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忘れられない過去

できれば、章の最後まで読んでほしいです

 幼い頃の私は、とてもわがままな子供だった。


「ミーナ、どこにいくの⁉」

「森!」


 家の手伝いを途中で抜け出して、遅くまで遊び回った。何度も、何度も。

 私の家は、畑と牛を飼っていた。母と父は毎日畑仕事に追われていた。


 そんなある日の晩、母が私のために本を読んでくれた。

 それは『勇者の冒険』という絵物語だった。

 本の中の勇者は、とても勇敢で、どんな怪物にも立ち向かった。仲間が倒れたときは必死になって薬草を探して、挙句自分が迷子になって、仲間から助けられるような人だった。

 

 私の仲間もみんな勇者が大好きで、いつか勇者みたいになりたいと口にしていた。

 いつかこの村を出て、本当の冒険に出ていくのだとそう思っていた。

 

 冒険に出るために、私たちは色々なことをやった。木登りや丸太渡り競走、木の棒を使った戦いの真似事。最初は遊び半分だったけれど、少しずつみんな本気になっていった。

 

 そしてある日、リーダーだった年長の男の子がこんなことを言い出した。


「熊を退治しよう」


 その熊は、村の猟師でも滅多に近づかないことで有名だった。

 凶暴で、村でも仕留めた人はいなかった。


「オヤジが言ってたんだ。熊を仕留められたら一人前って認めてやるって」


 リーダーの父親は村で一番の猟師だった。よく二人で森に来て、獲物を狩っているという話をきいた。リーダーは熊がよく通る場所もよく知っていた。


「で、でもちょっと怖くない? 大人も何人か食べられたって聞いたよ」


 別の男の子が言った。


「そんなのいつの話だよ。武器だってこっちは進化してるんだ。弓を使えばイチコロさ」


 そうして私たちは、大人に内緒で熊を仕留める計画を立てた。

 今までやってきた遊びから着想を得て、ワナを張り、熊をおびき出す方法を考えた。

 

 決行当日、私は前の日に約束していた牛の世話を途中で抜け出して森に向かった。走りながら、帰ってきたら村のみんながどんな顔をするだろう、そんなことばかり考えていた。


 集合場所の一本杉の方をみると、人影がこっちに向かって手を振っていた。

 リーダーだった。見たことのない大きな弓と矢筒を背中に背負ってリーダーは叫んだ。


「すげえだろ! オヤジがいつも使ってるやつなんだぜ。これさえありゃ、熊なんて一発だ!」

「うん! でも、リーダーちゃんと使えるの?」

「あったり前だろ!」リーダーは胸を張った。


 だんだん仲間が集まってきた。誰一人逃げ出すことはなく、私たちは全員で熊を仕留めるべく住処へと向かった。

 リーダーの先導で、一列になって森を進む。風の音や、生き物が地面を這う音がいつもより大きく感じた。

 突然、茂美が音を立てて揺れると、リーダーが慌てて弓を構えた。後ろにいた私にだけ、その手は小さく震えているのが見えた。


「……何だ、小熊か」


 リーダーがため息をつく。小熊は二匹いて、同じ熊なのにその見た目はとても狂暴な動物とは思えなかった。


「知ってるか? 小熊の毛ってめっちゃ気持ち良いんだぜ」


 リーダーが目を輝かせて言った。小熊の手を持つと、綿毛のように見た目にも柔らかそうだった。

 直接触ると綿毛よりずっとふわふわしていて思わず表情が崩れた。


「かわいいー!」


 小熊の仕草は全部が可愛かった。寝転がったり、「くあ」とあくびをしたり、小熊の仕草はいつの間にか私たちが辛うじて保っていた緊張を解いていた。

 その時だった。茂みの奥から突然、大きな影が現れた。


「く、熊だ!」


 リーダーが大声で叫んだ。初めて見る熊は、子どもの熊から想像もできないくらい大きかった。山が突然目の前に現れたみたいに視界が無くなって、私は一歩も動けなかった。


「に、逃げろー!」


 リーダーが私の手を取り、他のみんなも一目散で逃げた。

 弓でなんて到底仕留められるはずがない。私たちは思いあがっていた。


「あっ……!」


 走っている途中、小枝を踏み外して私は地面に転んだ。リーダーの手がするりと抜ける。

 起き上がった先で、みんなの姿がだんだん遠くなっているのがわかった。

 振り返ると、ゆったりとした足取りで熊が近づいてきて、その頭の上には、さっきの小熊が乗っかっていた。


 ――ああ、子供だったんだ。


 私は、その場から離れることを諦めた。このまま噛み殺されても、きっと文句なんて言えない。

 すると突然、熊が悲鳴をあげた。見ると、目に矢が刺さっていた。


「ミーナ!」


 リーダーの声だった。振り返ると、弓を持っていたのはリーダーのおじさんだった。


「早く逃げろ!」


 私は震える足で立ち上がった。やっぱりまだ死にたくないと、心の中で叫び声がした。

 一目散でリーダーたちのいる場所に走った。熊の叫び声はすぐ真後ろまで聞こえた。

 私は必死で逃げた。もうこんなことはしないと心に強く誓った。

 家に帰ったら、お父さんとお母さんに精一杯謝ろう。そう強く思った。

 

