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ヌシの味と旅の目的

 引き上げたときの彼は。まだ意識を失っていた。連れ帰り医術に詳しい村の人に診てもらうと、命に別状はないと説明された。


「池の水を多少呑み込んでいるが、死んではいない。いずれ目を覚ますだろう」


 そして一時間後、彼は目を覚ました。


「よう、元気かよ。この『くたばりぞこない』が」


「やあ、ハム。さっきぶり。なんとか元気だよ」


「なんでいきなりそんな言い合いができるのよ。やっぱりおかしいわよあなた達」向かい合う二人を見つめながら私は思わず本音が漏れた。


「コイツは自分の馬鹿さを自覚してるからな」ハムがわかりきった声で言った。


「ひどいな、そこまで馬鹿じゃないよ」


「そういう意味じゃねえ」「そういう意味じゃないと思う」


 初めてハムと意見が一致した。ていうか、自覚してないじゃない。


「今ので馬鹿なのは理解したわ」


「あ、また言った! 二人とも、いつの間にそんな仲良くなったの?」


「仲良くなってねえよ」「仲良くなんてなってないわよ」


 また……。けれど、少しはハムの言っている意味もわかるようになった気がする。


「思ったよりも元気そうじゃな」


 振り返るとウミガメさんが立っていた。私たちがいるのは、ヌシを引き上げた場所の近くの平地で、村の人に用意してもらった敷物の上に彼は彼は寝ている。


 セトは頷いて言った。「万全じゃないけどね、なんとか大丈夫だよ」


「薬でも持っておったのか?」ウミガメさんが訊ねた。


 セトは首を振った。「僕もよくわからないけど。……ヌシを食べたからかな」


「ヌシを……食べた?」ウミガメさんが目をかっ開いて呟く。「それはどういうことじゃ」


「お腹が空いててね。他に食べられるものがなかったんだ」


「だからってそうはならないでしょ」私は思わず口を挟んでいた。


「だが、ううむ……。それしか考えられんか」ウミガメさんは頷いて言った。「むしろそれが最善なのかもしれんな」


 どういうことなのか訊ねると、ウミガメさんはこの場でヌシを食べようと言った。


「このまま亡骸を森に放置しておくことはできん」


 ウミガメさんは、同じことを村の人達に話した。ヌシを食べるなんて考えられないと私は思ったけれど、意外にもみんな乗り気だった。何人かは、ヌシを食べてみたいと思ったことがあるらしい。これも生きてきた環境の違いなのだろうか。


