お願いしました
ブクマ登録、ありがとうございます。
王子に見初められたヒロインが、二人で庭園を歩く。
そんな乙女小説のワンシーンのように、二人で並んで歩いているが、小説と違い、僕たちの間に恋のときめきはない。
庭園の中ほどまで歩き、周りに誰もいないことを確認してから、長椅子に二人で腰かける。僕は彼女に向き合うと、頭を下げた。
「頼む! 僕が恋をするまででいい! 僕の恋人……。いや、僕の慕う人として振る舞うよう、協力してほしい!」
庭園へ向かう前、使用人に頼み、バスケットにサンドイッチを詰めてもらった。
それを嬉しそうに膝に乗せ、ふたを開けると、早速サンドイッチに手を伸ばしながら、シェリーは言う。
「意味が分かりません」
それから幸せそうな顔で、大きな口を開け、ツナのサンドイッチをパクリと食べ始める。
「正直に言おう。僕は恋愛小説のような……。それも乙女小説のような恋をして、その人と結婚をしたい夢がある。だけど言い寄ってくるのは、目をぎらつかせる肉食獣ばかり。僕は肉食獣とぎらぎらした恋愛ではなく、心温まる胸キュンな恋愛をしたいんだ。あんながっついている肉食獣に言い寄られるのは、もう耐えられない! これではゆっくり平和に恋を育むことができない!」
「肉食獣って!」
ぷっ、と食べかけのサンドイッチを持ったまま吹き出すと、けらけらと笑うシェリー。
彼女はこんな感じで食べ物に執着するだけでなく、令嬢らしからぬ言動を取ることが多い。我が道を歩き、肉食獣と土俵に立たないような人物だからこそ、白羽の矢を立てたわけだが……。
「なるほど。肉食獣たちとタイプの違う私が好みだと言い、それで彼女たちを諦めさせてから、ゆっくり恋の相手を見つけ、真実の愛を育みたいのですね」
僕の言いたいことを、すぐに理解した。変わり者の令嬢だが、頭の回転は悪くない。話が早くて助かる。
「自分勝手なお願いだと分かっている。もし引き受けてくれるなら……。城に届く珍しい食材やお菓子を、君に分けよう」
「引き受けます」
嘘だろ? 二つ返事?
狙いはしたけれど、本当にこれで引き受けてくれるとは……。
やっぱりこの子、いつか犯罪に巻きこまれやしないか? 食べ物をあげると言われても、知らない人について行ったらダメだよ?
彼女自身に不安はあるが、とにかくこれで決まった。自分でも失礼な申し出だと分かっているが、理想の初恋を……。そして一生ものの恋愛を手に入れるためだ。手段は選ばない!
僕は恋をするために。シェリーは食のために。
二人は協定を結んだ。
◇◇◇◇◇
「協定⁉ 私の大切な娘を、妙なことに巻きこまないで頂きたい!」
変わり者だが、真面目に仕事を迅速にこなす、臣下として優秀なシェリーの父親が怒る。
どの派閥にも属さず、下心も身分向上にも興味がない侯爵。それでもシェリーが私のもとへ通うことで、誤解を与え、眠っている野心を呼び起こすかもしれない。だから彼女の家族に協定だと説明するため、侯爵家を訪れたのだが……。
断られた。まあ普通はそうだよな。彼女の食への執着に付け入った僕が言う言葉ではないけれど、二つ返事で承知したシェリーが普通ではない。
侯爵は顔を赤くし、見た目から怒っている。変わり者とはいえ父性愛を持っており、その気持ちが、娘を守ろうとしているのだろう。
だが僕は諦めない。反対されるのなら、用意した餌を出すまで。
「……侯爵。画家のエストゥア殿が、近々父を訪問する予定なのです。お会いしたくありませんか?」
囁くような僕の言葉に、侯爵は大きく目を開く。
これからの出来事を察し、彼の妻である侯爵夫人が、慌てて発言する。
「画家と娘の件はむか……」
「なに⁉ 画家のエストゥア先生⁉ 必ずや後世まで名が残るであろう、あの天才、エストゥア先生⁉ 無論お会いしたいとも!」
身を乗り出した侯爵は、嬉々として声をあげる。その大きな声で、夫人の声は押しのけられた。
