身近な世界
ヌシが嫌われ者? カキの言葉に、私は一瞬動揺した。なにかの間違いだと、聞き間違いだと思ったけれど、それは、本当のことだった。
「知っている」ウミガメさんは、少し怖い顔で言った。
その後、私たちはカキと一緒に村に戻った。すると丁度外に出ていた人達が帰ってきていて、獲った木の実や果物を一つ一つ移し替えているところだった。
「手伝います」しゃがみ込んで女の人たちの輪の中に加わると、何も言われなかった。
木の実は殻を割って外し壺の中に入れた。果物は他の生き物がかじったものもあったけれど、川で丁寧に水洗いして、べつの網かごに入れてどこかへ運んでいった。
「ありがとう。助かったよ」作業が終わると、急に女の人達が私の方を向いてお礼を言ってきた。村では、一人でできないことはみんなで助け合うのが当たり前だった。
けれど私は部外者で、彼女たちもそれをわかっているから、きっとそうしたのだ。
すると突然叫び声がして、私はそこに駆け付けた。籠を背負っていた女性が籠を地面に落としている。なぜ怯えているのかは、籠の中に秘密があった。
むしゃむしゃと食べ物をかじる音がする。貪るような音だった。中を覗き込むと、果物の山に体を潜り込ませて、真っ白なお尻だけが露になっていた。
私は籠の中に手を突っ込んで犯人を引き上げた。
「これはこの村の人達が採ってきたものよ! あなたが盗んでいい権利なんてないわ!」
驚きのあまり、怒気が強くなってしまう。けれど理由はそれだけじゃなかった。
チッ、と舌打ちした犯人はしょうこりもなくこんなことを言った。
「ハラが減ってたんだ。しょうがねえだろ」
それは、こっちも同じだった。お腹なんてずっと空いている。食べ物がないのだ。
けれど目の前にあるものは、私が採った果物じゃない。
私は人差し指をある方に向けた。「セトを見なさいよ。彼だって我慢してるじゃない」
「アイツはまだ平気なんだろ」
悪びれも無くそんなことを言うハム。私は我慢の限界だった。
「……あなたは、そこまでして生きたいの? 人の食べ物を盗んでまで」
するとハムは答えた。「てめえは何もわかっちゃいねえ」そうして、諦めて背を向けた。
「本当にごめんなさい!」果物を盗まれた女の人に、私は謝ることしかできなかった。
その後、作業を手伝ってくれたからと私たちはお昼に呼んでもらえた。食べ物を分けてもらう資格なんて無かったけれど、空腹に抗うことはできなかった。
主食は魚で、山菜と果物が食卓に彩りを添えていた。話を聞くと、食事はいつもこんな感じらしい。村人全員で獲ってきた獲物を、村人全員で食べる。もちろん、備蓄もする。ハムが盗んだ果物は、それに回される分だった。冬になると山菜の採れる量も減ってしまうかららしい。
「何の話してるの?」声をかけたのはセトだった。
「べつに何も」と私は首を振った。「あなたの方こそどこ行ってたのよ」
「ああうん、ちょっとハムが見当たらなくてさ」
私の口から本音が零れた。「戻ってこなくてもいいんじゃない? 一人で勝手に生きるでしょ」
ハムは私たちとは違う、生きることに躊躇内の無い種族だ。自分だけが生き残れればいいというのは、生き物本来の感性かもしれないけど、私たちには到底理解できないものだった。
「私たちは人間なんだから。助け合っていけばいいじゃない」
そう言うと、彼は頷いたあと立ち上がって言った。
「やっぱり探してくるよ。……そうだけど、でもハムは違うんだ」
セトは私の目を見た。その目は、ウソを言っているようには見えなかった。
けれど、私にとって今のハムは最悪の印象に留まっている存在でしかない。
「じゃあ好きにしたら」と冷たく言い放って、私はさっさと話を終わらせた。セトは少し言い辛そうな顔をして、「じゃあいってくるよ」と走り去っていった。
