罪の花
数日が経ち、いつも通りの日々が戻りつつあった。例の騒ぎは、あやうく事故になるところだったが幸いロンダートとクリス以外に負傷者は出ず、馬の暴走も御者に心当たりはないものとして処理された。
ロンダートとクリスは、二人とも元通りの生活に戻り、研究室と自室にこもる日々が再び訪れた。
「……まだアイツと話せてねえのか?」
昼時、ハムは呆れた様子でベッドの上で膝を曲げて座るクリスを見つめた。
「うん……ゴメン」
「お前ら仲直りしたんじゃねえのかよ」
「お父さんが、すこし待ってほしいって言うから……」
「話すヤクソクはしてるんだな」
ハムがそう言うとクリスはこくりと頷いた。また数年先延ばしにされるようなことはないだろう。心の準備はできているはずだ。おそらくは……。
すると、扉がこんこんとノックされ、クリスが大慌てでベッドから飛び降りる。
「い、いま開けるから……!」
鍵を開けると小さく扉が開かれた。隙間からはロンダートの顔が伺える。
「昼食……まだだろう」ロンダートはプレートを持ってクリスの方を見た。
「う、うん……」
ハムは気づいてベッドから降りた。「じゃ、オレ様は失礼するぜ」
「あ、ちょっと待ってくれ」
ロンダートに呼び止められてハムは振り向いた。
「今まで、娘を支えてくれてどうもありがとう」
ハムは目を見開いた。今まで、こんな姿を見たことは無かった。どちらかと言えばハムは、ロンダートが苦手だった。ルイーダに比べると、理性的で無慈悲な印象を持っていたからだ。しかし、いま彼の眼には、それとはかけ離れた男の姿が映っている。
――ニンゲンのクセに……。
「やめろ……ガラじゃねえだろ」
「この子を一番近くで支えていてくれたのは君だった」
「好きでやってたわけじゃねえよ」ハムはぽつりと言った。「ヤクソク、だったからな」
「ハム!」クリスがハムの方を見て叫んだ。ハムが振り返ると、クリスはにっと笑って言った。
「うそつき」
「アイツほどじゃねえよ」ハムはふっと笑った。
ハムが去って、ロンダートはクリスの部屋に入った。きょろきょろと辺りを見回す。
「いつもここで食べてるのか……」
「うん、ベッドの上でね……」クリスはロンダートを見つめた。「ぎょうぎわるい?」
「いや、食べないよりいい」ロンダートは首を振る。「僕も言えたぎりじゃないが、今度からは一緒に食べよう。話し相手には僕がなる」
「うん」クリスは頷いて、ロンダートの持つプレートを見つめた。「お皿がふたつ」
「明日からは、ちゃんとしたテーブルで食べよう。ただ今日は、少し話をしながらでもいいか?」
ロンダートが訊ねると、クリスはいいよと頷いて一人分の皿を受け取る。
「クリスが聞くの?」
「ああ、わからないことがあったら質問してくれて構わない」
「わかった」
するとクリスはよほどお腹が空いていたのかさっそく食べ始めた。
「食べ終わってからにするか?」
「いーよ、ちゃんときいてるから」
「そうか……」ロンダートは頷いて「では……」と懐から何かを取り出した。
それを見たクリスは、食事の手を止めてその姿に見入った。
「それ……」
「あの後探して買ってきた。『クレハの花』……ルイーダ……母さんが一番好きだった花だ」
「おぼえてたんだ……」
「忘れるはずがない。この花は僕にも因縁の深い花だった」
ロンダートはそう語り、ついに……隠してきた秘密を打ち明ける。
「母さんは、病気で亡くなったわけじゃない……僕が、僕のせい彼女は死んでしまった」
花を握りしめるロンダートの力が強くなる。思い出せば自然とそうなってしまうのだ。表情も意図せず醜いものになってしまい、思わず目を背けるとクリスがロンダートの手に触れて言った。
「ゆっくりでいいよ……ちゃんときいてるから」
「ルイーダ……ああいや、わかった……そうする」
ロンダートは首を振り、ぽつぽつと過去のことを話し始めた。
ロンダートは今も大型の獣を専門とした研究を行っているが、かつてはその中でもある分野に傾倒していた。それは『操獣』……獣を意のままに操ることを目的とした分野だった。
操獣には獣の精神に直接作用させる催眠療法が多く使われていたが、効き目には個体差があり、多くの獣はそもそも効果がなかった。
そこでロンダートは、薬効の強い草花に焦点を絞ることにした。というのも、花に関して自分よりも遥かに詳しい人物がいたからである。妻のルイーダは、その幅広い知識を駆使し、ロンダートが欲する生物や効能を持つ花を次々と見つけていった。
そしてついに、二人は花を見つける。しかしその時になって、ルイーダとロンダートの意思が徐々に食い違い始める。
「ねえ貴方……これって本当に正しいことなの?」
「何を言ってるんだ。当たり前だろう……獣を操ることができれば、多くの利点が生まれる。獣に襲われる心配はなくなるし、獣を馬や牛のように使うことができるんだ」
