いびつな家族
朝、ミーナは目を覚ますと、窓から外を眺めた。ついに変わり映えもしなくなった景色に、ミーナは村での日々に思いを馳せる。新しい日々が積み重なっていくごとに、過去の記憶へと遠ざかっているような気がした。あの日のことを忘れるはずもないが、村を出てからの方が村にいた頃よりも鮮明に記憶に焼き付いている。
ミーナが使わせてもらっている部屋は、初めからベッドや最低限の家具が備え付けられていた。元々誰かが使っていた部屋なのかもしれないが、その割には物が少ない。
そろそろ朝食の時間なので、ミーナは起き上がって近くの棚に足を向けた。そこには、鉄製の鳥かごのような中に、一匹の獣が横になって寝息を立てている。
火蜥蜴は、とぐろを巻くような体勢で眠っていた。鱗のような赤い体皮は、実際のところ触るとぷにぷにと柔らかい。そしてもう一つ、竜の特徴であるとある部位を見つめてミーナはロンダートにかごを受け取ったときのことを思い出した。
「一つ言っておきたいが、今のままでは、たとえ仲間の群れを見つけられたとしても群れに合流することはできないだろう」
顔を上げたミーナに、ロンダートははっきりとした口調でその理由を説明した。
「火蜥蜴の羽は、全身の大きさに対して一回り小さい。これでは、体重を持ち上げられるだけの力は生み出せない」
「……飛べないってことですか?」
聞くと、ロンダートは無言で首を縦に振った。
「野生の世界は、私たちが想像しているよりもずっと厳しい。たとえ同じ種族であっても、見捨てられ、置き去りにされてしまうこともある」
どれだけ自分たちのいる世界が人間に優しいか……そんなこと、村にいた頃は気づくこともできなかった。人間に生まれたことは、生物として疑いようもなく幸運なことだ。寿命で死ぬことができる種族など、生物飽和の時代といえ両手の指ほどもいない。
だから人間でいることが誇らしいと、人間に生まれてよかったと、こうした現実を目の前にした人間の多くはそう語る。命に優しい人間ほど辛い世界だと、そんなことを考えなければどれだけ生きやすい世界か。
これから先、多くの人間がその現実を彼女に突きつける。そして選択を迫るだろう。
「君には彼に名前を付けてほしい」
辛い現実を聞かせておいて、ロンダートは重要な役目をミーナに任せた。名前なんて、本来人間しか持ち得ない。生物として、火蜥蜴は火蜥蜴という個体でしかない。
「どうして……わたしに?」
「君は彼が火蜥蜴だと知って助けたのかい?」
ロンダートの問いかけに、ミーナはふと火蜥蜴の方を見つめた。
本当は、誰でもよかったのかもしれない。特別でなくたって。本来、つながりも何もない関係だったのだ。わざわざつなぎとめておくような、メリットも何もない。
だからこれは人間の一方的な自己満足でしかない。ペットに首輪をつけるような行為に他ならない。それでもミーナは、名付けをすることを決意した。たとえ一方的だったとしても、ミーナは彼をただの火蜥蜴として見ることはできなかった。
「キュイキュイ」
火蜥蜴がカゴの中で、窓を拭いたような音を響かせる。
「早くここから出たいわよね」
ミーナはそう呟いて、ロンダートの方を向いた。
「おはよう……クウ。おなか空いた?」
背中の小さな羽が寝息に呼応して小刻みに揺れる。まだ何度かしか呼んでいないその名前は、ミーナの中で少しずつ、確かなものへと変わっていくのだった。
「たくさん食べて大きくなってね」
***
部屋を出て、ミーナは一階のリビングへと向かった。テーブルの上には朝食の用意が人数分されていて、すでにセトが寝起きのクセッ毛をそのままにしてパンを頬張っていた。
「ふぁ、ミームァ、おふぁよう」
「飲み込んでからにしなさいよ……」ミーナはちくちくと言ってセトの隣に座りこんだ。自分用のプレートを手に取ると、その上には焼いたベーコンと目玉焼きが二つ、そして野菜を適当に刻んだサラダが添えられていた。
この朝食を作ったのはロンダートだった。昼は街で食べたり、ミーナは自分で作ったりしているが、朝と夜はロンダートが料理をすることになっている。たまにセトも手伝う。
しかし、そのロンダートはこの場にはいなかった。もう数日続いているその光景は今となっては見慣れたものになっているが、当初は驚いたものだった。
その理由は本の執筆期限が迫っているかららしい。ロンダートの研究者としての収入は年の初めに支払われる研究費と著書の売上がほぼ全てである。特に現役の研究者は常に新しい情報を発信することを求められるため年に数冊は本を執筆しなければならなかった。
