レモンの例えは疑わしいです
ブクマ、評価、感想ありがとうございます。
三章も前後編ですが、よろしくお願いいたします。
母から、所蔵の乙女小説を借りることがある。
もちろん母が若い頃に読んでいたものなので、時代設定など古い一面はあるものの、乙女小説の本質である恋愛は時代を越え、変わらない。ヒロインがヒーローと紡ぐ恋愛に、ときめきは欠かせず、何年経っても色褪せず面白いと思える作品がある。
だがその頃の乙女小説は、ファーストキスについて似たような描写が多い。
「……ファーストキスは、レモンの味……」
それが、レモンに例えられている描写。
僕はいつもそれを読んで、首を傾げる。
レモンのように甘酸っぱいと書いてあるけれど、レモンは酸っぱいだけで、甘いとは思えないからだ。だがここまで作者を越え、繰り返し例えられているということは、当時は多くの読者に共感されたフレーズなのだろう。
「レモン、か……」
だが、それでも納得できない。
かといって試すために、記念すべき大切なファーストキスを捧げるというのは、間違っている。
そう、ファーストキスも乙女小説のように、ロマンある状況で行うべきだと思っている。
だが僕の婚約者、シェリーは食に執着しており、とてもロマンスな雰囲気になれるとは思えない。
そもそも僕らの始まりが、僕の身勝手な願いからだったし……。うん、乙女小説のようなロマンスからは、程遠いな。
だからせめてファーストキスは、乙女小説のように! シェリーにとっても忘れられないような! そう考えているのだが……。
とは言え、ロマンスとは一体なんだ? どうやったら生まれる?
婚約者のいる兄たち……。長男、次男は、ファーストキスを済ませたのだろうか……。
三男は……。絶対に、済ませているだろうな。というか、キスなんて日常茶飯事で、ロマンスもへったくれもないだろう。そういう奴だ。それなのに奴に夢中になっている令嬢が多く、こればかりは乙女小説好きの僕でも理解できない。
とにかく三人に……。
「ファーストキスって、どうやって済ませました?」
なんて質問は、さすがにできる訳がなく、最近はシェリーと会っては、ちらちらと彼女の柔らかそうな唇を眺めてばかりいる。
しかし彼女の口は多くの時間、もっちもっちと動き、幸せそうな顔でなにかを食している。その様子を見ていたら、とても己の欲情を優先する気になれない。
果たして僕たちは小説のように、ロマンチックな時間を過ごせる時が訪れるのだろうか。
◇◇◇◇◇
静々とレスペットが運んできた食べ物を見て、僕らは身を乗り出した。
「りんご?」
艶々と輝いているりんご。表面はなにかに包まれており、皮が剥かれていない採りたての状態で、太い棒が突き刺さっている。
「本日のお菓子は、りんご飴にございます」
「飴?」
ひょいと棒を持ち上げ嗅げば、甘い香りがする。
「精巧な飴細工ということか?」
「いえ、りんごに食紅で色づけした砂糖水を付けたお菓子にございます」
え? それだけ?
いつかクッキー作りを目の前で見たことがあるけれど、それに比べれば随分と簡単だ。料理経験がない僕にも、作れるのではと思うほどに。
「こちらのお菓子ですが……。お二人にだけ、特別にご提供させて頂きます。どうか他の皆様方には、ご内密にお願い致します」
やけに真剣な顔で言われる。
「それはつまり……。禁断の食べ物なのか……?」
ごくりと喉を鳴らすが、首を横に振られる。
「食べ方に問題があるだけです」
もったいぶった言い方は止めてくれ。
「なにしろこのお菓子、砂糖水……。りんごが飴に包まれております。加えてりんごはカットされておらず、がぶりと、大きくかじりついて食べるしかないのでございます」
なるほど。貴族や身分の高い者が大口を開けて食事するのは、作法として良くないとされている。
内密にしろと言うのは、大口を開けて食べさせるような料理を、僕らに提供した事実を言ってくれるなという……。つまりお前の保身か、レスペット!
黙って話を聞いていたシェリーが、あーん。と大きく口を開け、さっそく食べようと試みる。
君、食への躊躇ない姿勢は変わらないね。いや、分かっていたけれど。戸惑いがないその姿勢には、一種の尊敬すら覚えるよ。
ところが首を傾げるように、歯を当てては口を開いたままかじることなく、何度も角度を変える。
「あ? あ?」
どうやら、上手にかじれないようだ。眉間にしわが寄っていく。
「そうなのです。姫りんごを使っているので小ぶりではありますが、飴でコーティングされ、余計にかじりにくいのです」
一旦口を閉じ、シェリーはむすっとした顔になり、りんご飴を睨む。
それから先ほどより大きく口を開け、ついにかじりついた!
あ、あんなに大口を開けないとダメなのか⁉ なるほど、これは確かに内密にせざるを得ない!
ようやく食べられたシェリーは嬉しそうに口を動かす。一度かじれれば、後は簡単。そこから食べ進めればいいので、そこからは大きく口を開くことなく食べている。
「さあ、ビルゴ王子も、どうぞお召し上がり下さい!」
レスペット、王子である僕に、あれほどの大口を開けろと⁉ しかし横で美味しそうに食べているシェリーを見ていたら、魅力的な食べ物に見えてきて……。
そうだ、レスペットだって内密にと言っているではないか。この場で大口を開けたとしても、奴だって誰かにその話を漏らすことはない。王子の矜持は保たれるはずだ、多分。
それにこれが、この食べ物をいただく作法なら……!
