に入れて送るってことなんですね!」
ミーナが明るい声で言うと、ロンダートは頷いた。
「ちなみにどれくらいもらえるんですか?」
気になって訊ねると、ロンダートは、「耳打ちでいいかい」と恥ずかしそうに言った。
ミーナが小さく頷くと、手を添えてミーナの耳元でそっと呟く。
「――くらいかな……」
ミーナは思わずロンダートを見つめた。
「そんなに……もらえるんですか?」
これでも街に来て市場の相場くらいは理解しているつもりだ。それでも目が飛び出すと思うくらいの金額だった。
「まあ……例の研究の成果が功績のほとんどだけどね」ロンダートは鼻を掻いた。
研究者は年間の執筆本数に応じて、翌年の研究資金が決まるが、さらには開発した技術の公的利用も査定に含められる。ロンダートらが開発した香水の製法は現在でも活用され、それが続く限りはライセンス料として利用数に応じた上乗せが確約される。
「資金援助が続く限りは、君たちはそれなりに自由に調査ができると思う。例によって誰かを雇うことになっても問題ない。だが……それもいつまで続くかわからない。当然僕も全力を尽くすが、未来は君たちに懸かっていることは改めて伝えておく」
セトとミーナはごくりと唾を飲んだ。
するとクリスがロンダートの服を掴んで言った。
「おとうさん、あんまりおねえちゃんたちをいじめないの」
「ああ、ごめんごめん……いじめるつもりじゃなかったんだが」ロンダートは笑って言った。「気負う必要はないよ。特にこれが世界の命運を左右するような調査であるわけでもないし、君たちは楽しんで旅を続けてくれればいい」
「わかりました」二人は頷いた。
「ああそれと……」ロンダートは思い出したようにポケットから何かを取り出すと、ミーナに向かって差し出した。「これをよかったら持っていってくれないか」
それは、ロンダートが開発した鎮静薬だった。数秒しか生き物を気絶させることができないと、市場では見向きもされなかった売れ残りの品だった。
「いいんですか?」ミーナは震えた目でロンダートを見つめた。
ロンダートは頷いて言った。「使いものになるかわからないが、君たちの助けになるものが他に思いつかなかった」
「いいえ」ミーナは首を振った。「使いものにならないわけがないです」
ロンダートはミーナを見つめた。
「それに生き物を傷つけない薬なんて……そんなすごいものに価値がないなんて……そんなはずないと思うから」
「ありがとう」ロンダートは頭を下げた。
「お礼を言うのはわたしの方です」ミーナは笑った。「この薬とか、服のこととか、色々とありがとうございました」
そこにはもう、街にきたばかりの村育ちの少女の姿はなかった。使命感に満ち溢れ、進むべき道をまっすぐに見定めた、冒険に生きる者が立っていた。
ミーナはしゃがみ込んで隣のクリスを見つめた。
「クリスも色々とありがとね。帰ってきたら、今度はもうちょっと色々話せたら嬉しいな」
「あのね……おねえちゃん」クリスが言った。「ハム、いま会える?」
「え、ハム?」ミーナはセトの方を向いた。セトが、「ハム」と呼ぶとぶっきらぼうな声でポーチから姿を現した。
「なんだよ」
「なんかクリスが話したいことがあるんだって」
ハムはクリスの方に視線をやった。「何だよ、アイサツはもう済ませただろ」
言われてクリスは一瞬固まる。「うん……あのね」とハムに視線を合わせるのをためらうようにしているクリスは、意を決したようにまっすぐと前を向いて言った。
「わたし、おともだち……つくる」
それは、他のこどもからすれば、当たり前のことかもしれない。けれど少女にとっては、勇気を踏み出した一歩だった。少女は自ら、自分の世界を広げることを宣言したのだ。
「だから……」
クリスはさらに何かを言おうとしていた。ハムはしばらくだまっていたが、やがてクリスが泣きだしそうな顔をしていることに気づくと、ああ、と頷きクリスを見つめて言った。
「こんどショウカイしろよな」
ヤクソクだぜ、とハムが笑う。それを見たクリスは、震える瞼を必死にこらえて笑顔を作った。
「約束だよ」
伝えたい言葉は、互いに口にはしなかった。けれどもう、言葉を交わさなくてもわかる。
強い絆で結ばれている。
やがて、二人の待つ汽車を呼ぶ声が構内にこだます。セトとミーナは急いで二階から下り、握ったチケットを駅員に渡して数分後に訪れた汽車に乗り込んだ。
車窓からは二階がかろうじて見え、ロンダートがクリスを抱きかかえ手を振っている姿が映った。すると、ミーナが窓から身を乗り出して叫んだ。
「またね!」
第三章 グランベール編 完
最後まで読んでいただきありがとうございます。グランベール編は前作の方でも書いていたのですが、全体的に納得できない部分が多く、今回は最初から最後まで個人的に満足して書けたと思います。
次章のゴルゴア編も面白くなるかはわからないですが、自分らしいエピソードを書いていきたいと思います。




