長い独り言
これ以上寒いのは勘弁と、車に向かった私達。
歩きながら食べるのは良くないと思いながらも、会話に詰まった今はそれが丁度良かったり。
隣の男も察しがいいのか、突っ込まないのは良かったんだけど――。
これは性分というものなのだろうか
「独り言だから」
と前置きして、私は自らの過去をぽつりと語りだしていた。
大学生の時に始めたバイトは仲間にも恵まれていてね。
結構楽しかったんだ。
ありふれたファーストフードの店員でね、と。
あの事があってから楽しかった思い出も封印してきた。
セットになって思い出すヤツと彼女の姿を考えたくなかったから。
なのに何で今私は聞かれもしないことをこうやって話しているんだろう?
何年も会っていなかったのに、このタイミングで出会ってしまったせいなのだろうか。
食べたかったソフトクリームも味わずに食べきってしまった。
車のダッシュボードに視線を馳せて、呟くように言葉を連ねた。
そう独り言なのだからと言い聞かせながら。
信じられないかもしれないけど、結構告白されてね。
そうそう、お店のお客さんにも言われた事あってさ。
さっきの男が一番熱心だったの。
年下は考えられないって、頼りがいのある年上がいいからって何度も断ったんだけどめげなくてね。
一年経っても言い続けるもんだから、私根負けして。
仕事もちゃんとやってたし、時間にも正確で。
少しずつだけど私も気になってきたんだよ。
付き合い始めても、凄かったの。
「梨乃ちゃんが好きだ、愛してる。世界で一番大好きだ」
って、そりゃウルサイくらい。
だからさ、年下だからだなんて言って断ってた自分が馬鹿だったな、なんて思ったりもしてたんだよ。
だから、このままずっと付き合っていくんだろうなって漠然とだけど考えてたり。
あっ実際に別れるつもりなんてないからともよく言ってたっけ。
ここまで一気に話して、隣の気配を伺うけれど相槌をうつでもなく黙ってるときた。
どう思ってるか解らないけど、ここまで話したんだから、いいよね。
ひと呼吸入れて、話の核心をと封印していたあの日の事。
大学卒業して、バイト辞めて今の会社に入社した。
慣れない仕事に追われて、でも負けたくなくて会社にへばりついてた。
彼の事も気になってはいたけど、私の事を尊重するからって。
なんて言いながら、会社には私好みの頼りがいのある大人がいっぱいいるだろうからってマメに連絡してきたり。
初めのうちはそれなりに上手くやってたと思う。
でね――。
社会人になって初めてのクリスマスイブ。
休日だったんだけど、私仕事でさ。
凄くゴネテたけど、仕事じゃしょうがないって。
クリスマスには一緒にいるって約束で、私は仕事に出たんだな。
すったもんだで仕事に出たんだけど、思いのほか仕事が片付いちゃってね。
下っ端の私は午後一でタイムカードを押させてくれてね。
日頃から、構わなくて申し訳ないと思ってた私は、いそいそとケーキを買って、一人暮らしの彼の家に行った訳よ。サプライズのつもりでね。
玄関を合鍵で開けてそーっと扉を開けたら、心臓が跳ねたね。
可愛い靴があったんだから。
回れ右すれば良かったんだけど、思わず上がってた。
ワンルームのその部屋は直ぐに見渡せちゃうのが難点だ。
想像通りの展開よ。
裸でもつれ合ってるのばっちり見ちゃった。
もうどうしていいか解らなくて、というか足が動かなくてね。
まさに固まるって感じ?
