男を見る目
すみません、ただ只管説明の回です。
日に日にパワーアップしていく子どもと日に日にパワーダウンしていく私。
雅也と過ごす時間は楽しいけれど、少々身体が応えるこの頃。
寒風さらす会社の踊り場で、背筋を伸ばす為に大きく伸びをした。
きっと、ここに来る。
それは勘でしかないけれど、きっとくると何だか今日はそう思ったのだった。
手早くランチを食べ終え真直ぐにここにきた。
数年前は私達の逢瀬の場所だったこの場所。
昨日義兄と姉貴の話を聞いた時、本人に話を聞かなくちゃと強く思った。
カッコつけたつもりだろうけれど、何も知らずにいたなんてまるでピエロじゃない。
少しだけ回想したところで、ギイと鉄の扉が開いた。
「これはまた珍しい」
「課長は珍しくないみたいね」
さっきまで同じフロアにいた私達だけど、ここで会うと何だか昔に戻ったようなそんな錯覚を起こしそう。
時間もないと私は本題を切りだすことにした。
「義兄さんから聞いたよ。大変だったんだね」
何度も会った事のあるあの優しい人達。
「今は元気でやってるよ」
軽く微笑んだ江川は踊り場の手すりに寄りかかり、胸ポケットから煙草を取り出した。
「私は出世の為に捨てられたってずっと思ってた、そう思う方が吹っ切れるって貴方の考えもわからなくはないっていうか、実際その通りだったかもしれないけれど――やっぱりちゃんと聞きかせて」
過ぎてしまった事かもしれない。
終わった恋だともわかってる。
自分ではもう消化している、そうアイツのおかげだけ。
でも、やっぱり聞いてしまったからには江川の話を聞きたいってそう思ってしまった。
「今更?」
おどけたように言った言葉に、私は大きく頷いた。
一層深く吸い込んだ煙草を細く吐きだすと観念したように呟きだした。
「親父の工場が厳しくなった時、この会社を辞めて手伝おうと思ったんだよ。焼け石に水だとわかっていてもね。梨乃にはどう言おうかずっと悩んでた。仕事にやりがいを感じはじめてきたって言ってた時だったから余計にね。だから先に専務に退職届を出しに行ったんだ」
「うん」
聞かせてと言ったのは自分なのに江川の顔は見れずに、一言も漏らさぬよう耳を研ぎ澄ませ、くゆる煙を視線の端に流れる雲を見つめた。
「専務は少し預からせてくれと言って、数日後酒を誘われた。そこで、実家の工場への融資の話が出たんだ。奥さんの実家が銀行の頭取で、口をきいてくれると。ただ、そんなに簡単に融資なんて融通出来るもんじゃなく、娘を嫁にしろとね。奥さんの今は義母だけど兄が頭取で、姪を猫可愛がりするもんだから、その相手の実家となれば上手くいけば融資が受けられるじゃないかと言われたんだ」
江川の話は義兄から聞いていた通りだった。
もしこの話を当時の私が聞いたら――。
そう思って頭を振った。私の答えなんて、江川の中には無かった。
選択肢は初めから一つだけだったのだと。
「悩んだよ。実際梨乃と結婚するつもりだったし、他の人と結婚するなんて思いもしなかったからね。
でも、親父や兄貴が必死になって守ってきた工場を見過ごすなんて出来なかった。俺は次男をいいことに大学までいかせて貰って、就職までさせてもらって。それで、専務の娘と会ったんだ。俺が良くても向こうはきっと納得なんてしないだろうと思いつつ」
いったん言葉をきった江川の視線を感じた。
ゆっくりと振り返ると
「そうその顔。顔立ちってのじゃないけど、似てたんだよ。お前に」
「私に?」
「そう梨乃に。だから、やっていけるって思ってしまった」
訳がわからない。
顔が似てるからって、性格まで似てるとは限らないしっていうか私に似てたら誰でもいいのか?
ふっと笑った江川の顔が腹黒誰かさんを彷彿させて、ギョッとした。
「今、私に似てたら他の人でもいいのか?って思っただろ」
ありゃこんな人の心を読むとこまで……
「うん、まあ」
「でも話をすればするほど、梨乃っぽかった。俺正直に言ったんだよ、梨乃の事も含め、親父の工場の事、俺の都合で結婚をさせられるかもって話も。専務が話してなかった内容まで全部、そしたら『きっと私は見た目の微妙な見合い結婚の運命だったと思うから、貴方がよければ構わないよ』って」
「俺のせっぱつまった状態を無視出来なかったから、結婚してくれたらしい。私で役に立つのなら構わないと。一つだけ、お前の事を気にしていたよ。今でもね」
「うん」
「困ってる人をみたら、ほっとけないタイプで姉ご肌。情に脆くて、後先考えずに突っ走るとこ。まんま梨乃。要するに俺のタイプだ」
「ばーか」
のろけられているのだろうか?
「前はたまに考えてた。あの時梨乃に言ってたらどうなってただろう?って。専務からの結婚話を聞いてなかったら、きっと梨乃は『うん、間違いなく会社を辞めてついていっただろうね』
江川の言葉が言い終えないうちにするりと口から出た言葉。
「きっと、後悔したと思う」
そんな言葉にすぐさま反論した。
「きっと後悔なんてしなかった」
きっぱりと言い切った私に
「いいや、後悔したのは俺の方だと思う。実際梨乃、今良い顔しているよ」
そうかな?
良い顔なんてしてるのだろうか?
でも、大分すっきりした。
「そうなのかな? でもさ、あの時の選択で江川のご両親は今元気で工場もやっていけて、何より奥さんと仲良くやってるんでしょ?」
今度は真直ぐに江川の顔を見れた。
何をぬかすか、江川の方がよっぽど良い顔してる。
幸せなんだね。
これが全てだよ。と2本目を吸い終わった煙草をポケット灰皿にしまいそろそろ戻るか、と鉄の扉に手を掛けた。
「産まれたら、見にくるか?」
そう投げかけらた言葉に即効返事をした。
「勿論」と。
閉まった扉を見つめ呟いた。
姉貴の家からの帰り道、実家に寄って話を聞いた。
江川は私の預かり知らないところで、両親に謝りにきてくれたらしい。
その帰り際、たまたまやってきた義兄にも場所を変え話をしてくれたと。
どうりで、すんなり結婚式の招待が通ったはずだ。
知らなかったのは私だけだったんだ。
「出世に負けて捨てられた女って思うより、家族の為に身を引いた女って方がよっぽど良いじゃない」
よし、男見る目は悪くない。
悪くないよね?