潜入
「……で、これからどうすんだ?」ミーナの肩に乗ったハムが訊ねた。
「とにかく町の外に……この子を逃がさないと」
ミーナは答えた。「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんだ」
いつもより優しいハムに、ミーナは少し驚いて訊ねた。「どうして付いてきてくれたの?」
ここで、気まぐれな言葉を返してくれた方がまだよかったかもしれない。
「てめえはいいニオイがする」
「匂い? それだけ?」
「ああ」
最近お風呂入ってないけど……ミーナは試しに匂いを嗅いでみた。臭い……。
「じゃあ……セトはもっといい匂いなの?」
「アイツのニオイは……どうだろうな……」
ハムは、はっきりとした答えを返さなかった。市場を抜け、大通りとの境に来ると、「止まれ」とハムが言った。
「どうしたの?」
「イヤな感覚がする……目立たねえように周りを見てろ」
匂い? と首を傾げながらもミーナは周囲を見渡した。人の目線は特に感じない。違和感なんてどこにもないと思っていると、ミーナの目線の先にあるものが映った。それは町のどこにでもあるものだったが、ミーナの目にはそれがなぜか異質なものとして映った。
「サーカス……」
路地に入るところの壁に無造作に貼られたサーカスの広告を見つめて、ミーナは言った。
「今日のことが書いてあるわ。『特別講演! 伝説の猛獣、火蜥蜴初登場!』……ですって……火蜥蜴って何?」
「サラマンダだ……火を噴くトカゲだろ。名前の通りだ」
「聞いたことないわよ」
きっとこれもビーストなのだろう。特に驚かなくなってきた自分に少し嫌悪感を覚えながらも、ミーナは冷静さを保っていた。
すると、突然、獣が腕の中で獣がもがいて暴れだした。
「えっ、ちょっと……⁉」ミーナが驚いて力を抜いた一瞬のうち、獣は拘束を振りほどいて、地面に着地した。おとなしかったさっきまでとは打って変わり、殺気立った様子で獣はミーナ達を見つめた。
「なあおい、コイツ……羽生えてねえか?」ハムが言った。
ミーナが見つめると、獣の拳くらいの大きさの羽が、毛に隠れながら魚のヒレのように動いていた。
その姿形に見覚えがあり、ミーナは再びビラを見つめた。
「ねえ、もしかしてこの絵……この子のことなんじゃない?」
ミーナは恐る恐るハムに訊ねた。ハムから、「間違いねえな」という返答が返ってくると、ミーナはようやく自分が置かれている状況を悟った。
「おい、見つかったか⁉」叫び声が聞こえた。ミーナは慌てて獣を抱き寄せると、暴れないでと顔を引きつらせながら人混みに背を向ける。
「大通りを抜けるのは危険ね……他の道はあるの?」
「ある……が、てめえには無理だ」
どうして、と尋ねるとハムはすかさず答えた。「金がいる」
「考えないようにしてたのに……」ミーナは溜め息をついた。お腹もすいているし、足も疲れてきている。しかし、止まるわけにはいかない。この緊張の糸は、一度切れてしまえば二度と元通りにはならないとミーナは理解していた。
すると、ハムが言った。
「お前は、ソイツを助けられるなら……どうなってもいいのか?」
ミーナはハムの方を向いて言った。「助けられるの?」
ハムは、こくりと頷いた。
***
大通りに居を構えるサーカス団の巨大テントは、客用の出入り口とは反対方向にも出入り口が設けられている。人が通るにしては少々大きめなその入り口は、中が倉庫のように広々としていて、閑散としていた。
テントの中に侵入してすぐさま目に映ったのは、何も入っていない大小さまざまな檻だった。大きいものだとテントの天井に付いてしまうような檻もあれば、手に持って運べそうなものもある。各地から多種多様な生き物を捕獲する彼らには、必須の設備だった。
「捕まってる生き物はどこ?」
「ちょっと待ってろ」ハムが鼻をヒクつかせて言った。「もっと奥だ。足音を立てるなよ」
「わかった」
ミーナは頷いて、檻の壁に体を近づけて奥へと進んだ。倉庫を抜けると、今度は狭くて長い通路が続く。横目に確認できるのは梯子とカーテンで、等間隔に区切られた小さな空間は、つまるところ団員達の寝室だった。
「誰も……来ませんようにっ」
「もっと早く走れ」
カーテンはすべて開けられていて、ミーナも気配を感じることはなかった。しかし。通路の奥から今にでもだれか来るようなことがあれば、逃げ道は一つしかない。
自分の背中でもぞもぞと音がして、ミーナはちらりと見つめて呟いた。
「怯えてる……」
布に巻かれて姿を隠した獣の子供は、おそるおそる隙間から外を見る。
「大丈夫よ」
「クゥ……」
ミーナは獣を背負い直した。「まだ先?」
「いや……」とハムは首を振った。やがて、目的の場所にたどり着くとミーナは足を止めてその光景を見つめた。巨大な檻が一つ二つ、横並びに配置されていて、その中にサーカス団に飼われている獣たちが、音もたてずにじっと出番を待っていた。
市場とはまた違った現場の印象にミーナは呟いた。「よく、暴れないわね……」
「暴れても無駄だとわかってるからな」ハムが言った。「見ろ、獣の中には首輪が付いているヤツもいる」
「どうして?」
「持ち主が誰かを分かるようにするためだ。たとえ逃げても、首輪が付いていればそいつは誰かに買われたヤツだってわかるだろ。お人好しな奴だったら、持ち主に届けてくれる」
「そのまま、逃がしてあげたらいいのに……」
「首輪がある限り、逃げられねえよ」
ミーナはハムの方を見た。
「だれが、そんな規則決めたの……?」
「さあな」ハムは言った。「首輪を付けても一緒にいたいヤツだったんじゃねえのか」
ミーナにはわからなかった。ただ、この現場を見た以上みて見ぬふりはできなかった。
「みんな……助けないと」ミーナは檻の方に近づいた。「鍵がかかってる!」
「たりめえだろ」ハムが言った。
「中から壊せないの?」言いながらミーナは檻の中を見つめた。目を合わせた獣たちの目は、まるで秒針が止まったみたいにぴくりとも動かなかった。
「こいつらは、命令がねえと動かねえ。そうしつけられてるんだろ」
「なんで、そんなこと……」ミーナは歯を食いしばった。「同じ生き物でしょ?」
手を伸ばしても、届かない。目を見つめても、光は宿らない。
「こんなの……ヒトのすることじゃない」ミーナは悔しさに涙をにじませた。
世界が、こんな風になっているなら、自分はいったい……どのように生きていけばいいのだろう。助けてと、その一言も声にだせないような世の中で、彼らは、どのように生きていけばいいのだろう。
すると、背中の方で声が聞こえてミーナは我に返った。自分はなぜ、此処に来たのか。それは、誰かに命令されてやったわけではなかった。一方的な感情だった。
「必ず、助けるから」
届いたのかもわからない宣言をして、ミーナは振り返った。「戻りましょう」
「ああ」ハムが頷く。来た道を戻っているとき、ミーナに訊ねた。「それで、どうすんだ」
「わからない。わたしだけじゃ、この子たちを助けられない。でも……」
セトには、頼れない。だから、一人でなんとかしないといけないのだ。
ふと、ミーナの頭にあることが思い浮かぶ。そして、ぽつりとつぶやいた。
「燃やそうか」




