開演
テントの外は、開演を待ち望む人々でごった返していた。サーカス団が一つの町に滞在するのは長くても一週間程度で、サーカス団が町を去った直後の獣市場には珍しい生き物が並ぶ光景が良く見られた。
「さあ、間もなく開演でございます! ご来場の皆様は入場券と代金を交換したのち、チケットに記載されているお席にお座りいただきますようお願いいたします」
受付前にいるサーカス団員が元気よく声を出す。その恰好はまるで道化のように派手な衣装に身を包んでいて、顔には厚めの化粧を施していた。
観客がテントの中に足を踏み入れると、中央の舞台を取り囲むように、三日月に配置された客席が目に入る。客席が満員になっても、入場を希望するものがいれば受け入れるようになっている。その場合、立ち見料金としてチケット代の半額で入場券が配布される仕組みである。
舞台前の一列目から二列目までの客席はVIP席で、この席に関しては先着順ではなく予め座る人間が決まっている。購入ルートは明らかでなく、値段もはっきりとわかっていない……しかし、いつも満席で、座る顔ぶれはだいたい決まっていた。
開演五分前になると、用意されていた席は全て埋まり、数人の立ち見客を通したところで入り口の幕は閉じられた。観客たちの騒ぎ声がテント内にこもるように響き渡る。
すると、舞台上が突然明るく照らされ、一人の男が姿を現した。
「皆様、ようこそお越しくださいました! 今宵は我ら『ベスティア大道劇団』の講演に足を運んでいただき誠にありがとうございます」
サーカス団の団長マルクスは、大げさに腕を広げると、帽子をとって観客に向かって頭を下げた。前の方の席で拍手が起こる。
「ありがとうございます。では、今夜の演目を発表させていただきます」
サーカスの講演内容はおおよそ同じであるが、終盤のいわゆる目玉となる演目はこの時公に知らされる。観客の目当てはもちろんそれで、今回の演目に関しては事前に告知もされていたため期待も大きかった。
「ではまず、我がサーカス団員による一輪車をご覧ください」
サーカスの演目は『一輪車』から始まり、『輪投げ』、『火の輪くぐり』など次第に難度が上がるような構成となっている。一時期を境に、演者に人間だけでなく動物も出演させ、当初は目新しさもあった。しかし何度も足を運んでいると、その感動もう薄れていき、むしろ以前と変わらない内容とパフォーマンスだけが目立つようになってしまった。
中盤を過ぎると、あくびをしだす観客もちらほらと増え始める。しかしマルクスが次の講演内容を発表すると、一部の観客席から歓声が燃え上がった。
「さあさあ、演目も終盤にさしかかってきました。次は皆さまもご存じ、我らがサーカス団の誇る美女による演目でございます!」
観客の視線が上に向く。そこは、テントに不自然に立てられた柱の上だった。
「シーラと相棒のサルのジャックです! みなさま拍手をお願いいたします」
再び前から拍手が起こり、後列に伝播していく。柱の上に立つ美女――シーラは、肩にサルを乗せて観客に向かって手を振った。
「みなさま、今からお送りいたしますのはサーカスの目玉『橋渡りと空中ブランコ』です。彼女らはこの向かい合う柱を使い、様々なパフォーマンスを皆さまにお見せいたします」
サーカスの演目で、メインの演目以外では彼女のパフォーマンスだけが毎回観客に好評であった。その要因は浮世離れした彼女の顔立ちと、サーカスにはおよそ珍しい踊り子のような衣装での流麗な動きによるものだった。
足幅ほどの橋を渡る間に、風が吹いて衣装が風に揺れるのはこの演目では定番の流れだった。頬を赤らめ恥ずかしそうに衣装を抑える仕草も、演技というにはあまりにも自然だった。
相棒のジャックは、この場合はむしろ引き立て役である。彼の役目は彼女の肩に乗って、時たま落ちそうになる彼女の近くで道化を演じることであった。
