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竜と赤ん坊

「僕は、人の寄り付かない山の岩の溝に捨てられてたらしい。僕を見つけたとき、その白い竜はひどく怒ったんだ」


「どうして怒ったの?」ミーナが訊ねた。


「その山は竜の住処でね、そこに勝手に踏み入ったことも気に入らなかったし、同種の生き物を見殺すような真似をする理由がわからないって言ってたよ」


「ちょっと待って。言ってたって……誰が?」


「竜に決まってるじゃないか」セトは平然と答える。


「竜って話せるの?」ミーナが恐る恐る訊ねた。


「直接話せるわけじゃないよ。ただ、心を開いた相手とは意思の疎通ができるようになるんだって」


 ミーナは、なぜかその答えをすんなりと受け入れることができた。


「話を戻すよ。最初は竜もその赤ん坊を見捨てようかと思ったんだけど、赤ん坊を捨てた人間と同じにはなりたくないって受け入れたんだ」


「竜の子育てか……ちょっと見てみたいかも」ミーナが言った。


「そんないいものじゃないよ。食べるものも、体の仕組みも全然違うし……ただ、意思は通じてるから、いま何をしたいのか……お腹が空いてるのか、眠いのかトイレに行きたいのか、それは言葉を交わさなくてもわかったんだ」


 それは、本当の意味での以心伝心だとミーナは思った。なぜ竜がそこまでその赤ん坊を――彼にそこまでできたのか。そこには紛れもない、人間と同じ親の愛情があったからではないだろうか。


「まともに食事が摂れるようになって、歩けるようになってからは、僕も朧気だけど記憶はあるよ。獲物の捕まえ方とか、雨風のしのぎ方とか……色々なことを教えてもらったよ。同じだけ……ケンカもしたなあ」


「本当の親子かぞくみたいね」ミーナは言った。


「家族だよ。僕は今でもそう思ってる……でも、突然いなくなったんだ。何も言い残さずに……突然ね」


 セトは、今でもたまに当時のことを思い出すとミーナに言った。


「少し肌寒い日の朝だった。前日が大雨でね、洞窟で雨宿りして二人でそのまま眠ったんだ。そして僕はそこにいるはずの竜に手を伸ばした。けど掴めなくって、それで目が覚めたんだ……竜はいなかった。白い羽が数枚地面に落ちてて、僕は必死でニオイを追ったよ……でも見つけられなかった」


 セトは、毛皮の上着にそれが入っているとミーナに伝えた。ミーナは好奇心を抑えられずに上着の内側、いくつもあるポケットの中でボタンのついているポケットに触れて、中に硬い感触を確認した。中からは、試験管のような小さなガラス製の容器に入った発光する羽が出てくる。

 その羽を見て、ミーナは思わず「きれい……」と呟いた。


「それは、もう何年もずっとそのままなんだ。中は開けないでほしい」


「わかってるわよ」ミーナは言われるまでもないと、容器を元の場所に戻した。


「それが唯一の手掛かりだ。あとは何もない。竜の名前も僕は知らないんだ」セトは、うずくまるような声を出した。「竜を探すのは、ビーストの調査の中でも特に危険なものなんだ。だから君には、本当ならもっと早く話しておくべきだった」


