言いたいこと
その日の昼食、ミーナはセトにハムを連れてこさせ、三人で食卓を囲んだ。
「こうして三人で食べるのも久しぶりよね」
ミーナが言うと、セトは、「そうだね」と棒読みで相槌を打った。
「ハム、あなたは街でふだん何を食べてるの?」
純粋に気になったのと、彼の方からボロがでないかと期待をかけてミーナは訊ねた。
「ニンゲンが落とした食いモンとかだな」ハムは木の実をかじりながら言った。「その日のうちなら味もそんなにかわらねえし、うまい」
予想外の答えにミーナは顔をひきつらせた。
「森は食べ物を手に入れるのも一苦労だけど、町にはたくさんあるから困らないよね」
セトが昼食のサンドイッチを頬張りながら言った。
ミーナが訊ねる。
「食べ物がたくさんあるのに、地面に落ちたものを食べるの?」
店から盗ろうとは思わないのかと聞くと、ハムは食べる手を止めて答えた。
「前にてめえが言ったんじゃねえか、ニンゲンから食い物を奪うなって」
「それはそうだけど……」
あんなことを言っておいて、虫の良い話だとは思う。けれど自分はあのとき、何も知らなかった。それに、この町とあの村は違う。それこそ、地面に食べ物が落ちても、誰も拾わないくらい溢れている。だったら………。
「少しくらい、盗って食べてもいいじゃない」
ミーナは揺れていた。正義感と罪悪感の間で。動物がこの町で生きていくためには、やはり人間から食べ物を奪うことが一番簡単な方法だ。あとは飼われるか、ハムのように、人間がこぼした食べ物をすするような真似をするしかない。
「生きるためにそれが仕方ねえことならするさ。だが、目の前に食えるモンがあるのに手を伸ばさねえのは勿体ねえだろ?」
なぜ、なんて野暮なことは聞けなかった。ただ、生きることに必死だからだ。そんなこともわからないようで、彼のことをわかった気になっていた自分が許せなかった。
「あの、よかったらわたしの分も食べて」
ミーナはそう言って、自分のサンドイッチを一切れハムに渡した。
「なんだ、気前がいいな……なんか企んでやがるのか?」
「ううん、そんなことない」
ミーナは誓ってと首を振った。「見返りなんて望んでない。分け合って食べる方がおいしいでしょ?」
「たしかにな」ハムは頷いてサンドイッチに手を伸ばす。
セトが、肘をついて中空を見つめるような仕草をした。
「それとはべつに、聞きたいことがあるの。あなた、クリスとはどういう関係なの?」
ハムは、サンドイッチを一口頬張ると、飲み込んで言った。
「まあ、その甘さに免じて教えてやる……べつにトクベツな関係じゃねえよ。ただの話し相手だ」
やっぱり、とミーナは心の中で言った。
「どんなことを話してるの?」
「それは言えねえ」
「おねがい! 話せることだけでいいから!」ミーナは手を合わせて懇願した。するとハムが、溜め息をついて言った。
「ほとんど子供の独り言だ。オレ様はただ、ああ、とか、そうか、とか適当に頷いてやってるだけさ。理解なんざ一ミリもしてねえ……それでも、話すと気が紛れるってアイツが言うモンだから相手をしてやってるだけだ」
「あの子のお母さんの代わりによね?」
聞くと、ハムはセトの方を見て言った。「話したのか?」
「ミーナが聞きたいっていうから」
ハムはミーナの方を見て言った。「オレ様がアイツの代わりなわけねえだろ。ただ、父親があんなんだからな」
ミーナはなんとなくわかると頷いた。
「けど、いつまでもこのままじゃいられないでしょ。だから、なんとか二人を仲直りさせたいのよ」
「無駄だ。前は手を貸してやったが、あれはトクベツだ。どうしてもってんなら見返りをよこせ。量もたくさんだ、オレ様が良いって言うまで……」
言いかけたハムに、ミーナは自分のサンドイッチの入ったさらをハムの方に押し出す。
「足りないなら、今日の夕ご飯でも、明日の朝ごはんでも私の分はいくらでもあげる」
するとセトが、セトが自分の皿もハムの方に寄せた。
「ミーナがそう言ってるし、僕もいいよ」
「だから嫌いなんだよ」ハムは呆れた顔で寄せられたサンドイッチを見つめた。「てめえの食いモンを簡単に手放すな」
「わたしたちは弱い生き物だもの」ミーナは言った。「だから食べるものも住む場所も、みんなで分け合って暮らしていくしかできない」
それが人間として生まれた運命であるかのようにミーナはハムに言った。
「困ってる人を見捨てられない。それって甘いかもしれないけど、すごく素敵なことだとわたしは思うわ」
***
ドアを開け、台所からとってきた昼食の余りが入った袋をクリスはベッドの上にどさりと置いた。こういうとき、いつもとなりには彼がいるものだが、今回はいない。
昼食は外で買ってこられたものがほとんどで、基本的にパン系である。この近くにあるパン屋さんは一つしかなく、その中のメニューも豊富とは言えないため、自然、食べ続けていると飽きてくる。
今回はサンドイッチか、と。一切れ掴んでクリスは口に運んだ。とたん、甘美な甘さが口の中に広がった。
「これ……なに⁉」記憶にない味に、クリスは興奮とともに困惑の表情を浮かべる。件のパン屋の新商品か? にしては味付けが自分の好みに当てはまりすぎだった。ハチミツの甘さとレモンの香りが確かに感じられた。
夢中で一切れ平らげ、クリスは顔を上げた。「ねえ……これ!」