橋を渡り終えると、彼女はジャックを肩に乗せて観客の方を向いた。今度は、会場全体から拍手が起こる。
「次は『空中ブランコ』です!」
マルクスの声が挟まれ、舞台上の橋が急いで撤去される。そして歯車の音が響き、柱のさらに上から糸が結ばれた数本の鉄の棒が降りてきた。
相棒のジャックが、まず彼女の肩から鉄棒に飛び移り、そのまま向こう側の柱まで移動する。シーラもそれに続くように、柱から鉄棒まで跳躍した。
下までは、優に数メートルの高さがある。これには観客も呆然とはできなかった。手を離せば大事故、そんな緊張感が彼らの視線を舞台に釘付けにしていた。
向こう側の柱まで残り三つの鉄棒を飛び移らなければならない。シーラは体を前後に揺らし、鉄棒までの距離を稼いだ。シーラは、手を伸ばして二本目の鉄棒を掴み、一本目の鉄棒から手を離した。客席から拍手が起こる。彼女は余裕の表情を浮かべて観客に向かって手を振った。
二つ目の鉄棒は身体を揺らし、手を伸ばしても届かない距離にあった。シーラはさらに大きく体を前後に揺さぶり、鉄棒が勢いを失う直前に手を離した。その勢いのまま両手で二つ目の鉄棒を掴み、再び笑みを浮かべる。
最後の鉄棒は、優に人間二人分ほどの距離の先にあった。手を伸ばしても、勢いをつけてジャンプしたとしても、あと一歩、届かない距離である。しかしシーラは、表情を崩すことなく、同じように体を揺さぶり、さらに勢いをつけて手を離した。仰向けに足を前に出した異様な体勢に誰もが失敗したと思った、
しかし、シーラは不安定な体勢のまま足を鉄棒に引っ掛け、まるで蛇のように体を回転させて鉄棒を掴み見事に成功させた。
拍手が起こった。思わず、立ち上がる観客もいた。シーラは悠々とすぐ先の柱まで飛び移り、ジャックを肩に乗せて観客に向き直った。
「ありがとう!」
うっとりとするような声色でシーラが手を振る。これに何人の観客が心を奪われただろうか。
演技が終わり、マルクスが舞台に立った。
「さて皆さま、いよいよ演目を最後に差し掛かってまいりました! 皆さまの中には、これを目当てに来られた方も多いのではないでしょうか?」
客席が大きくざわつく。やはり竜か⁉ そんな声がちらほらと聞こえた。
マルクスは口元に笑みを浮かべて言った。
「大昔は伝説上の生き物とされていた竜も、今となってはいくつかの目撃例を挙げられるほど身近な存在になりつつあります。しかし、その実態は未だ謎が多い生き物。しかし竜は実在する! これがその証拠です!」
車輪が床をこする音が響き、荷台の上に檻を乗せて、本日の目玉が満を持して登場した。
「ご覧ください! 火を噴く竜――火蜥蜴!」
「竜というより、蜥蜴に近いな……」
客席の前方、ピップ席に座った男が舞台を見つめながら言った。
「おっしゃる通りでございます。見た目は血に染まったような見た目の蜥蜴……しかし、これは紛れもなく竜でございます! 今からそれをご覧に入れましょう」
そして、舞台袖からもう一人登場した。その少女は、ズボンが逆さになったような帽子を被り、長い襟首のついたまるで道化のような恰好をして観客の前に現れる。
「ご紹介しましょう。この娘こそが、竜と心を通わせ、火を噴かせることのできる特別な人間なのです!」
「にわかに信じがたい、ひとつ見せてくれ」
客席からそんな声が聞こえた。マルクスは、にやりと笑って少女に近づく。
「しくじるなよ」
ぼそりと耳元で囁き、「さあでは行って参りましょう!」と大げさに腕を振って舞台を降りた。
少女――ミーナは、俯いた顔で檻の中を見つめた。
「ごめんね……」
そう言って、細い木の棒を手に持って檻に近づく。檻の隙間から棒を差し込むと、中の火蜥蜴はそれに躊躇なく噛みついた。
