旅の終わり
ミーナが目を覚ますと、知らない天井が目の前にあった。一瞬、死んだように思った直後、首元に痛みを覚えてミーナは口元に笑みを浮かべた。
「起きたか」
ミーナは起き上がって声のした方を向いた。そして寝台の横の同じ高さの棚の上で、ぼりぼりと木の実をかじっている姿を見つけて、ミーナは目を細めた。
「……ここはどこ?」
「アイツの家だ」
さらにと答えたハムにミーナは少し首を傾げたが、やがて意味を理解して言う。
「彼はどこ?」
「風呂場だ」
「そう……」ミーナは呆然と頷いた。
目を覚ます前とは一変した、まるで時間が止まったような感覚だった。秒針の音がやけにはっきりと聞こえて、窓から見える外の明るさがいやに眩しい。
「これからどうすんだ」
突然そんなことを聞かれて、ミーナは少し我に返った。
「全部終わったら、町を出て村に戻るわ」
「旅は続けないんだな」
ミーナは頷いて言った。
「この町はわたしには合わないし、旅を続ける目的も資金もわたしは持ってないから」
今まで何の目的もなく旅を続けてきた。ただ彼についていけば、自分のやりたいことが見つかるんじゃないかと思っていた。そして、自分の使命のようなものを見つけた。
「なんかね、妙にスッキリしちゃったのよ。まだやり遂げてはないんだけど、それが済んだらわたしはたぶん満足しちゃうんだろうって」
夢から覚めるみたいに。ミーナは、満ち足りた表情をしていた。
「そうかい」ハムは言いながら再び木の実をかじった。
「それは困った」別の方から声が聞こえ、ミーナは扉の方に視線を向けた。すると扉の隙間から人影が見えてミーナは目を凝らした。
「ロンダート……さん?」
「すまない、盗み聞きするつもりはなかったんだが」
後ろ髪を掻きながらロンダートが中に入ってきて、ミーナは立ち上がって訊ねた。
「あの、あの子はいまどこにいますか? 無事なんですか?」
「あの子?」とやや気圧される形で首を傾げたロンダートだったが、「サラマンダだよ」とハムが言うと頷いて、落ち着かせるようにミーナの両肩を掴んで言った。
「もちろん無事だ、他の動物たちもね。いま、正式な受け取り先の手配をしている」
ロンダートは、サーカス団が保有していた動物の所有権が全部白紙になったことをミーナに伝えた。
「サーカス団は非人道的な方法で生き物を捕獲し虐げてきた。今回それが明るみになったことで、人々の動物ひいてはビーストに対する考え方にも変化が表れるだろう」
それが良いことなのかミーナにはわからなかった。しかしロンダートの話し方から、もうすべて終わったんだと、そんな安心感がふつふつと湧いてきた。
「君のおかげだ」と言葉をかけてきたロンダートに、ミーナは照れ隠しのように頬を掻いた。
「しかし、あの火蜥蜴を逃がすことはできないんだ」
「どうしてですか」ミーナは焦りを顔に出して訊ねる。
ロンダートは丁寧な口調で言った。「環境に適応できない場合、生き物はすぐに死んでしまう。まして火蜥蜴はビーストの中でも希少とされている種の一つなんだ。だから逃がすのではなく、群れに返してあげてほしい」
まっすぐ見つめてくるロンダートの目を見て、ミーナは言った。「わたしが……ですか?」
「頼めるかい?」
「でもお金が……」
「それは心配しなくていい。これは立派な研究の一環といえる。資金は必要なだけ私が出そう。一人が不安だというなら、セトを同行させてもいい」
「そういうことなら……」ミーナは頷いた。
「では、あとで私の部屋に来てくれ」そう言って、ロンダートは部屋を出た。
それからしばらく、ミーナはベッドの上から動けなかった。
「引き受けちゃった……」とミーナは布団をかぶって呟いた。
「なんだ、後悔してんのか?」ハムが訊ねた。
「そうじゃないけど、いきなりだったし……先のことなんて考えてなかったし」
「諦めろ」
ハムは、励ましとは思えない言い方でミーナに声をかけた。
するとミーナは布団から顔を上げて、ハムの方を見て言った。
「ありがとね」
「……なんのことだ」
ミーナは目を見開いた。口に出すのは、きっと野暮なのだろう。ミーナはそう感じて、直接的なことは言わないことにした。
「いろいろ!」
ミーナがはにかんだ笑顔を見せると、ハムは少し口元を緩めて言った。
「礼がしたいなら何かよこせ」
***
部屋を出てロンダートの部屋へ向かう途中、ミーナは水の音を聞いて足を止めた。
「何かしら……」
そこは居間へ繋がる廊下の間にあって、立て札には『浴室』と書かれていた。ミーナはハムの言葉を思い出し、そっと浴室の扉を開けた。
「セト……?」
中は脱衣所となっていて、見覚えのある衣服が床に散らばっているのが見えた。さらに扉一枚隔てた先から、ざぶざぶと水が流れる音が聞こえた。
ミーナはおそるおそる扉に近づいて、ノブに手をかけた。
「開けないで!」
びくりとミーナは肩を震わせた。すると扉の奥から弱々しい声が聞こえてきた。
「ごめん……今はまだ君と顔を合わせられない」
「そう……」ミーナはそっとノブから手を離した。「じゃあまた今度ね……」
「けど、扉越しでだったら、大丈夫だよ……」
それにミーナは頷いて、扉に背を向けてしゃがみ込んだ。
「その……病気か何かなの?」
「ううん……命に関わることじゃないよ。ただ……ビーストは強いニオイに敏感だから、臭いが漏れないように体を洗わないといけないんだ。いつもは、その服を着てるから大丈夫なんだけどね」
セトが普段着用している上着は、一見普通の毛皮質に見える。
ミーナはセトの上着を掴んで、臭いを嗅いでみた。
「なんか……思ったより臭くはないわね」
扉の奥でセトが少し笑った気がした。
「毛一本だと、ほとんど臭いはないよ。けど、実際は色んな生き物の毛が入ってるんだ」
そして、ビーストはこの臭いを嗅ぎ分けることができる。
セトは普段、この上着を着ることで自身の強い臭いを抑え込んでいた。しかし、それも完全ではない。完全に臭いを抑え込むには、身体を洗うのが最も確実な方法である。
「ほんの少しの時間でも、あの上着を脱いだからには、完全に臭いが収まるまで僕は外には出られない。もちろん君にも……」
「そう」ミーナは立ち上がって言った。「じゃあ冒険に出るのはその後ね」
「それって……」と扉の奥でセトが振り返る。「また一緒に行ってくれるの……?」
「私ひとりじゃ不安だし、生き物のことはあなたの方がずっと詳しいでしょ」
ミーナはロンダートに伝えられたことを簡単にセトに説明した。
「そっか……竜に会いにいくんだね」セトはまた声の調子を変えて言った。「僕の目的のために君を巻き込むことになるなんて」
「何よ、急に変なこと言って」
巻き込んでいるのは自分なのにと、ミーナは首を傾げた。
すると、扉の奥でゆっくりとセトが立ち上がり、ミーナの方を向いて言った。
「僕は……ある竜を探して今まで旅をしてきたんだ」
「……どういうこと?」
ミーナが首を傾げると、セトは、そうだよねと頷いて続きを話した。
「もっと早く、君に話しておくべきだった。今から話すのは、僕が育ての親――その竜と出会ってからいなくなるまでの出来事だよ」