いつもそこにいる場所に、彼がいない。クリスは、袋の中から一切れサンドイッチを取り出すと、彼がいつもいる場所にことりとおいて、「おいしいね」と笑いかけた。
味気のない食事でも、彼がいればたちまち楽しい食事に変わる。彼は食べることが好きで、おいしい食べ物の話しをするときは食欲が湧いてくるし、不味い食べ物のときは今食べているものが少しばかりおいしく感じられて幸せな気持ちになる。
そして滅多にないことだけれども、台所からとってきた食べ物の中においしいものが混ざっていたときは、二人で顔を合わせて感想を言い合う。
今日はそんなトクベツな日になる予定だったのに……。クリスは扉の方を見つめた。
するとトントンと小さくドアがノックする音が聞こえた。そして「オレだ」という声にクリスはベッドから飛び降りてドアを開ける。しかし、目の前にいたのは彼ではなかった。
「ごめんなさい、急に」何度か顔を見たことのある年上の少女が、小さく頭を下げる。
クリスは怯えて、きょろきょろと視線を動かした。やがて、気のせいかと肩を落としてドアを閉めようとすると、声が割って入る。
「待って!」少女がドアに手懸けて叫んだ。「話がしたいの! おねがい!」
クリスは全身に力を入れて叫んだ「は……なして!」
「ごめん!」
すると一瞬、全身の力が緩んで、クリスは不思議な力に引っ張られるように後ろに倒れこんだ。気づいた少女が駆け寄ってくる。
「ごめんなさい! 離してって言われたからつい……」
ドジをしたのは自分だ。クリスは倒れたままそっぽを向いて言った。
「なにしに……きたの?」
「えっと、それは……」
口ごもった少女は、クリスの部屋の中を見つめて、ベッドの上にあるものを見つけて言った。
「そのサンドイッチ……」
「だめ……!」
クリスは起き上がってベッドに駆け寄ると、サンドイッチを抱きかかえて叫ぶ。
「これは……はむの!」
「ぜんぜん! 盗ろうなんて思ってないから!」そう言って少女――ミーナはぶんぶんと首を振った。「そうじゃなくて、それ、食べてくれたのね」
「えっ」
クリスが顔を上げ振り返ると、ミーナは言った。
「それ、わたしが作ったの。いつも同じ味付けだったら飽きちゃうでしょ? レモンとハチミツで作ったジャムを入れた簡単な料理だけど……おいしかった?」
クリスは一瞬固まって、やがてこくりと頷いた。
「よかった」とミーナはクリスに笑いかける。
「お父さんにも、食べてもらっていい?」
ミーナがそう言うと、クリスは唇をつんと前に出した。
「すきにして」
「クリス、てめえはもっと人前で子供らしくしろ」
その声が聞こえると、クリスは表情を変えて声のした方を見つめた。
「はむ!」
ハムは、ミーナの肩に乗ったままクリスを見つめて言った。
「オレ様の前でしか笑えねえようじゃ、外でなんてやっていけねえ。せめててめえのオヤジにくらい、何でも言えるようになったらどうだ?」
唯一信頼しているハムからの言葉に、クリスはぽつりと言った。
「わかってるよ……でも、おとうさんがダメだから」
「それはわたしもそう思う!」
いきなり強い声でミーナが頷き、クリスはえっと顔を上げた。
「いくら仕事が忙しくてもね、朝ごはんくらい一緒に食べてあげてもいいのにってわたしも思うもの。それに……朝食もいつも一緒だし。ベーコンに目玉焼きでしょ? あとサラダ。もっと他にあるでしょって思う。ほら、たった数日でもこんなに言いたいことが出てくるんだから、家族だったらもっとたくさんあるはずよ」
クリスは、こくりと頷いた。するとミーナは、「聞かせて?」と目線をクリスに下げた。
「えっとね、おとうさん、わたしが好きな食べものしらないの」
「それってどんなの?」
「ハチミツとレモン。おねえちゃんが作ってくれて、とってもおいしかった。あと、目を合わせても、しゃべってくれないの……かなしい」
「先生も緊張してたのかもね」セトが間に入って来ると、ミーナは振り向いて、「黙って」と目で制した。
「ごめん」セトは両手で口を覆う。
「おとうさん、おかあさんのこときらいになったんじゃないかなって」
「それはどうして?」
「おかあさんのおへやにあった、おかあさんの好きなお花。おとうさん、おかあさんがしんじゃってからすぐ捨てちゃったから」
確信にはまだ遠い。しかし、クリスがロンダートをまともに見れなくなってしまった原因がこれらにあるのだとしたら、そこに二人の関係を元通りにするものも隠されている気がした。
「大丈夫よ。おとうさんは、おかあさんもあなたのことも嫌いになってなんかいない」
「どうしてわかるの?」
呟いたクリスに、ミーナは、「それはわからないけど」と言葉を濁す。「でもお父さんだもの。嫌いになったら家から追い出すでしょ。でもそうしてない。顔を合わすのが恥ずかしいだけなのよ」
「家から追い出すのはやりすぎだろ」ハムが言った。セトも、うんうんと口を閉じて頷く。
「たとえ話よ、たとえ話。でも、だから、お父さんがあなたのことを嫌いになってないって、わたしは証明したい。だから、手伝ってくれない?」
クリスは、ミーナの目を見つめて、ぎゅっと手を握った。
「なかなおり?」
こくりとミーナが頷くと、クリスは、「したい」と力強く言った。