「何をやっているんだ?」と客席から疑問の声が響く。誰も少女が何をやろうとしているのか気づかないまま、ミーナはゆっくりと、棒を引っ張った。
チッチッチッ……と、火花が散るような音が三度響いて、その後、青白い炎が檻の中から外に飛び出した。
「本物だ! 本物の竜だ!」と観客たちは感嘆の声を上げた。
炎は数秒で消え失せ、ミーナの持つ棒には、松明のように火がともっていた。
そして、ミーナはそれを観客席に向けて言った。
「早くここから逃げて。さもないと……ここに火を放つわ」
「何を馬鹿な……皆さま! 落ち着いてください! これはパフォーマンスです! 演技……そう演技! 見てください……笑っているでしょう!?」
マルクスはミーナの顔に手を向けた。ミーナの顔には、口元に赤い塗料が塗りたくられ、張り付いたような作り物の笑顔を浮かべていた。
そして、その笑顔に隠された本物の口で、ミーナは団長に向かって言った。
「……本気」
松明を振り下ろし、マルクスはおろか、客席にまで火の粉を飛ばす。後ろの席にいた観客たちは、異変を察知して次々とテントの外に出た。
「団長、話が違うぞ!」そう叫び声を上げたのはVIP席にいた男たちだった。「この借りはあとできっちり返してもらうぞ。もちろんチケット代もだ!」
怒りに身を任せて言葉を浴びせ、立ち上がってテントから出ようとする男たち。
「それはいけませんね……」マルクスは声色を変えて言った。「こんな醜態……誰かに話されでもしたらこの先商売ができませんから」
男たちの目の前に、次々と獣が現れ道を塞いだ。往生する彼らを尻目にマルクスはミーナの方に視線を向けた。
「サーカス団始まって以来の大失態だ、これは……一体、どこまでの罰を受ければ気が済むんだね?」
「何も……いらわないわ。ただ、この子を……みんなを解放してほしい……それだけ」
「後悔するぞ! 他人に命をかけるなど! その後どんな悲惨な目に遭うのか貴様はわかっているのか⁉」
団長は、ミーナを睨みつけ、憎しみをぶつけるように言い放つ。
「獣の餌にしてやろうか⁉ それとも……金持ちの客の奴隷にしてやろうか⁉ どらちが良い⁉ 選ばせてやる!」
「どっちも……イヤよ。だから、ここで死なせて」
そして、燃え盛る木の棒からミーナは手を離した。ゆっくりと床に向かって落ちて行く木の棒を見つめるミーナの瞳が、炎のように揺れる。
すると突然、ミーナの背後から影が現れた。影は松明が落ちる直前に口で受け止める。
驚いて、尻もちをついたミーナを見つめて団長が笑い声をあげた。
「ハハハ! 見たか馬鹿者め! ツキはまだ我々にある! さあ獣、その娘を八つ裂きにしろ!」
首を揺さぶって松明の火を消した獣――黒狼は、ゆっくりと床にそれを置くと、マルクスを睨みつけて喉奥から唸り声を響かせた。
「なっ、なんだ! なぜ言うことを聞かん! 貴様ら、ちゃんと躾けていなかったのか⁉」
「今は誰の命令も聞かないよ」
その声は、黒狼が現れた舞台の天幕の裏側から聞こえてきた。
「だっ、誰だ貴様は⁉」マルクスは額に汗を浮かべていたが、声の主が姿を現すとすぐさま威勢を取り戻した。「何だ、ただの子供ではないか、脅かしおって……これは立派な犯罪だ! 子供とてイタズラでは済まされんぞ!」
声の主――セトは、一瞬ミーナを見つめると、視線をマルクスに戻して言った。
「うるさい、黙れ……」
「なっ、何だと⁉」
「……そんなの、彼らが受けたものに比べたら全然大したことない」
ぴくりと、VIP席にいた男たちの道を塞いでいた獣たちの耳がふるえる。そして異変を感じてステージに視線を向けと、なぜかその場から次々と退散した。
「獣のエサ……? ふざけるな……そんなこと、獣だってやりたくないんだ。無理やり言うことを聞かされて……幸せなはずないだろ!」
獣の咆哮のようなセトの叫び声がテント中に響いた。