 リーダーとおじさんの所に思い切り飛び込むと、「もう大丈夫だ」とおじさんは私の頭を撫でながら抱き締めた。


私はリーダーの方を見た。リーダーは私のことを見ていなかった。


「リーダー……?」


「駄目だ、見ちゃいかん!」


 首を向けようとした私を、おじさんがきつく抱きしめた。けれどその腕の隙間から、その光景が見えてしまった。

 リーダーの、「あ……あ……」という喉の奥を震わせるような声が聞こえた。

 視線の先には、熊が立っていた。岩のように大きな体が縦に大きく伸びているように見えた。まるで、獲物を仕留めた時のように。

 不思議と、恐怖心は感じなかった。熊は私たちの方を見てはいなかった。もっと別のことに集中しているようだった。

 熊の前に誰かが立っていた。体の半分が熊の口に飲み込まれて、赤いものが地面にぽたぽたと流れ落ちていた。


「大……丈夫か、ミーナ」


 振り返ったその顔が、いつも優しい表情の父にそっくりだった。だからその隣にいる人が誰かもすぐに気づいた。


「怖かったわよね、でももう大丈夫よ。今のうちに早く逃げなさい」


 何が起きているのかよくわからなかった。今朝、あんなに明るかった二人が、血まみれで今にも倒れそうになっている理由が。


「お父さん……お母さん……?」私は夢でも見ているかのように呟いた。


「ミーナ、よく聞いて」母が、振り返って私の目を見た。とても苦しそうなのに、目の奥はいつもと同じだった。


「あなたが家の手伝いよりも子供たちと遊ぶことを選んだのは、決して悪いことじゃないわ。お母さんもお父さんも、家のことが忙しくてあなたと一緒に遊んであげられなかったから、たくさん寂しい思いをさせてしまったから。あなたが外に遊びに行くようになって、本当はとても嬉しかったのよ」


「ああ、お父さんもおまえが元気に育ってくれてとても嬉しい。少しわがままなところはあるけれど、それもお母さん譲りだと思えばかわいいもんだ」


「だからね、ミーナ。自分を責めないで。もしかしたら、子供のあなたじゃまだ分からないかもしれない。けれど大きくなったら、分かるようになったら、今日のことをあなたはとても後悔するかもしれない。それでも、自分を責めては駄目よ」


 母は、いつものように目を細めて笑った。一瞬だけ、いつもの日々に戻ったような安心感があった。私は腕の中から両手を伸ばした。父と母はそれに応えて、手を伸ばし返す。

 目を瞑ると、本当に手を繋いだ感触があって、私はおそるおそる目を開いた。

 目の前に、二人の姿はなかった。けれど、服の切れ端が地面に落ちていた。


「あ、ああ……」


 その時になって私は気付いた。これは夢でも何でもなく、紛れもない現実だった。

「ああああああ!」私は叫びながらおじさんの腕を振りほどいた。制止する声も無視して、熊に向かってに突進した。


「ばっか野郎!」そんな叫び声が聞こえると、私の意識は不意に途切れた。


 目を覚ますと、私は森の前で横たわっていた。起き上がるとリーダーとおじさんが息を切らせて地面に座り込んでいた。


「リーダー……」と呟くとリーダーは気づいて私を地面に押し倒した。


「何考えてんだお前、死んじまうとこだったんだぞ!」


 リーダーの血走った眼を見て、私は震えながら呟いた。


「だって、お父さんとお母さんが……!」


「それは……もう仕方ねえだろ。お前のことを、命懸けで守ってくれたんだ」


 苦しそうな表情を浮かべて、リーダーはそう言った。

 その日の夕方、葬儀が行われた。肉も骨も、何もその場にないまま、粛々と葬儀は行われ、村の大人と子ども全員が参加した。


 葬儀が終わってすぐ、私の引取先を誰にするかの話合いが行われた。すぐに手を上げたのは、リーダーのおじさんだった。


「今回のことは、俺にも責任がある。俺のせがれが森に誘うなんてしなかったら、こんなことは起きてなかっただろうからな」


 責任をとるとみんなの前で言ってくれた。そしておじさんの家に向かう途中、私は不意に立ち止まった。

 気づかないまま、私の足はそこに向かっていた。

 玄関を開けて、ただいまを言えば、いつも母が怒りながら駆けつけてくれた。

 父は今日採れた野菜を自慢して、笑顔で私の顔を拭いてくれた。


「なんで、何も言ってくれないの……?」


 二人のいない家は、まるで違う場所のように思えた。そんなことにも今まで気づけなかった。


「悪い子でごめんなさい……! 言う事聞かなくてごめんなさい……! 嘘ついてごめんなさい……!」


 たくさんたくさん謝った。もうしないと心から誓った。それでも二人は帰ってこなかった。どれだけ言っても足りなかった。


「子供の頃は誰だって失敗するもんだ」気づくと、おじさんが玄関の前に立っていた。「ちょっと後悔するだけで済む奴もいれば、一生抱える後悔を背負う奴もいる」


 おじさんはリーダーの頭に手を載せた。リーダーが一歩近づいて、私の目を見て言った。


「おれの方こそごめん!」リーダーは涙を浮かべていた。「おれが森になんて誘わなかったら……悪いのは全部おれだ! だから、そんなに自分を責めるなよ」


 するとおじさんが言った。


「どっちの後悔で済むかなんて誰にもわかりゃしねえ。けど、後悔キズを積み重ねてて人は大人になっていくんだ。二度と同じ失敗をしないようにな」


 その時私は思った。この後悔をもう誰にも経験してほしくない。取り戻せない過去を誰にも持ってほしくない。これからの子供たちに二度と同じ失敗をさせないように私がずっと見守っていく。

 それだけが、私が生きる理由になった。 

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