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針のむしろ

「全く梨乃ってば、私は兎も角、小川先生の奥さんまで恥かいちゃったじゃない。お付き合いしている人がいるのならそう言っときなさいよ。高田さんにも失礼でしょ」

遅めの朝食を取る私は針のムシロだ。


「はあ」

返事をするのも面倒くさい。

だって、だってさこんな展開誰が予想できるって。

それに――あっー嘘からでた真っていうのはちょっと違うけど。


「小川先生の奥さんには言ったよ。お付き合いしている人がいるからって。それでもいいから会ってって言ったのは奥さんの方だから」

言葉尻が窄んでしまったのは、何ともふに落ちない事を言ってるからだ。


「えっそうなの?」

なんて、私の顔を凝視をするのは止めませんか、母上様。


茶碗に盛られた最後の一口をかきこむと後は宜しくとばかりに、茶碗と皿をシンクに置いてキッチンを退散だ。


「ご馳走様でした」


「まだ、話しは終わってないわよ、梨乃ー」


終わるも何も、話す事が無いんだって。

後ろ手でドアを閉めると、長く一つ息を吐いた。


兎に角ここから脱出しなくちゃだ。


何で雨が降ってる日に予定もないのに外出しなくちゃいけないんだか。

こんな日はラフな格好に限るな。

半袖のシャツに薄手のカーディガンを羽織って、デニムを履いて。

せめて一番お気に入りの傘を持って出掛けよう。


着替えを終えて、玄関に向かうとぽつんと雅也が立っていた。

腰を屈めて目線を合わせる。

これは姉貴に教わった事。

無言で頭を撫でると、雅也も私の頭を撫でてくれた。


「ありがと雅也、元気になった」


「うん、良かった」

本当は一緒に遊んであげたいところだけど――。


「気をつけて行ってこい」

今まで黙っていた父だ。


「うん、行ってきます」

スニーカーに足を入れると、また父の声が聞こえた。


「雅也、今日はじいちゃんと遊ぼうな」

と。


玄関を出ると厚ぼったい雲がこれでもかと広がっている。

雨脚は強まる一方だ。

バス停まで歩いて3分。


ボンという音と共に淡い桃色の傘が跳ねた。

少しだけ気分が晴れた気がした。


行く当てのないっていうのはなぁ。

取り敢えず駅でしょ。

誰もいないバス停からバスに乗り込んだ。

雨の日特有のむあっとした空気。

一番後ろの座席に乗り込むと、街道沿いを並ぶカラフルな傘を眺めながら、あの後の時間の過ごし方を考えていた。


映画でも見ようかな――

一人で映画を見るなんて学生以来かもしれない。

それより何より映画館なんていつ行ったのが最後なのだろう、それさえも思いださないくらい前だ。


たまにはいいよな。

吸い寄せられるように映画館の前に立つ私。

大きな垂れ幕には、ドンパチ系のハリウッド映画。

これならすっきりするかもしれない。本当は私がマシンガンを撃ちまくりたい気分だけど。

雨の人あって、映画館はまずまずの入り、最近は映画離れが進んでいるって言っても、やっぱりデートの定番なのかもね。

必要以上にベタベタしたカップルの多い事と言ったらない。

前は私もあんな風に――。妄想を初めてしまいそうになり、慌てる私。

やだなもう。


チケット売り場にもそんなカップルばかりなわけで、これって男の趣味だよね。

周りを見渡しても女一人って私だけだったり。ちょっと虚しい。

真美を誘うべきだったか? だけど今日はやっとの週末。

真美が如何にこの束の間の休日を望んでいるか知っている私は、こんなヤケみたいなお出掛けには付き合わせるの訳にはいかないから。まあ、後で昨日の顛末を話すはめになるのは必須だけど、今日は何となくね。


背中側のチケット売り場は家族連れで賑わっていた。

アニメの上映らしい。子どもが館内を走りまわってるし。

雅也もここにいたら、きっとこうなるだろうな。

果歩も産まれた事だし、姉貴はきっとこれないだろう。よし今度連れてきてやるとしますか。


それにしてもチケット一つ買うのにも驚きだった、まさに浦島太郎状態。

今って、チケット買う時に座席も選べるんだ。

妙に感心しちゃう私がいた。

映画って丁度良い場所ってあるんだろうけど、そんなとこに座って周りがカップルだらけっていうのもちょっと堪える。

私はひっそり一番後ろの座席を選んだ。

チケット売りのお姉さん、少し同情の眼で見てない?

どうせ私は一人ですよーだ。


普段の行いが良すぎるのだろう、上映時間まであと10分っていうばっちりなタイミングだった。

そして、座席に座ってまた驚いた、こんなに座席って大きくて座り心地が良かったっけと……

それにしても大正解。チケット売り場のお姉さんが勧めてくれたあの席も、あっちの席も周りはカップルときた。せめて後ろだけは静かでいて欲しいと思った私は正解だったな。

映画館ときたら、やっぱりマナーは守らなくちゃだね。

私はバックの底から携帯を取り出すとナマーモードにしようとすると。


着信、4件?


発信者 俺


何なのこれは。

新手の迷惑行為か?


でも不安が過る。これって私の携帯よね。「俺」って誰が登録したの?

気持ち悪っ――。そう言いかけてたけどもしかして。

こんな事をするやつ、脳裏に浮かぶのが一人だけいる。

今は元彼となった私の上司。

あいつなら、会社のデスクに置きっぱなしのこの携帯に悪戯出来るはず。

こんな悪戯最低って思うけど、昨日あんな事があったせいか、少し話をしたいかもと思ってはいけない事を考えそうになる私もいる。

私からは掛ける事なんて、出来っこない。

幸せかどうか解らないけど、結婚指輪をしているのだから。

あのあいつが。知り尽くしたと思っていたのはやっぱり思い上がりだったんだよね。


結婚してからも普通に話しかけてくるあいつが恨めしかった。

4年の付きあいよりも、専務のひと声に負けちゃう私なのだから。

会社を辞める事だって考えたけど、ある程度の歳を過ぎた私に次の職場があるとは限らないから。

伊達に長く同じ会社に勤めているわけじゃない、社内の事は大抵解る、だから余計にそう思うんだ。

仮に就職できたとはいえ、また一から覚え直しなんて、年下の後輩の世話になるのは。

一生懸命仕事をしてきたからこそ、変なプライドが邪魔をするのだ。


電源オフ。

気になる気持ちを押し籠めて、じっと携帯の画面が暗くなるのを目で追った。

照明が落とされ、スクリーンいっぱいに宣伝が流れる。

見たくもないラブストーリーの予告だ。

金髪の美女と紺碧の瞳をした青年。

じっと見つめ合い、指が絡む。

今の私には、一番見たくない映画だ。


視線を逸らして目に入るのは小さな鞄。

電源を落とした携帯の入った私の鞄。


館内のざわつきが収まって、やっと本編が始まった。

すっきりするはずの映画だったのに。

私の気はそがれっぱなし。


携帯が気になって仕方がなかったのだ。


エンドロールが始まると誰よりも早くその場から立ち去った。

最後少しだけ出てきた恋愛事情にあてられて、余韻に浸るカップルを横目に私は通りに出る。


緊張する手で携帯を探り当てる。

邪魔にならない場所――。

大きな柱の陰で私はそっと携帯を開いた。












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