あわよくば
「えっじゃあ真美は知ってたの?」
江川の話を聞いて貰いたくて久しぶりに押しかけた真美の家。
真美は全く悪びれずに
「全部とはいかないまでも触りくらいはね」
とまるで呑気に返してきた。
「何で、」
眉根を寄せた真美はゆっくりと話してくれた。
「何でって、同じ職場でずっと顔つきあわせなくちゃいけないんだよ。下手に気持ちが残ってたらあんたこの会社辞めてたんじゃない? あの時は江川の言う事も一理あると思ったから。なにせ江川だよ、私よりも梨乃の性格を熟知してるあいつが選択したんだ。私だってわかってる、女は愛されてたって思った方が幸せだって。でもさ――。でも、梨乃が江川の事本当に好きだったの知ってたから。そんな別れ方じゃ、相手が結婚したって目の前にいつもいたんじゃ忘れたくても忘れられないだろうし、前になんて進めなかったでしょ。まあそのせいで、こんなにも卑屈になっちゃって、素直になれない梨乃が出来ちゃったのも事実だけどね」
そう言いきると、煙草に手を伸ばしライターを手に取った真美。
仄かに笑った顔には今にも落ちそうな涙が浮かんでいた。
涙と鼻水で私の顔はカオスだ。
鞄からハンドタオルを取り出して顔にあてがってみたけど、嗚咽止まらないし、何だこれは。
『わかってるけど、聞きたかった』
そういうつもりだったのに、真美の言葉に言葉が続かない。
江川の家族だけではない、従業員さん達にも家族がいる、あの当時、いくら私や江川が頑張ったところで工場が持ち直すとは思えないのは重々承知。
確かになのだ。
確かにどうにもならない事を知ったうえ、好きだけども別れて欲しいと言われたら私は頷くだけなのだけど、どうしたって江川を追ってしまうだろう自分がいたことは否定できないと思った。
真美の言うとおり会社にいるのは辛かったかもしれない。
「ここにきて、江川に出世と引き換えに捨てられたというレッテルは無くなった訳だけど、江川に恋心は復活した?」
真美の言葉にハンドタオルを引き下げた。
恋心とな?
きっと、きっとアイツに会う前だったら視線を追って耳を澄ませて――
「ようはやっぱりタイミングなんだと思うんだよね」
ポツリと呟いた真美。
タイミング。
確かにそうだ。
「もっと、早い時点で梨乃が結婚していたらさ、江川の実家がどうなろうとも江川に着いて行ったと思うし、そのことで悩んだり後悔なんてしなかったと思う。江川が会社辞めて梨乃がこっちで頑張るって形だってあっただろうし、でもタイミング一つでエンディングは全く違うんだよ。もう、江川にトキメカナイでしょ」
「だね」
「運命なんて言う柄じゃないって思うけれど、梨乃は梨乃のいうところの腹黒君とこうなるのが決めれられたのじゃないかな。過去は過去。私も梨乃もいろいろな経験を積んで人生を歩んできてるんだよ。梨乃は絶対幸せになるよ」
幸せになる。
それはいつかも言われた言葉。
「タイミングかぁ」
「そうタイミング」
真美の言うとおりもう江川に恋心は残ってない。
アイツにはない甘い時間も今となっては良い思い出。
愛されてた事があるというちょっぴりの自信にもなるかもしれない。
私にはもうこの道を進むしかないのだ。
幸いどこぞの小説のような政略結婚ではない自分たちで決めた結婚。
嫌われてる訳でもないけど愛されているわけではないけど、私達は同士みたいなものだ。
一緒にいる空間は微妙だけどあのぶっきら棒さも最近は心地よくもなりつつある。
甘い言葉は皆無だけど会話も弾まない事はない。
うん、大丈夫。
浮気はしないと約束したしね。
「いつかさ、お前と結婚して良かったと言わせてやる、あわよくば――」
「あわよくば? 愛してるって?」
ここに着た時とは全く違う晴れやかな気持ち。
昨日の今日で混乱したけど、何で過去の事で悩んでしまったのか。
これってやっぱりマリッジブルーなのかしら?
「真美ありがとね。なんか混乱してたけど、復活したよ。泣いたらすっきりしたかも」
「いえいえ、私も梨乃の為だと思ったとはいえ梨乃に言えなかったのはやっぱりずっと引っかかってたから。肩の荷が下りた気分だよ。私の方こそごめん」
殊勲に頭を下げる真美に、慌てて私もごめんと頭を下げた。
なんだかまるでコントみたいだ。
顔をあげて顔を見合わせて、二人揃って噴き出した。
ほんと、持つべきものはよき友人だ。
「真美は? これぞというタイミングはないの?」
ちょっとだけ返り討ちをされそうな感じがしながらも聞いてみた。
「どうだろうね」
意味深な笑みと共にたった一言。
近いうちに話が聞けるかも。
私に幸せになると言った真美こそ、幸せになってほしい。
心の底からそう思ってる。
きっと口に出したら今度こそ返り討ちだ。
究極の照れ屋だからね、真美は。
結婚式まであとちょっと。
「こうやって二人女子会なんて頻繁に出来なくなるね」
結婚が段々と現実味を帯びてきた感じがした。