市場
「この目で見るって、いったい何を見るのよ」
ロンダートの部屋を後にしたミーナは、セトを目の前にして呟いた。
「それを今から身に行くんだよ」
セトが答えた。ゆっくりと階段を下りていると、途中で背後から小さな影が横を通り過ぎる。
「ハム!」セトが叫んだ。
「あれ、今までいなかった?」とミーナは首を傾げた。「どこ行ってたのよ」
「オレ様の勝手だろ」ハムはミーナを一瞥した。
家を出て、ミーナはセトの後ろを歩いていく。どこに向かっているのか聞いても、もうすぐわかるよとセトは答えを教えてはくれなかった。
「ミーナ、この町で一番価値があるものって何だと思う?」
突然、セトが聞いてきた。ミーナは、ふと思い出して、ぽつりと答えた。
「……本、とか?」
「当たらずとも遠からず……って感じだね」セトが苦笑いを浮かべた。「たしかに、本は価値が高いよ。けどね、もっとわかりやすいものがあるんだ」
価値とは、つまるところ需要に対する供給の割合である。希少価値の高いものでも、求めるものがいなければそれは価値を持たないも同然だ。逆にありふれたものでも、需要が高ければそれは価値を持つことになる。有限のものともなれば、その価値はいくらにでも跳ね上がるだろう。
「先生の話しでさ、もし……まだ誰も知らない薬草を普通の人が見つけてしまったらどうなると思う? もっと言えば、それがとても効果の高いものだったら」
「みんな欲しがるでしょうね」ミーナは答えた。
「そうだよね。だから、薬草がどんどん森から無くなって、だんだん採れなくなっていくんだ。もちろん、そんな簡単に新しい薬草なんて見つかりっこないよ。それに人生を捧げている人だっているくらいだし」
けれどもし、それが起こってしまったら……そして薬草ではなく、もっと身近なものであったなら……。
グランベールには、市場が二つある。一つは、普通の市場。交通の要所であるグランベールには、あらゆる所からモノが集まる。それは物資や食料であったり、情報もそれに含まれる。そしてまれに、この土地にはない珍しい金品なども外から持ち込まれる。
「……この町で、最も価値があるものはビーストだよ」
セトは、ぽつりと呟いた。しばらく歩くと、活気のある声が響き渡る広い通りがミーナの目の前に現れた。そこは通称『獣市場』と呼ばれている。普通の市場のように、左右に屋台がずらりと並んでいて、店頭には、大小さまざまな獣が一つの例外なく檻に入れられていた。
ミーナが周りを見れば、当然にして名前を聞いたこともない生き物が並べられていた。中には、『名無し』と書かれたプレートが檻に貼られている生き物もいた。
「あら、それは『ヤマハリネズミ』ですわよ」
ミーナたちが立ち寄った店を通りがかった婦人が、足を止めてそう言った。
店主は、「あ、そうなんですか」とペコペコ頭を下げて、プレートの裏に名前を書き込んで貼り直した。
「お気をつけなさいね」と婦人は言うと、両腕に抱かれている生き物を見つめた。そこには、同じ姿形の生き物――『ヤマハリネズミ』がいた。
しかし、婦人が立ち去ると、店主は舌打ちをしてプレートを裏返した。
ミーナ達は、その光景を見て顔をしかめた。このようなことが、この市場では日常として起こっているのだ。
「ビーストを……買ってどうするの?」ミーナはセトに訊ねた。
「人によるけど、だいたいはお金持ちのペットとして飼われることになるよ。強いビーストを買えば番犬や用心棒にもなるし、僕たちみたいに研究で買われることもある」
すると、通りの奥から人々の騒ぎ声が聞こえた。その方を見ると、人だかりが真っ二つに割れ、その間から巨大な生き物に乗った人影が姿を現した。
「あれは、ライオンっていう動物だよ。ビーストじゃないけど、あんな風に、ビーストを使役して乗り物にする人もいるんだ」とセトは言った。「けどあの恰好は……たぶんサーカスの人じゃないかな」
「サーカスって何?」
「ビーストが演技をするんだよ。昔は人だけでやってたけど、全然人気がなくて、ビーストが登場しだしてから街でも人気の興行になったんだ」
セト曰く、搭乗しているのはそのサーカスの団長だという。ふくよかな体型にこの町でもよく見かけるタキシードを装った恰好の紳士然とした男だった。よく見れば、ライオンは後ろに馬車台のような装いの台を引いていた。ライオンが足を止めると、中から街でも見かけないような派手な装いの女が現れて人々の目を惹いた。
団長は女を侍らせながら、淡々とした足取りで屋台を巡った。
「やあご主人、何かいいものは揃っているかい?」
「いやあ旦那、アンタんとこって使ってるヤツらには遠くおよばねえよ」
そんなやり取りを見せつけるようにミーナたちの目の前で繰り返す。
「こちらも面白いものを手に入れたのだ。今度身に来るといい……皆様もどうぞ! 明日の講演にご来場くださいませ! 私どもが世界各地を巡って入手しました、とびきりの獣をお見せしましょう!」
高らかに笑い声をあげて、団長は腕を広げた。人々の歓声があがり、団長はビーストに乗り込んで引き返していった。
「ああいう宣伝もたまにあるよ。珍しいビーストがいたら実際に買っていくこともあるし」
「もういい……」
ミーナは、のどの奥から絞り出すようにして言った。「もう十分だから」
「うん」セトは頷いて、小さい声で、ごめんと呟いた。