そのうち向こうも気がつくわけよ。
「違う、違うんだ」って大声で叫ぶ男をばーっと眺めてた。
何が違うんだろうってね。
今の今まで彼にしがみついてた女の子は私のよく知ってる子ね。
一緒のバイトをしてた子。
ふわふわ可愛い女の子でさ。
その子が涙浮かべてるの。
私はさ、馬鹿みたいに
「違うんだ」と繰り返す男に
「良かったら食べて」ってケーキ置いて帰ってきた。
玄関出て一歩一歩進むうちに段々と怒りがこみ上げてきてね。
あんだけ好きだ愛してるって言ってたのに、言葉なんて上っ面だって。
でも駅のホームで視線を感じて、初めて自分が泣いてる事に気がついた。
携帯に何度も着信があったけど、いい訳なんて聞いてやらなかった。
家にも来たけど追い返した。
その後、会社に来た時にハッとしたんだんだよ、いい訳じゃないのかもって。
変に律義なとこあったから。
今から思えば律義なら他の女と寝ないとも思うけどね。
だから言ってあげたの。
「さよなら」って。
でもアイツ、このごに及んで「別れたくない」なんて言った。
あんなの見せられてっていうか勝手に見たのは私だけど、「もう会いたくないし、声も聴きたくないから」って言ってやったよ。
言った、言ったよ私。
何もこんな黒歴史を晒さなくても良かったのかもしれないけど言っちゃたよ。
真美にだって掻い摘んでしかしてなかった話。
勿論江川にだって。
喋りすぎて乾いたを喉。
カップホルダーに置いたままのヤツのジュースを手にとって口に含んだ。
ヤツはというと。
無反応
まあ確かに何を言ってほしいとか無いんだけどさ。
暫く空いた間の後。
「なげー独り言」
たった一言呟かれた。
確かに。
長い独り言だ。
その後、何事も無かったかのように食事に行った。
食事中の会話は専ら結婚式の事。
席次の話やら衣装合わせの日程だとか。
着実にその日が近づいているって感じだ。
何も触れてくれるなと思う気持ちと、何か言ってくれてもいいんじゃない?という複雑な心境だったり。
馬鹿なヤツと言われたらいつものように言い返せる自信があったのにと。
これじゃとんだ天の邪鬼だよ。
恋愛感情が微妙な一方通行の私達は、結婚間近だというのに甘い雰囲気など微塵も無く、いつものように家まで送られる。
毎度母さんには
「あら、泊ってくればいいのに」なんて軽口言われてる事は黙っておこう。
「ありがと」
と車から降りようと思った時だった。
「俺も独り言」
と前置きをした後
訝しんだ私を尻目に
「あくまで一般論だけど、据え膳食わぬはなんとやら。結婚してるなら兎も角、二十歳そこそこの男が誘われたら、バレなきゃいいやと思うもんなんじゃねえの? 好きだ愛してるだは全くの嘘じゃねえと思う。何でも世間一般的には男ってもんは心と身体は別もんらしいかんな」
と。
それってもしかして慰めてくれてるんだろうか?
随分な解釈だけど、そうだよね?
もう何とも思ってない過去の事だけど、ちょっと胸のすく思いがした。
私は助手席のドアを開けると
「自分の相手が他の女と抱き合ってるのを見るなんて貴重な体験はあれ一回で勘弁してほしいもんだわ。だから、もしアンタが一般的な男の事情があった時は絶対バレないようにしてよね」
言いながらなんて自虐的なんだろうって思った。
それに対し、なんなのそのアンタの得意技。
嫌みな笑顔に鼻を鳴らすなって。
でもその嫌みな笑顔に見とれてしまいそうになった私。
不意に腕を引かれたと思ったら後頭部に手が――。
押し付けるような唇。
目を見開いたのは驚いたから。
せわしなく動き始める鼓動に気がつかれないように思わず身体を引いてしまった。
だからなんなのよ、その余裕の笑みは。
パタンと閉めたドア。
外気に触れて一気に体温が下がっていくのに鼓動は早まったまま。
そのギャップが余計に私を動揺させる。
私は中学生かっていうの。
平静を装って、片手をあげて去っていく車のテールランプを見送った。
このキスを無かった事にしようと思いこむのは自己防衛が働いてるのかも。
うん、今何も無かった。
そう自分に言い聞かせ、胸に手を置いた。
今日は散々な一日だったように思える。
ソフトクリームを食べたくなったせいでいらん過去を話してしまった。
彼らが幸せだったら良いなんて、そんな事までは考えてはないけど、昔の記憶を掘り起こしてしまったがばかりにちょっと複雑だ。
そんな気持ちを振り切ろうとさっさと風呂に入ってベットに潜りこんだ時だった。
着信一件有り。
タイトルも何もないそのメールは紛れもないアイツからのものでして。
「自分の相手が寝る前に他の男を思い出すのはいい気がしない。とっとと過去を封印しろ」
何だこりゃだよ、全く。
久しぶりだった。
片手で足りるだけのキス。
人差し指を唇にあてる。
忘れていたかのようにせわしなくなる鼓動に苦笑する。
あんたのせいで他の男を思い出す間もないわよ。
何だか真美が言ってたみたいに欲求不満なのかもしれない。
こんな風に振り回される人生なんだろうなと蒲団を頭まで被ったのだった。