 なぜそれができなかったのか。忘れていた……そんな簡単な話しではなかった。セトは何度も話そうと試みてきた。しかしできなかった。


「ごめん……」


 命を守るどころか、逆に危険にさらしてしまうことになると、セトは扉の奥で声を漏らす。


「謝ることないわよ」ミーナが言った。「これはわたしが決めた選択ことだし、たまたま……目的が一致しただけでしょ。むしろ良かったじゃない」


 それはミーナの本心だった。


「きっと見つけられるわよ。生きてさえいれば、相手もあなたを覚えてるわ」


「そう、かな……」セトは、ゆっくりと泣き止むように声の調子を戻した。


「会ってどんなことをしたいの? 聞かせてよ、もっと」


 ***


 机においたカップの紅茶を呷りながら文献に目を通していたロンダートは、扉を叩く音を聞いてカップを置いた。


「どうぞ」


 扉を開けて入ってきた少女は先ほどと少し顔つきが変わっていた。突然で驚いていたのかもしれない。しかし今は、覚悟が決まったような顔つきだった。

 ロンダートは、頼んでよかったと目元を細めた。


「来てもらったのは他でもない……彼を君に預けたくてね」


 ロンダートは机の上に置かれた鉄製のガゴを持ち上げた。中には特定危険保護指定生物――火蜥蜴(サラマンダ)が横になって眠っている。


「まだ実感はないと思うが、これは極めて重要な任務だ。本来であれば、君ではなく本職の人間に依頼するところだが、火蜥蜴かれがそれを拒んだ」


「私に……」ミーナはごくりとつばを飲み込んだ。


「これも君が、身を挺して彼を護ったからだ」ロンダートはそう言って、ミーナに笑いかけた。「生き物に信頼される人間はそうはいない。自信を持ちなさい」


 ロンダートは、ミーナにカゴを渡した。ミーナは大切なものを受け取るように両手でしっかりと抱えて、「はい!」と頷いた。


「……ところで君は、セトの……彼が獣を操る場面(ところ)を目撃したんだったね」


「はい……操るっていうか、動けなくなってたように見えましたけど」


「そうか……ならばもう一つ伝えておくべきことがある。あの能力(ちから)は……極力、使わせないようにしてくれ」


 ミーナが呆気にとられたような表情を見せると、ロンダートはそれを予期していたかのように机の上からあるものを持ちあげた。


「それは?」


「昔の新聞だ。五年ほど前かな、大規模なビーストの襲撃事件が起こった。被害に遭った町はほぼ全壊……閉鎖を余儀なくされた」


「全壊……」


「ここまで大きな事件は前例がなかった。記事では伏せられているが、これを引き起こしたのがまだ幼い子供だったというのは私にとっても衝撃だった」


 事件は、何の前触れもなかったと現場に居合わせた人間の多くは語っているという。突如、町の上空に数体の大型のビーストが出現し、瞬く間に町を蹂躙していった。


「どうしてそんなことが起こったんですか……?」


 ミーナは、強くロンダートに訊ねた。ロンダートは、目を伏せるように答えた。


「強い臭いは、生き物を呼び寄せる……まだ原理メカニズムは明らかになっていないが、闘争心の強い獣は、他の動物の臭いによって一種の興奮状態になることが確認されている」


 例えば、サメは血の臭いで理性を失い、同族であっても食い殺すことがあるとロンダートが伝えると、ミーナはそこでようやくセトの行動に得心がいった気がした。

 セトが身体を洗うのは、あの時みたいに近くにいる生き物が動けなくなってしまうからだと思っていた。ただ、その程度の危険(リスク)であれば、彼はあれほど取り乱すだろうか。時には自分の命すら容易に天秤にかけてしまえるほどの彼が、取り乱すことなんて一つしかなかった。


「彼は……ずっとこの力を封印し(おさえ)てきたんですね」


「だからといって君が責任を感じることはない。こうなることも覚悟して、セトも力を使ったはずだ。幸い、今回は被害が出なかったが……君にも、この力の危険性については知っておいてほしかった」


「はい」ミーナは頷いた。「教えてくださってありがとうございました」


「礼をいうのは私の方だ」そう言ってロンダートは、ミーナに頭を下げた。「生き物のことだけではない。教え子(セト)のことも、君は救ってくれた」


「そんな、わたしはただ……」否定しかけたミーナに、ロンダートは顔を上げて言った。


「人からの感謝は素直に受け取りなさい。君が何を思って行動していなかったとしても、そうして救われた人間がここにいる。結果が全てとは言わないが、君の行動は間違っていなかった、誰しもができることではなかったとその選択に自信をもってほしい」


 ミーナは口を閉じた。として、喉奥からこみ上げてくる言葉を全部飲み込んで、頷いた。


「はい」


 ロンダートは、それでいいと満足そうに頷いた。

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