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変わらぬもの

 私たちはしばらくその場にとどまった。さっき見た光景が、まだ現実のものだとうまく呑み込めなかった。


「何か、食べない? お腹空いちゃった」


「そうだね」


 私は鞄の中からパンを取り出して、セトに渡した。彼はそれを半分に千切って、彼のパートナーの目の前に置いた。


「これっぽっちかよ」とハムが不満げに言った。


「仕方ないでしょ。たくさん入れると重かったんだから」


 どれだけ長い旅になるのかもわからなかったのだ。とりあえず数日はこのパンだけで我慢するしかない。

 ふと、私は気になって訊ねた。


「あなたたちはどうやって生活してきたの?」するとセトは食べる前に言った。


「普通だよ。お腹が空いたら食べるんだ」


「だから何をよ」


「何でもだよ。食べられるものなら、なんだって」


 セトは当たり前のように言った。それは言葉の通り、たとえ毒があるかもしれないものでも、彼らは食べたのだろう。


「そんな危ないことしなくても、食べ物を分けてもらうとか、もっと色々できたんじゃない?」


「そうだね」セトは小さく頷いた。そんなこと、私なんかが言っても仕方ないのに。


 すると、背後から草が揺れる音が響いた。風が吹いたような感じじゃなく、生き物が通るときに聞こえる音だった。


「ねえ、獣避けって今も効いてるの?」私は身構えながら訊ねた。


「ごめん、たぶん効果切れ」


「じゃあもしも今から出てくるのが獣だったら、私たちってもう終わり?」


「そうなったら奥の手を出すよ」セトは苦笑いを浮かべた。


 そんなものがあるなら早く使ってほしいと私は思った。


「ね、ほら。この前みたいに会話できたりしないの? あなた、話せるんでしょ」


 私は下に向かって話しかけた。すると彼の相棒のハムは、吐き捨てるように言った。


「オレ様は使われんのがキライだ」


「え、どういうこと?」


「ニンゲンの間じゃ何でも頼まれたらやるのがフツウみてえだが、オレ様に頼みごとしたきゃ見返りを用意しろ。それがケイヤクだ」


「見返りって何よ」


「そうだな……そいつをよこせ」ハムは私の鞄を指さした。


「冗談でしょ?」私は顔の震えが止まらなかった。鞄をぎゅっと握りしめて言い放つ。「いまの状況でよくそんなこと言えたわね!」


 私は信じられなかった。たったいま、食べ物が残り少ないことを言ったばかりだ。それに彼らは、ろくに食べ物を持っていない。


「渡せるわけないでしょ!」


「ならキョウリョクはしねえ」ハムは冷たく言い放った。


 ほんの少し、私はハムに期待していた。動物でも話が通じて、通じ合えるかもしれないと思っていた。けれどそれは間違いだった、彼もその辺にいる獣と変わらない。

 生きるためなら、手段を選ばない。


「ハム。僕のパンあげるよ。だからお願いだ」セトがハムにパンを投げつけた。


「チッ、仕方ねえ」ハムはパンを咥えて呑み込み、私たちの前に立った。


「どうして!? なんで言う事聞くのよ」私はセトに訊ねた。「今日の分、もうあれしかないのよ!?」


 セトはまだひと口も食べていなかった。そこまでして、ハムを助ける意味なんてないはずなのに。

 私は手に持ったパンを握りしめた。お腹が空いていた。誰かに渡すなんて考えられなかった。けれど彼は、平然とそれをやってのけた。


「あの、これ……少しだったら」半分とはいかないけれど、ひと口千切って私は彼に渡そうとした。


 すると、ばさあっ、と草むらが揺れて、生き物が目の前に現れた。

 思っていたよりも小さかったので、その瞬間の驚きは少なかった。


「え、何これ」私はその未知の生き物を目の前にして、好奇心が勝った。


「いや、僕も見たこと無いよ」セトが呟いた。


 その生き物は、モグラのような図体で、けれど手足は生えていなかった。

 大きさに対して私があまり恐怖を感じなかったのは、その見た目によるところが大きかった。イモムシのような色でありながら、ダンゴムシように身を丸めている。

 動く気配のない、ふかふかの枕を見ているような気分だった。


「ねえ、ちょっと触ってみてもいい?」私はセトの方を見て言った。彼の回答を待たず、私はゆっくりと生き物に手を伸ばした。


 すると、びゅん、と草むらの中から何かが飛び出してきて、生き物に突き刺さった。

 傷口から、青色の液体がとろとろと漏れ出て、滴るように地面に落ちた。

 一瞬の出来事で、私は何が起きたのかわからなかった。


 突き刺さったものから手を離し、「ようやく一匹」と私たちよりずっと背の低い呟いた子どもを見つめて、私は震えながら訊ねた。


