死よりも辛いこと
「燃やす? このテントをか?」
「それしかないわ」ミーナは力強く頷いた。
「檻に入ってる奴らはどうすんだ。いっしょに死んじまうぞ」
「ずっとそこにいるわけじゃないでしょ。出番になれば、檻から出てくる。その間に火を点ければ、誰も巻き込まれないはずよ」
「けどな……」ハムは、ミーナの顔を見て言葉を飲み込んだ。「好きにしろ」
「サーカスって、いつから始まるの?」ミーナはハムに聞いた。
「ああ、まあ夜だな。それまで隠れるか?」
ミーナは頷いた。火をつける準備をしなくてはいけない。今は無人でも、いつ団員が戻って来るかわからない。ミーナ達は急いでテントの外に出た。
火をつける準備は、思ったより早く整った。串焼きの店から適当な理由をつけて木炭を分けてもらい、路地裏で見つけた襤褸に詰める。準備が整うにつれ、ミーナの中には焦燥感が募っていた。
「火はどうすんだ?」
路地裏で作戦会議をしていると、布から出した火蜥蜴が襤褸から木炭を取り出して口にくわえて遊んでいた。
「あ、ちょっと」と慌てて木炭を取り返そうと掴むと、火蜥蜴は鳴き声を上げた。その瞬間、口元が光り、喉奥から青白い光が外に飛び出す。
「ひ……ひ、火⁉」ミーナは目を見開いて、咄嗟に木炭から手を離した。
火蜥蜴から発せされた火球は木炭の端を塵にした挙句、壁に焦げ跡をのこした。
「たまげたな」とハムが本気で驚いた声を出す。
「でもこれで火は十分よね」
「ああ」
ハムは口惜しそうに頷くと、ミーナの方を見て言った。「本当にいいのか?」
ミーナは答えた。「あんなの、放っておけるわけがないでしょ。どんなことをしたって」
ハムは、少し顔を伏せて言った。「わかった」
時間は、ゆっくりと、しかし確実に過ぎていった。ミーナはそれに呼応するように気持ちを昂らせていった。
人の声が大きくなり、路地裏から見える人通りも明らかに増していった。
「サーカス……本当にやるのね」
「あれだけ派手に宣伝して、やらねえわけにもいかねえだろ。……今日はやめて、明日まで待つか?」
「それで助けられるの?」ミーナはハムの方を見つめた。
ハムは、何も言えなかった。もし、明日になってサーカス団のテントが無くなっていたら……機会は、いつ失われるかわからない。
ミーナたちは、路地裏から出ると人混みに紛れてサーカス団のテントまで近づいた。テント前、列が一つに収束する手前で人混みを抜けてテントの裏に回り込む。
「……誰もいないわね。中はどう?」
「匂いはしねえな」
「……行きましょう」
夜の倉庫は、昼とはまた違った印象を受けた。薄暗く、より一層不気味だった。
「火……つけるか?」
ミーナは首を振った。「いちおう、檻を確認して……」
そう言って、ミーナは昼と同じ侵入ルートを辿った。途中、ミーナは自分の思考に戸惑いを覚えた。万が一のため、檻の確認に向かっているが、それはどういう場合だろうか……。
「どうした、震えてるぞ」
「べつに……」
嫌な想像だ。ミーナは首を振って、生き物たちのいる檻まで急いだ。そして、すぐにいないことに安心して引き返そうと思っていた。
「ご苦労」
獣たちは、檻の中にいた。それよりも、その部屋には彼ら以外にも人間が集まっていた。人垣の間を、サーカス団の団長がゆっくりと抜けてミーナに近づいて言った。
「団員から情報が入ったのだ、今夜ここにネズミが侵入してくると。……しかし、ネズミではなくカモだったか」
団長はミーナの背中にいる布の中に視線を向けた。「探したぞ、火蜥蜴!」
「やられたな……」ハムが溜め息をつくように言った。ミーナは二人のサーカス団員に後ろから両腕を拘束された。
「なんだ、それは……」団長は床に転がった木炭入りの襤褸を見つめて言った。
「火をつけようとしていたのよ、この子たち」
そう言ったのは、団長の後ろで凛とした仕草で立つ、美しい女性団員だった。
「そうか……火を」
団長は頷くと、振り向きざまにミーナの顔を蹴り上げた。
「ふざけるなよ! たかが……田舎の娘ごときが、私の……私のコレクションに手を出すに飽き足らず!」
ミーナは、切れた口から地面に血を吐いた。そして、腫れあがった顔でじっと団長を見つめた。
「……」
「チッ、気色の悪い娘だ……適当な檻に閉じ込めていろ!」
連れ去られるミーナの肩には、ハムの姿は見えなかった。
***
「ごめんなさい」
倉庫の檻に入れられる時、ミーナの耳元にそんな声が聞こえた気がした。振り返ると、ミーナを拘束した団員の二人が、俯いた表情でミーナに向かい合っていた。
どうして、そんな顔をするのだろう。ミーナの頭の中には疑問符が浮かんでいた。
