小動物使いの少年
あれから何日か経ち、子供たちも毎日のように湖に来て遊ぶようになって私は安心していた。いつものように小屋に向かって牛たちの世話をする。
「ねえクク聞いて。リックって、昔のあの人にすごく似てる気がするの。危なっかしくて負けず嫌いで……すごく頼もしい」
ううん、もしかするとあの人よりも勇気があるかもしれない。他の子供たちにも慕われているし、正義感も強い。その点、リックさえ説得できれば子供たちも諦めてくれるだろうと思う。
「ひどいかな」私はククに言った。「恨まれても仕方ないよね」
親でもないのに、彼らの夢を壊そうとする私は邪魔者以外の何物でもない。私だってあの子たちの立場ならきっとそう考えるだろう。
だからこれはきっと、私のためのわがままで、あの子たちにはそれを押しつけているだけなのかもしれない。
仕事を終え、私は昼食の材料を買いに向かった。肉と野菜を揃えて、最後にパンを買いにお店を訪れたところ、いつもニコニコとしている店主のロッシさんが俯いた表情を浮かべていた。
「どうしたんですか?」と声をかけると、ロッシさんは顔を上げて言った。
「ああ、ミーナちゃん。何でもないよ。今日も塩パンでいいんだよね」
「はい」と頷いた私はお店のいつもと違うところに気づいた。「いつもの甘い香りがしてないですけど、何かあったんですか?」
ロッシさんのお店は、採れたての木の実を使った木の実パンが売りで、果実をすりつぶして練り込んだパンは独特な香りを漂わせる。店内からはいつもその匂いが漂ってきて、その香りに誘われて村の女性たちは毎日買いにやってくるほどだった。
「実は、数日前から倉庫の木の実が空になってたんだ」とロッシさんは呟いた。「壺の中に保管していたはずなのに、朝起きたら全部消えていたんだ!」
「誰かに盗まれたんですか?」私が訊ねると、ロッシさんは「わからない」と首を振った。
「人間の仕業かもわからないんだ。なんせ壺はほとんど動かされてなかったし、木の実以外は何も盗まれていなかったんだ」
子供たちのイタズラとも考えにくい。少なくとも子供一人では決して成し得ない手際の良さだとロッシさんは呟いた。
「まあでも、パンは無事だったから好きなだけ買ってってよ」ロッシさんは明るく言った。私は少しいたたまれなくなって、いつもなら一つ買うところを三つ買った。
「ありがとう。木の実が集まったらまたすぐ作るよ」ロッシさんは手を振って言った。
店を後にして、私は湖まで向かった。すると湖の方からカルロスさんが走って来るのが見えた。
「どうしたんですか?」と声をかけると、カルロスさんは私に気づいて答えた。
「ミーナちゃん! よかった……、もしかしたら森に行ったんじゃないかと」
「森ってどういうことですか? あの、リック……子供たちはどうしてますか?」
訊ねると、カルロスさんは目を逸らした。「いや、それが……」
「まさか……子供たち森に行ったんですか⁉」私は背筋が凍ったような感覚で訊ねた。
「まだわからない。だがさっき湖に行ってみたんだがどこにもいなかった。考えにくいが、それも考える必要があるだろう」
険しい顔でカルロスさんは言った。「それで聞きたいんだが、最近のリックに何か変わったことはなかったか? 森に行きたいとか」
「それは……」何回もあった。けれどその度に私はちゃんと止めてきた。「リックはいつもそう言ってますけど、森にだけは行かないように伝えてきました」
「そうか、ありがとう。でもそれじゃあどこにいるんだ……」
子供たちが突然かくれんぼを始めたことは何度かあった。それで一度村中の大人が総出で探しに出て、珍しく子供たち全員に説教をしたことがあった。それ以来、子供たちが急に姿を消すことはしなくなった。
「とりあえず村の人間を集めよう。ミーナちゃんは湖の方を探してくれ」
「わかりました」