昼食を終えると、村の人達は再び仕事に戻る。男性は川に向かい、女性は平たい藁籠をもって山菜採りへと足を運ぶ。
「手伝います」この時には、私はためらいなく声をかけられるようになっていた。
昼食で仲良くなった女性――ナツミさんと村の女性たちに連れられて、私は森の奥に向かった。この森で採れる果実や山菜は種類が少ないらしい。だから同じものを見つけて籠の中に入れればいいと教えてもらった。
「あれ……?」ふと視界に入ってきたものに私は足を止めた。普段な気にもかけないような、道端に生えた葉に視線を奪われる。
「ちょっと待ってください」と声をかけると、「どうしたの?」とナツミさんたちが近づいてきた。私は二股に分かれた形の葉を指さして答える。
「これ、食べられるんです」
子供の頃、仲間たちと何日も山にこもった。確か図鑑に描かれている珍しい植物の花を誰かが偶然見つけて、それを探しに行こうとなったのだ。
結局、花は見つけられなかったけれど、代わりに図鑑に描かれたいくつかの植物を見つけ、それらが実は食べられることを知った。
「何年もこの森を歩いているけど、そんなこと気にもしなかったわ……」ナツミさんはお驚いた顔で言った。
「私も、知ってる植物以外は食べられないですけど、これは安全なので」
「そう。じゃあ持って帰りましょう」
ナツミさんたちにも協力してもらって、食べられる植物――ナンコウの葉を籠に詰めた。
そのきっかけもあって、私が足を止めると、「それは何?」とナツミさんたちは声をかけてくれるようになった。子供の頃の記憶だけれど見ると意外に覚えているもので、ナンコウの葉以外にも四つの食べられる植物を見つけた。
特に喜ばれたのは、私が調味料として使っている木の実についての知識だった。ショウの実と言って、黒ずんだ色に硬い皮が特徴の木の実だった。そのまま食べると苦みが口の中に広がってとても食べられたものじゃないけれど、煮込むと皮が柔らくなって中の実から独特な風味の液体が溶け出してくるのだ。
魚の煮つけなんかに合わせると絶品で、村でも一時騒ぎになったほどだった。
ここでもそれが見つけられたのは、幸運としかいえないだろう。
「久しぶりに塩漬けの魚を食べなくて済むわあ」と一人の女性がそれはもう嬉しそうに語った。聞くと料理の味がいつも同じなので、塩の量を変えて濃さを微妙に変えているらしい。
「お嬢ちゃんは物知りね」ナツメさんたちは言った。私にとっては、好き勝手していた頃に遊びで偶然見つけた発見の一つに過ぎない。けれどそれが役に立つなら、悪い気はしなかった。
いつもよりたくさんの戦利品を抱えて、少し誇らしげな気持ちで私たちは村に戻った。
さっそくショウの実の煮汁を取り出そうと取り掛かっていると、私の周りを女性たちが取り囲んだ。
「ええと……」私は上目遣いで女性たちを見つめた。どうやらナツメさんたちから話が広がったらしい。煮汁の取り出し方を一目見ようと集まってきたのだ。
私は緊張しながら、ゆっくりと手順を説明しながら調理を進めた。
何日か置かないと風味が出てこないので、荷物の中にある出来上がったものを渡して味見させると大騒ぎになった。中には涙を流している人までいて、私は少し大げさなんじゃないかと思った。
「調味料ってそんなに珍しいものなんですか?」作業を進めながら訊ねると、ナツメさんが頷いた。
「そうねえ、ここはどこの村とも離れているし、何よりこんな森の中に人なんてめったに来ないしね」
それもそうだ。私も、体を洗おうと思わなければこんな深い所まで来なかった。ナツメさんたちの感覚だと、こうして部外者が来るのも何年かぶりのことなのかもしれない。
「でも村長さんが言ってたのよね。そろそろ村を引っ越す時期だろうって」
「村を……引っ越しですか?」