僕も夫人の発言などなかったかのように、にこりと侯爵に微笑む。
「なら、分かりますよね?」
暗に僕と彼女の協定に同意しろと言っているが、無事に伝わったらしい。
「殿下。先ほどの協定ですが、娘も了解しているのでしたら、問題ないでしょう」
侯爵夫人は目を吊り上げ夫を睨むが……。侯爵は無視をする。
とにかくまずは、父親の陥落に成功。
作戦通りだけど、この血統、本当に大丈夫か? よくこれまで、無事に生きてこられたな。
「私は反対です! 父上、冷静になって下さい! 本当に絵画が絡むと、我を忘れられるのは、悪い癖です!」
息子の言葉に同意するよう、大仰に頷く夫人。
「シェリーはこれでも女なんです。別れた後の醜聞によっては、結婚にも影響が出ます。どうかお考え直しを!」
……一部引っかかる物言いだが、兄として妹を思っていることは伝わった。それでも侯爵は……。
「いや、しかしだな。エストゥア先生は世界中を飛び回り、滅多にお目にかかれる御仁ではない。この機会を逃せば、この先一生会えないだろうから……」
「父上!」
反対に回った彼女の兄にも、もちろん餌は用意してある。
「僕が一方的に振り、彼女が被害者ということで構いません。さて……。王城の許可制の書庫に、興味はありませんか?」
城内に書庫は二つある。一つは誰でも出入り可能な、一般向けの書庫。もう一つの書庫には、禁書や持出不可の価値ある本や、絶版した本が並んでいる。もちろん後者が、許可制の書庫だ。
この書庫に出入りしたいと彼が望んでいることは、誰でも知っている。まだ若い彼が、自由に出入りできるよう、司書を目指していることも。
「慕う女性の兄ならば、大切に扱うのが当然。僕の口添えで、司書にならずとも出入り可能に……」
「シェリー、これも人助けだ。頑張りなさい」
はい、兄も陥落成功。
「三人とも餌につられて……! ふざけないで下さいな!」
ついに我慢ならないと、シェリーの母である夫人が椅子から立ち上がり、叫ぶ。
夫人は他家から嫁いできたので、なにかに執着していることはなく、普通の感性の持ち主。だから彼女にだけ餌はない。餌はないが……。
「でもなあ……。殿下のお願い事を断るのはなあ……」
最初は断ったというのに、すっかり意見を翻した侯爵が、エストゥアの伝記を本棚から取り出しながら、にやけた顔で言う。
「あなた! 大事な娘の将来がかかっているのですよ⁉」
「私は大丈夫よ、お母様。それに見て。この珍しい外国のお菓子! おいしそうでしょう? ビルゴ王子に協力すれば、こんな珍しいものをいくらでも分けてもらえるの」
僕の手土産をほくほく顔で見せてくる娘の言葉に、侯爵夫人は目眩でも起こしたのか、額に手の甲を当て、よろめく。
……僕から申し出た協力ごととはいえ、夫人の気持ちが分からなくもない。きっと普段から苦労していることだろう。
でもね、申し訳ないけれど、僕も乙女小説のような恋をしたいという願いだけは、譲れないんだ。
「あなたって子は……。すっかり懐柔されて……。しかもお菓子なんかで……」
「王城の書庫かあ。あそこには、珍しい書物が沢山あるという噂だからなあ。ずっと出入りしたいと思っていたんだ。ああ、どんな本と出会えるのか楽しみだ」
すっかり心ここにあらずの兄は、王城が見える窓の外を眺めながら、うっとりとまだ見ぬ書物に思いを馳せている。
侯爵は早くもエストゥアとの会話に悩み始め、シェリーはお菓子の箱のふたを開け、幸せそうな顔で食べ始める。
普通の常識ある夫人だけが、置いてけぼり。普通であるはずの彼女が、この家では異質になっている。
夫人に餌は必要ない。他の家族が執着対象に夢中になれば、誰も止めることはできない。だから彼女が折れるしかない。
結局僕の予想通り、それから間もなくして、彼女は白旗を掲げた。
お読み下さり、ありがとうございます。
この場を借りて……。
私にとって偉大なる名優、ブルーノ・ガンツ氏の冥福を祈ります。