私は頷いて、パンと籠をカルロスさんに預けた。まずは近くにいた漁師の人に、子供たちを見ていないか聞いて回った。誰一人、子供たちを見てはいないと答え、やはり村のどこかに隠れているのではないかという声がほとんどだった。
私はいったん村に戻って、建物の中を探すことにした。カルロスさんを含めた村の大人たちが大勢森に入っていったことで建物はほとんどが無人、ロッシさんも捜索に加わりパン屋に人影は無くなっていた。
この状況は絶好の機会だ。村の大人が全員森に入ったことで、建物に隠れた子供たちにとっては勝鬨を上げるには十分な結果だった。建物から飛び出して勝利の歓声を上げてもいいところ、誰も出てくる気配はなかった。
「まだ隠れているのかしら」私は声をかけながら店を回った。「皆、もう私たちの負けでいいから出てきて。誰も怒ってないし、みんな心配してるから」
返事はなかった。誰も出てこないのは、私の声に警戒しているからだと思った。
昔は私たちも、何かあれば隠れて村の大人たちを困らせていた。子供一人だけだと効果が弱いから、全員で隠れることで自分たちの意思を必死に伝えようとした。
今となっては単なるわがままでもっと他に方法はあったと思う。けれど私が彼らの立場だったら、今の不自由な毎日に反抗せずにいられただろうか。あるいはもっと過激な方法をとって、自分たちの覚悟を示そうとするかもしれない。
もしかしたら……。そう思った瞬間、私は森に向かって走っていた。私が彼らだったら、きっと森に隠れる。そして数日を過ごし、無事だったことを知らせて納得させるだろう。
「でも、あの時とはやっぱり違うのね……。私はもう……」
二度と踏み入ることはできない。村の入り口を目の前にして私の足は急に動かなくなった。
過去に何度か試してみたけれど、森を見ただけで、あの時の光景が甦ってしまいたちまち身が竦んでしまう。子供たちのことが心配でも、それ以上に私は過去のあの出来事を忘れられなかった。
「お願い、どうか無事でいて」祈ることしかできなかった。すると目の前の茂みが小さく揺れた。
「誰?」と私は肩を掴みながら目を凝らした。影は姿を現さない。わたしはゆっくりと近づいた。
すると別の茂みが大きく揺れて、そこから子供たちが飛び出してきた。
「リック、みんな!」私は叫び声をあげた。「今まで何やってたのよ⁉」
「ミーナ姉ちゃん!」とリックが気づいて、子供たちが一斉に私の方に向かって走ってきた。
「みんな無事?」と声をかけると全員が頷いた。服もそこまで汚れていなかった。
「どうして森に入ったりしたの?」そう訊ねた瞬間、さらに巨大な影が茂みから姿を現した。影の正体は鹿だった。四本足で立ち、じっと私たちの方を見つめてきた。
「ごめん、姉ちゃん」とリックが腕の中で呟く。「強くなりたかったんだ。ミーナ姉ちゃんに守られないくらい、ううん、姉ちゃんを守れるくらい」
「リック……」私はリックを見つめた。「ありがとう。でも、そこまで頑張らなくてもいいのよ。私は……ずっとここにいるから」
子供たちに余計な重荷を背負わせてしまった。強くなることを認めてしまったから、こんなことになってしまった。また間違えてしまった。
「みんなは逃げて。私が時間を稼ぐから」私はそう言って立ち上がった。「ほら行って!」
子供たちを村の中に逃がし、鹿の視線を自分に向けさせる。二本の角の、ヤリのように尖った先端が私の方に向けられていた。
ここで死ぬのだと私は思った。けれど、子供たちを守ることができた。少しだけ、お父さんとお母さんに近づけた気がした。
「伏せて!」
急に叫び声がして、茂みの中から人が飛び出してきた。私の頭を掴んで地面に押さえつける。顔を見ると、同い年くらいの男の子だった。
「あ、あなた誰?」顔を上げて訊ねると、男の子は答えた。「通りすがりの旅人だよ。けど出るタイミング間違えたかな。ちょっと怒ってるよアレ」