「朝ごはんくらいこっちで食べればいいのに」
「初日はいたんだよ」
そうセトが言ったのを聞いて、ミーナは、「悪かったわよ」とぼそりと言った。とはいえ、いたのはその日だけである。あとの日は研究だの何だとの理由をつけて部屋から出てこなかった。
ミーナはちらと、視線をテーブルに向ける。もう一人分、プレートが残っているのを確認してミーナは溜め息をついた。
「まだ来てないのね」
ミーナがぼそりと言うと、セトは、「そろそろじゃないかな」と、真後ろの古びた大きな置き時計を見て言った。
その言葉通り、数分後に廊下の方から足音が聞こえて二人の前に一人の少女が姿を現した。
「おはよう、クリス」
セトがそう声をかけると、パジャマ姿の少女――クリスはプレートを両手で掴んで二人を一瞥した。
無言で去ろうとするクリスにミーナが慌てて言う。
「ねえ、今日はリビングで食べない? ほら、天気もいいし」
クリスは一瞬立ち止まって、そして逃げるように小走りで階段を登っていった。
ミーナは、見捨てられた子猫のように少女が逃げた方を見つめて、溜め息をついた。
「またダメだったね」セトが、「元気出しなよ」と声をかける。
「朝ごはんをみんなで食べるのって、そんなに難しいことなの?」
ミーナは机に向かって言った。顔を上げてセトの方を見つめると、目を閉じて考え込む姿勢をとる。
「これも一つの家族のカタチってことじゃないかな」
「朝ごはんも一緒に食べられない家族ってなによ」
ミーナは悔しさを声に滲ませた。
クリスはロンダートの一人娘である。二人は血はつながっているが、関係性としては家族とはいえないものだった。同じ家にいながら、会話はなく、二人とも部屋に閉じこもってしまっている。
居候のミーナとセトが、本来家族の団欒スペースであるリビングを貸し切れてしまっているこの状況は、ミーナからしておかしいと言う他なかった。
なんとかして、この二人を仲直りさせる方法はないかとセトに訊ねたが、ミーナよりも長くこの家に住んでいるセトは、おかしいとは感じていないらしいのだ。
つまり、セトがこの家に住み始めた頃から、この状況は続いていた。
「もういいでしょ、いいかげん……」
居候であるミーナ達には、本来関係のないことであるが、すでにミーナにとっては他人とは思えない間柄となっていた。
早々に食事を切り上げ、ロンダートの所へと向かう。心配だからとセトも付いてきて、扉をノックしようとした瞬間、溜め息をつきながらロンダートが出てきた。
「うわっ!」と叫び声をあげてプレートをひっくり返しかける。「どうしたんだ二人とも」
首を傾げたロンダートにミーナが叫ぶ。
「ロンダートさん、クリスと仲直りしてあげてください!」
「またその話か……」ロンダートは肩を竦めて言った。「べつに喧嘩をしているわけじゃない。私もあの子も、ヒトと関わり合うのが苦手だっただけだ」
「でも、親子じゃないですか⁉」
「関係ない。あの子は、学校にも通わせていた。それでも馴染めなかったのだ。私も同様、あの子と何を話せばいいのかわからない。だから不可能だ」
論理的にできない理由を並び立てるロンダート。ここでの感情的な攻めは意味をなさないこともミーナは理解していた。
「全て私の責任だ。あの子の育児を全て母親に任せていた……だから責任は必ずとる。もう少しだけ待ってはくれないか?」
されど五年、状況は何一つ進展していない。ここまでこじれてしまったら、もう無理やり二人を引き合わせるしか方法はないように思えた。
ミーナはたまった感情を押し殺してロンダートに訊ねた。
「いつまで待てばいいんですか?」
「それは……君たちが旅を終えて帰って来る頃には」
「嘘です。そんなことできるわけがないでしょう? だから私たちがこの町にいる間に、ロンダートさんにはちゃんとしたお父さんになってほしいんです!」
ミーナの目に圧倒されて、ロンダートは口を引き結んだ。「本当にすまない」
絞り出すように言うと、ロンダートは背を向けて部屋の扉を閉めた。
「ロンダートさん!」
扉を叩くミーナの叫び声にも返事はなかった。
「ミーナ、もう諦めよう」
そうセトが声をかける。するとミーナは首を振って言った。
「ぜったいにあきらめない。だってもうここは、わたしたちの帰る場所なんだから」