「あなたがこれをやったの?」


「ごめん、びっくりした? でもこいつ、すばしっこくて捕まえにくいんだ」


 頬に青い液体が付いた顔で子どもは無邪気に笑った。そして生き物に突き刺さったものを手でつかみ上げる。よく見ると、木の枝みたいに細長かった。


「それ、どうするの?」訊ねると子どもは言った。


「これでヌシを釣るんだ」


「ヌシ?」私とセトは一緒に首を傾げた。「それって何なの?」


「この池にいる魚だよ。ものすごく大きいんだ」


 子どもは笑った。あの不思議な生き物を躊躇なく殺したとは思えないほど無邪気な笑顔だった。それにヌシとは、きっと私たちが見たあの黒い影のことだろう。

 セトは魚じゃないと言っていたけれど、やっぱり魚だったのだ。

 私はしゃがみ込んで子どもと目線を合わせた。


「どうしてヌシを釣りたいの?」


「みんなに認めてほしいんだ! オイラも立派な漁師だって! そしたらきっと、舟に乗せてくれるとおもうから」


「そうなのね」私は思った。場所が違っても、変わらないものがある。いま私の目のまえにあるものがきっとそれで、私は今までそれをもってはいけないものだと思っていた。

 けれど今は、純粋に必要だと感じる。一度手離したものだから、それをもっている彼を余計に眩しく感じたのだ。

 協力したいと、そう思った。


「ねえ、私たちにも手伝わせてくれない?」


 振り返ってセトの目を見て、「いい?」と目で訴える。すると彼は、「いいよ」と小さく頷いた。


「ホント? じゃあみんなに紹介するよ!」子どもは嬉しそうに言った。「近くにオイラたちの村があるんだ。ちょっと付いてきてよ」


「できれば、ヌシのこと、僕たちにも教えてくれないかな」セトが言った。


「いいよ!」とその子は頷いた。「オイラはカキ。姉ちゃんたちは?」







 カキの住む【ウミミノ村】は、この池の反対側にある川を少し下ったところにあった。

 森の中にあると言ってもいいくらいに周りは草木だらけで、建物は特に見当たらなかった。


「カキの家はどこにあるの?」


「んーと、あのへんかなあ?」カキが指をさした先は、少し大きめの岩が置かれているだけだった。


「岩はめじるしだよ」そう言って通り過ぎた先に、茂みを切り開いたような小さな空間があった。


「これがあなたの家?」


「うん」


 私は戸惑いを隠せなかった。これは果たして家だろうか。けれど彼は違った。


「おじゃまします」と平気な顔で土に引かれた線を踏み越え、中に入る。


「いい家だよ? 草の寝台ベッドだってあるし、じゅうぶん快適だよ。僕たちなんか、いつも適当な地面に寝転がって寝てるからね」


「まあ、そうね」言われてみれば、旅が始まってからはそれが普通だった。鞄を枕にして、洞窟に籠って夜を明かすこともあった。


 それに比べたら、ここはじゅうぶん家といえる。寝転がってもぶつらかないだろうし、雨風は頭上の無数に折り重なった木が防いでくれるだろう。


「馬鹿にしてごめんなさい」


「いいよ、べつに」カキは特に気にしていないと首を振った。


「食べ物はどうしてるの?」


「『男は漁、女はサイシュウ』なんだって」カキは受け売りのように言った。「舟で川を下って魚を獲るんだ」


「帰るときはどうするの?」


「舟に魚を乗せて引っ張って持って帰るんだよ」カキはあたり前のように言った。


「大変だね」セトがぽつりと呟いた。「ヌシは最初から池にいたの?」


「ううん」カキは首を振った。「村長が連れて来たんだよ」


 カキが言うには、ヌシはもともと川の下流の大きな湖にいて、それを見つけたのが今の村長のウミガメという人だったらしい。


「どうして池まで連れて来たんだろう……」呟くと、カキが言った。


「むかし、魚がぜんぜん獲れなくなったことがあったんだ。村のみんなはヌシが全部たべたんだって言ってるけど、オイラは違うんと思うんだ」


「どうして?」


「わかんない」


 わかんないかぁー。

 私は胸の内で叫んだ。よくあることだ。リックもそうだったし、私にもそういう時期があった。理由はないけれど、そう感じる瞬間というものが誰しも必ずある。


 話しても分かってもらえないと知ってからは、自分から話すことはなくなったけれど、今でも近い感覚になることは度々ある。


「ヌシに会ってみたいな」セトがぽつりと言った。「会う方法ってあるのかな?」


 カキは首を振った。「オイラも見たことないんだよ。けど村長だったら何かわかるかもしれないよ」

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