男の子は鹿の方を見つめて言う。「ハム、ごめん。ちょっと出てこれる?」
ハムって誰。と私は心の中で呟いた。すると彼が腰につけていたポーチから、ネズミのような形の小さな生き物が顔を出した。
「んだようっせえな。せっかく気持ちよく寝てたのによぉ」
「生き物がしゃべった⁉」
私は思わず声を上げた。すると小さな生き物はじろりとこっちの方を向いて言う。
「しゃべったら悪いのかよ」
「い、いや。そんなこと思ってないけど」驚いて口から出ただけと答えようとしたら、男の子が私の口を塞いで言った。
「あんまり大きな声をあげないでくれ。鹿が警戒してる」
私はこくりと頷いた。「それで、どうするの」
小声で訊ねると、彼は言った。「君はここにいてくれ。あとは僕たちでなんとかする」
そして立ち上がり鹿に近づいた。かなり近くまで接近しているのに鹿は何もしてこない。
「どうやら話の通じる奴みたいだぜ」彼の肩に乗っている小さな生き物がそう呟いた。彼の方も、「そうみたいだね」と少し余裕の表情を浮かべる。
すると小さな生き物が彼の肩から飛び降りた。
「じゃあハム、よろしく」「ああ」
小さな生き物は頷いて、人間のように二足で立った。そして鹿の目の前まで来ると、鹿に向かって何かを伝えるような素振りを見せた。
「何をやってるの」私は呟いた。すると彼が振り向いて言う。
「ハムはあの鹿に話を聞いてるんだ。どうして森から出てきたのか。どうしたら森に帰ってくれるか」
すると小動物が振り向いてやってくる。「どうだった」と彼が声をかけた。
「勝手に縄張りに入ってきたから追い返しただけだとよ。もう近づかないって約束できるなら帰っていいって言ってやがるぜ」
「そっか。じゃあそうするしかないね。ねえ、あの森に入ろうって言ったのって誰?」
彼が私を見つめて言った。私は、右手を広げて小さく握った。村の入り口の方を見つめ、彼の方に向き直って答える。
「私よ。私が言ったの」
「そっか、じゃあ付いてきて」
彼の手を借りて立ち上がり、私は鹿の目の前に立たされた。
「僕が言う通りにして。まず目線を鹿の高さに合わせるんだ」
言われた通りに私は膝を曲げて鹿の目を見返す。
「あとは僕の真似をしてこう言えばいい」彼は喉の奥を鳴らすような太い声を出した。人間の発音じゃなく、きっと動物の言葉を真似している。
私は見よう見まねで彼の口の動きを再現した。彼のような太い音は出せない、けれど気持ちが伝わるよう必死に演じた。
「ヴ、ヴぉっ」戸惑いと羞恥の入り混じる気持ちが胸の中で渦巻いた。鹿はそれを見透かしたような視線を向けてきた。
何か言葉を発したあと、鹿は身を翻し森の中に戻っていった。
「た、助かった」私はその場にへたり込んだ。「最後、なんて言ってたの?」
訊ねると小動物が答えた。「その勇気に免じて今回はなかったことにしてやる」
あの言葉にそこまで長い意味が込められているなんて私は到底信じられなかった。
しばらくして、村の大人たちが森から引き返してきた。あとで色々と事情を聞かれる前に、私は彼に言った。
「助けてくれてありがとう。あなたがいなかったらきっと助からなかった」
「いや、キミがあの時自分を犠牲にしてなかったら、もっと酷いことになっていたかもしれない。鹿はああ見えて鋭いからね」
彼はそう言った。きっと彼は私が嘘をついていたことを見抜いていたのだ。
「詳しいのね、鹿に」私は彼に向き直った。「あなたは一体何者なの? ただの旅人じゃないんでしょう」
すると彼は答えた。「僕はセト。キミが言ったとおりだよ。ここにはたまたま訪れたわけじゃなく、生き物の生態を調査するために来たんだ」
「生き物の調査?」
「そうさ、あの森にちょっと珍しい生き物がいるって聞いたんだ」
セトはそう言った。