意を決し大きく口を開けかじろうとするが、固い飴に阻まれ、なかなか上手くいかない。
「?」
シェリーのように首を傾けたり、角度を変えたりする。
そうか、シェリーが首の角度を変えていたのは、こういうことか。真ん丸だから、余計にどこからかじれば良いのか、分からない。これは難儀な食べ物だ。
仕方なくさらに大きく口を開くと、やっとかじることができた。
まず飴のパリッ。とした割れる食感に続き、リンゴの皮を破き、次にすぐ柔らかい身をしゃくりと食べる。
なんだ、これ! たった一口なのに、食感が三段階もある!
口の中でもりんごの身のしゃくしゃくした味わいと、飴の固さが絶妙に不思議な食感と味を生み出しており……。少し酸いりんごに甘い飴の味が絡み、まさに甘酸っぱい。美味しいな、これ。
「食紅だけでなく、他の着色料も使って並べたら、カラフルになって楽しそうですね」
「確かに他の色もあるそうですが、一番売れるのは、やはりこの色だそうです」
うん? 売れる?
シェリーは気にしていないようだが、どうにも耳障りな発言を吐いたな、レスペット。
「あと、飴細工として丸い形を生かし、耳や鼻を付けたりしたら、動物のような顔になり、可愛いと思います」
「ああ、それは子どもたちが喜びそうですね。でもそうなると、飴細工の技術が必要となりますし、コストが……」
「……おい、レスペット」
食べかけのりんご飴を持ったまま、口を挟む。
「お前、なにを企んでいる?」
「企みなど、とんでもございません。ただ私の弟妹が、祭の屋台でこれを売ってみたいと言い出しまして……。これなら料理が得意でなくとも作ることは難しくなく、棒が付いているので食べ歩きもでき、売れると思ったのですが……。お味はいかがですか?」
「美味しいです」
「……悪くはない」
つまりレスペットは僕らに食べさせ、反応の確認をしたという訳か。
まあ市井の祭でなら、大口を開けて食べても大丈夫かもしれないが……。
「りんご飴は、とある外国の祭では必ず屋台が並び、販売されている人気商品だそうです。それを見た妹が、この国でも売れるのではと考えまして」
「それで一番売れる色というのが、これなのですね」
「それならまずは、オーソドックスに攻めるべきだろう。国民が受け入れるかは、味とは別問題だ。最初は物珍しさに買う者も多いだろうから、まずは定着させることに重点を置いてはどうだ?」
しゃくり。食べ続ければ飴の部分が減っていき、ほとんど棒に刺さったりんごを食べている状態。だけどりんごは嫌いではないので、問題ない。
「材料を聞いた限りだと、低予算で作れる。見知らぬ物が高額だと、購買意欲が失われるから、売値は高く設定しなくていいだろう。見た目の艶やかさに、目を惹かれる者も多いはずだ。確かに商品としては悪くないかもしれないが、貴族社会では受け入れられないだろうな。カットした状態なら話は別だが」
ふむふむと頷きながら、レスペットはメモを取っている。
あれ? これって僕、レスペット兄妹の商売の手助けをしている? まあレスペットには普段シェリーが世話になっているから、そのお礼にこれくらいなら、助けてやってもいいか。
そう、今もあの呪いのような謎現象は発生しており、シェリーの作る料理やお菓子の仕上げは、レスペットが手を貸している。
「ただ身分に関係なく、ある年代の少女や女性は、大口を開けて食べる所を他人には見られたくないはずだ。はしたない所を見られ、異性に幻滅されたくない、それが女心だろう? りんご自体は馴染みある食べ物だから、買っても不味くないと思える点は良い。棒に刺さっている状態だから家に持ち帰り、そこで人目を気にせず食べることもできる」
急にシェリーが驚いた顔で僕を見てきた。いつの間にか食べ終え、すっかり彼女の手の中でりんごは、芯を残すだけになっている。
そうか、そんなに夢中になるほど美味しかったのか。良かったな、シェリー。美味しいものが食べられて。微笑ましい気持ちで、僕は小さく何度か頷く。
「りんごがより甘酸っぱく感じるし、食感も面白いし……。なにより美味しい。まあ、売れるとは思うけれどね」
そう言い、思った。
レモンなんかより、よほどりんご飴の方が甘酸っぱいし、赤い色は唇を連想させるし、こちらの方がファーストキスの例えに似合うのではと。
口に出すには恥ずかしい発見なので、心に秘めるが……。
そういう考えをシェリーの前でしてしまったことが急に恥ずかしくなり、僕は残りを一気に平らげた。
お読み下さりありがとうございました。
このシリーズ(?)は、ストーリーだけでなく、食べ物を食している描写も必ず入れると、自分の中で決めています。
その為、大まかな話の流れは決まれど、三章を書く為、なにを食べさせるべきか……。
散々悩んだ結果が、りんご飴でした。
後編は翌日公開予定です。