こんな画期的なことはないと、ロンダートは強くルイーダに訴えた。ルイーダも、「わかったわ」と了承し、衝突は一見の終息を見せた。
そして数年を経て、二人は催眠に極めて近い効果をもたらす『香水』を作り出すことに成功した。最初の頃はルイーダもとても喜んでいた。香水の製法は瞬く間に広がり、街には大型の獣が数多く出入りするようになった。
しかしそれは、ルイーダが望んでいたものではなかった。彼女が目にした光景は、獣がまるで道具のように到るところで扱われ、虐げられる有様だった。ロンダートもそのことを知り、自分のしたことは間違いだったと二人は深い後悔に苛まれる。
しかし二人が残した功績はあまりにも大きかった。製法を応用し、様々な効果をもたらす香水が次々と生み出されていった。もはやその波は、止めることはかなわなかった。
途方に暮れた二人は、獣を操るのではなく、無害にすることを目的に新たな薬の開発に着手した。獣が持つ闘争本能を抑え、興奮を鎮める事だけに特化した鎮静薬……これに心血を注いだのだった。
そして、薬は完成した。構想から四年の歳月がかかった。その間には、様々なことが起こった。娘が誕生し、ルイーダは母親となった。家族が増えたことで、これまで以上にロンダートは研究にのめりこんでいった。
「母さんが倒れた時のことは……よく覚えている。あの頃は、薬もほとんど完成していたから、母さんには、薬に使う花の栽培だけをしてもらっていた」
「うん……」
その薬に用いていた花が毒を持っていたと知ったのは、ルイーダが倒れてからだった。含まれていた毒素は僅かだったが、長期間近くに置いていれば当然毒は強まり身体に悪影響を及ぼす。
「結局その薬の開発は中止になった。わずかとはいえ毒を持つものを使わせるわけにはいかない」
ルイーダが、そのことを身を挺して伝えてくれた。だからこそ、ロンダートはこの研究を辞めるわけにはいかなかった。そして埋葬のあと、部屋の整理をしているとき、ルイーダの手記を見つけた。
「ほとんどは薬に用いている花の経過観察だったが、他の花についても書かれていた」
おそらくはその後も花についての調査を続けていたのだろう。本屋で文献を読み漁り、日々知識を更新し続けた。
ロンダートはルイーダの手記を手掛かりに毒素のない花を探し出し、薬を作った。
「僕にもっと花に関する知識があれば、気づけたかもしれないんだ」
花のことを悪くいうつもりはない。だが、その花を見つけると……抗うことの衝動に支配されてしまったようにロンダートは我を忘れてしまうようになった。
「ルイーダは……僕にもう一つ隠し事をしていた。僕も長期間あの花の近くにいたが、症状は特に出なかった。それは……母さんの体の免疫力が、普通のヒトよりも低かったからだとわかった」
そのことを彼女から聞かされたことはなかった。多少貧血気味だどか、転びやすい体質なのだと笑ってごまかすばかりで、本当のことを言ってはくれなかった。
「ルイーダのことを考えると、いつもそのことばかり思い出してしまう……妻としての彼女は、僕にはもったいないくらいの女性だった。研究者としてじゃなく、妻として彼女ともっと関係を築けていれば、こうはならなかったんだろうと……」
するとクリスが言った。
「おしごとのことはよくわからないけど、クリスは……おとうさんがおかあさんをキライじゃないってわかっただけでじゅうぶんだよ」
「ほんとうに……それだけでいいのか?」
他の家の子のように、母親がいないせいで不自由を強いられているんじゃないかとロンダートは心配だった。
「外に遊びに行ったりもしていないだろう、母さんがいたら……」
「えほんよんでる方がたのしいから」
クリスはきっぱりと答えた。
「けど、おともだちもいたらたのしいと思うから、がっこう……また行ってみてもいい?」
「あ、ああ……! もちろんだとも」
ロンダートは嬉しそうに頷いた。
***
「そんなことがあったんだ……」
自室でセトにルイーダとロンダートの話を聞いたミーナは、思わず訊ねた。
「でも、薬は完成したのよね?」
「うん、したよ」セトは頷いた。「でも、全然売れなかった」
落ち着いた様子でそう語るセトにミーナは真逆のテンションで訊ねる。
「どうして⁉」
「生き物を数秒気絶させるだけのものに何の価値があるんだ……ってさ」
そしてその薬は、ほとんど誰の目にも留まることなく、市場から姿を消したのだった。
「あ、でも……これでいちおうミーナがこの町でやり残したことは無くなったんだよね?」
「え? ええ……まあそうね」
これ以上自分たちが介入するのも筋違いな気がするし、とミーナは頷いた。
「じゃあちょっとだけ、僕の用事に付き合ってもらってもいいかな?」
「い、いいけど……?」