「なんで、謝るの……」ミーナは顔の痛みに耐えながら訊ねた。
「あなたは、何も悪くないのに……」そう言って苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた二人のサーカス団員は、ミーナには、普通のヒトのように映った。
「あなた達は……この町のヒトじゃないんですか?」
「ええ、私も彼も……此処が出身ではないわ」女性団員は首を振った。「私も彼も、団長……あの人に買われてこのサーカス団に入れられた」
「買われたって……まさか、なんで……」ミーナは目を震わせた。
「あの人は、色んな町に顔が利くヒトでね……私は、家族がお金を他人から借りてた。それで私がこのサーカス団に入ることで、その借金を帳消しにする約束をあの人としてたの」
無理矢理? とミーナは声を震わせた。男性団員は、ミーナと同じような田舎出身の青年で、上京し金を稼ぐために仕事を探している時にとある人物と知り合ったという。
「そいつに紹介された仕事がな……いわゆる表ではできない仕事だったんだ。ただ、最初はそんなこと全く知らなくて、俺は……気づいたら後戻りできない所まで来ていた」
男性団員は悔しさをにじませるように歯を食いしばった。
「仕事はどんどん過酷になって、続けられないとこまで追い詰められた。……けど、表のまともな仕事なんて見つかりっこなかった。俺は続けられる仕事がないか聞いたんだ」
サーカス団員の仕事は、表向きには演者の世話や、雑用がほとんどである。
「ここの生活は……たしかに安定してた。金払いはそれほどじゃなかったが、食いモンも支給されたし、寝る場所もある。けど、ヒトとしての常識は失っていく一方だった」
男性団員は、たまらず顔を覆った。女性は、目に涙を浮かべて男性の背中に手を置いた。
「アンタみたいなやつ、久しぶりに見たよ。けどすまねえ、オレ達はアンタを始末しなくちゃいけない」
「どうしてこんなことしなくちゃいけないのかしらね……」
女性団員は、溜め息をつくようにぽつりと呟いた。
「なんだ、まだいたのか」視界の奥、光の灯る通路の先から声が聞こえて二人の肩が震えあがった。「早く仕事に戻れ……それとも、貴様らも檻に入るか?」
「すっ、すみません!」
「すぐ戻ります!」
二人は、頭を下げたまま団長の横を通り過ぎた。団長は、葉巻を口に加えて火をつけながらゆっくりとミーナに近づいてきた。
「少し、話をしよう」落ち着いた口調でミーナの前にしゃがみ込む。「火をつけるつもりだったらしいが、どのようにするつもりだったんだ?」
「……」
「貴様らの持ってきたあの襤褸と木炭……しかし火種はどこにもなかった。貴様の身に着けているどこにも、火種になりそうなものはなかった……まさか、あの火蜥蜴か?」
「だったら何?」ミーナは顔を上げた。
「それならば非常に興味深い……奴はな、捕まえてから一度も火を吹かなかったのだ。我々がどのようにしても、奴は頑なにそれを拒んだ」
ミーナの肩がぴくりと揺れた。
「貴様の話が本当であれば……我々としてはぜひとも欲しい人材だ。文字通りヤツへの恰好の火付け役になるだろう」
「嫌よ……」
「自分の立場をよく考えろ。このまま始末するところを、助けてやるというのだぞ」
それを聞いて、ミーナはうっすらと笑みを浮かべた。
「……だったら、このサーカス団にいる人達全員、動物たちと一緒に解放してくれる?」
「何を馬鹿な……そんなことをして我々にどのように今後演目をしろというのだ?」
ミーナは、余裕の笑みを浮かべて息を吐いた。
「だから、やめろって言ってるのよ……何もかも……」
突然、檻の隙間から拳が飛んできた。拳はミーナの頬にぶつかり、ミーナの身体は檻の床に強く打ちつけられる。
「調子に乗るなよ! こちらが下手にでればつけあがりおって……このまま一生檻から出してやらなくすることもできるのだぞ。陽の光を二度と見られなくなってもいいのか⁉」
「好きにすれば……」
ミーナは口元に笑みを浮かべて言った。それを見た団長は、「……そうか」と声色を低くして言った。
「ならば望み通りにしてやる。この世には、ただ死ぬことよりも辛い現実がいくらでもあるとな……!」
そして檻のカギを開けて、檻の中にあった首輪を手に取る。
「何を……するの」
「決まっているだろう」団長はにやりと笑みを浮かべた。「貴様を獣のように使ってやる。手始めに、あの火蜥蜴と共に観客の前に出してやる」
「……イヤ」
団長はミーナの髪を掴み上げた。そして、叫び声を上げたミーナに笑い声をかぶせた。
倉庫の中に、冷たい金属音が鳴り響いた。