「調理はどのようにすればよいのだ?」ウミガメさんがセトに聞いた。


「生のままだと臭みが強いから焼いた方が良いと思うよ」セトは立ち上がれるまで回復していた。本当に、ヌシの毒は消えたのだろうか。


「ねえ、ヌシってどんな味だったの?」料理の完成を待っている間、私は彼に訊ねた。


「うーん、噛み応えがあって、けっこう腹持ちがよかった感じかな」


「魚でしょ?」


「うん、魚だよ」


 そんなわけないと思ったけれど、食べたことがないからわからない。キノコを食べる前のような怖さがあったけれど、味を知りたい気持ちの方がずっと強かった。


 料理が完成した。調理中、ヌシの体から粘液のような液体が漏れていたらしい。セトに話すとそれは油だとわかった。


「火にくべるとよく燃えるんだよね」


「ふーん」


 彼の話を片方の耳で聞きながら目の前の料理に手を伸ばす。ヌシの味は、魚というより獣の肉だった。大熊のように、雑食な動物な放つ独特な臭みがあった。


「また報告することが増えたかな」彼がぼそりと言った。


 私はウミガメさんの方を見て訊ねた。「これからどうするんですか?」


「そうじゃのう。まず、この地を離れることになるとは思う」


 その未来はやっぱり変わらなかった。村の人達もずっとそのことを望んでいたし、ウミガメさんとしてもヌシの一件が片付いたから、前に進めると思っているのかもしれない。

 そんな中、ひとりだけ料理に手を伸ばしていない方へ私は目を向けた。


「今日はずいぶん大人しいのね。食欲がないの?」


 訊ねるとハムは私を少し睨みつけた。「んなわけねえ」


「じゃあどうして?」


「……ずいぶん楽しそうに食うんだな」ハムが言った。その視線は、私たちと村の人達に向けられていて、少し遠い目をしていた。


「おいしいからじゃない? おいしいもの食べたら、幸せな気持ちになるでしょ?」


「だったら一人で食っちまえばもっと腹一杯になれるじゃねえか。そうすりゃもっと長く生きられる。違うか?」


「違わないと思う。でも、自分だけが生き残っても意味がないのよ。これから先食べ物を探すのも、何もかもを全部一人でするなんてできないもの」


「甘ったれだな」


「そうね」私は頷いた。そう、私たちは恵まれている。今回の旅で一番強く感じたことだった。食べ物を選ぶことができて、困ったら誰かに分けてもらえる。

 そんな恵まれた種族、他にいない。


「だから、どうするかはあなたの自由よ。食べずに生き物としての尊厳を守るのか、あなたが馬鹿にした人間わたしたちみたいに食べ物を分けてもらうのか」


「嫌なこと言うんだな」ハムはぽつりと呟いた。


「二人とも食べないの?」セトが私たちの方を覗き込んで言った。


 するとハムは飛び上がって、セトが持っていたヌシの肉を強奪した。


「オレ様はオレ様だ。ニンゲンには従わねえ」そう言って、目の前でヌシ肉を食らう。


「ねえセト、ハムスターの丸焼きって食べたことある?」


「ん? ないよ。どうして?」


「いつか作ってあげようと思って。おいしそうでしょ?」私は微笑んで言った。


 ***


 三日後、私たちはウミミノ村から少し離れた泉の前にいた。

 村人が大人も子供も大勢集まって、私たちに視線を向けている。

 セトと二人で持っている藁束は、初めて持ったときも思ったけれど驚くほど軽くて、中に人が入っているなんてとても思えなかった。


 ウミガメさんが亡くなったと聞いたのは、全員でヌシを食べた次の日だった。朝に姿が見当たらず、全員で探してようやく見つかったのがこの泉に置かれた椅子の上だった。

 誰にもその瞬間を看取られず、ウミガメさんは静かに椅子の上で目を瞑っていた。


「ねえ、セト。わたしおかしいのかな。そんなに悲しくない」


「おかしくないよ。だって、全然苦しそうじゃなかったでしょ」


「うん」私は頷いた。ウミガメさんを見つけた時、眠っているような顔をしていた。口元が少し上がって、笑っているように見えた。

 何も思い残すことはなかったと思う。それくらい安らかな表情だった。


 本来、死体は土に埋めるものだけれど、ウミガメさんはきっと、そうして欲しいとは言わない気がした。この方法があっているのかは分からない、けれど皆で話し合って、こうすることに決めた。


「他の魚に食われるかもな」ハムが言った。


「わたしだったら嫌だけど、ウミガメさんはむしろ喜ぶんじゃないかしら」


「エサになるのをか?」


「こういう時は自然に還るっていうのよ」


 私たちは藁束を泉に浮かべた。藁束は舟のようにゆっくりと泉の上を泳いで、波にゆられ遠のいていく。


「海まで届くといいね」とセトが言った。

 すると藁舟はすぐに沈んだ。


 海に届くどころか、出港していきなり沈没した。

 わたしたちは顔を見合わせて。とりあえず笑い合った。


「ねえ、ヌシみたいな生き物って他にもいるの?」私はふと訊ねた。


「どんな生き物?」セトが聞き返す。


「うまく言えないけど、嫌われ者みたいな、私たちが普段見るような動物じゃない生き物のこと」


 ああ、と彼は頷いた。「たくさんいるよ。生きているだけで危険な生き物。大熊みたいに狂暴じゃなくても、ヌシみたいな生き物でもそう見なされることはあるんだ」


 やっぱり、いるんだ。いない方がおかしいと思ったけれど、実際に聞くと、ショックが大きかった。


「実は僕たちの旅は、そういった生き物の生態を調べることが一番の目的なんだ」


「そういえば、大熊の時もそのために来たって言ってたわね」


 少し合点がいった。彼がどうしてこの件に積極的だったのか。生き物が好きなだけでは納得ができなかった。そして途中から、彼は何か使命のようなものを背負っているんじゃないかと感じるようになった。


「それじゃあ、また別の生き物を探しにいくのね」


 すると彼は首を振った。


「いや、調査する生き物はもう無いよ。だから一度、街に戻ろうと思ってる」

ここまで読んでくださりありがとうございます。


次章【グランベール編】はたぶん今までで最長になるかと思います。

プロットができるまでは感想開放します。

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