ソフトクリーム
「タヌキだよね。腹黒たぬきだ」
それはつい今しがたまで私の実家で愛想笑いを浮かべて饒舌になっていた隣の男に対しての感想だったりする。
式の打ち合わせと称してここのとこ我が家へ頻繁に顔を出しているコイツ。
別にうちの親の意見なんて聞かなくたって、お互い良い歳なんだしそれに聞くのは私の家の都合じゃなくて自分の家の方ではないかと思うのだけど。
おかしいよね?
誰がどうみたって、サラリーマンの我が家より忙しく大変だろう自分の家の方が融通が利かないだろうに。
日にちと場所を考慮してもらっただけでもありがたいです、なんてさ。
誰なんだこの男は。
私的には脳内妄想だったのに、どうやらダダモレだったようで。
「一体、俺のどこがたぬきなんだか説明してもらいたいもんだね。木枯らしの吹くこんな日にアイス買いに並んでやってる俺様に向かって言う言葉か?」
あー自分で俺様って言ってるし。
普通言わないでしょ。
「いーっだ」
と、しかめっ面で返す私は冷静に考えればとても幼稚なわけで。
間違っても会社の中ではですることのない返し。
私のバカと今度こそ脳内で呟いてみる。
でもまあ、コイツの言うことは一理あるんだけどね。
この前、あの海岸線で食べそびれたソフトクリーム。
何となく頭の片隅に残っていて、食べたいモードになってしまった。
あそこまでは行かなくてもと、フレッシュジュースも自慢のここに連れてきたのは私だ、それも木枯らし吹く寒空の日に。
若い頃は週3で通っていたここのお店の一番の売りは、ソフトクリームでもフレッシュジュースでもないクレープ。そう、ここはクレープ屋だったりする。
生クリームたっぷりのそれは凄く美味しいものだったはずなのに、いつの間にか、そのたっぷりの生クリームが少々しんどく感じるようになってきたのは気のせいじゃなくて。
歳をとったからなのか、無意識に脂肪分を考慮しているのか?
でもまあ、ソフトクリームだってカロリー的には大して変わりはないのかもしれないけどね。
そんな私の耳に入ってきた聞き覚えのある声。
そう聞きたくもないと願ったその声は。
見たくなんかなかったのにどういうわけだか反射的に前を見てしまった。
やっぱりそれは知っている背中だったりする。
噂をすればなんとやら。
真美があんな事言いださなければ、きっと会わなかったかもしれないとお門違いの恨み節。
幸い向こうは気がついてないようだし、ここは回れ右をするべきなのかも。
うん、そうしよう。
「ねえ、やっぱりここじゃなくて暖かいコーヒーにしようっか」
ちょっとだけ背伸びをして耳元で囁いてみる。
さっきまで普通の会話をしていた癖に、数列前に気づかれたくない相手がいると自然と声が小さくなるものらしい。
そんな私の心情を読み取ろうともしないコイツは
「お前バカか? だったらもっと早く言えよ。10分以上並んでから言うかよ普通。あとちょっとだからここで離れるの癪なんだけど」
そう言って自分たちの後ろを振り返る。
数年前に雑誌に載ってから、休みの日となると結構な行列ができるこの店。
私達の後ろには既に随分と列がなしていたりする。
そういえば10分もの間気がつかなかったんだ私ってば。
それならいっそ気がつかなきゃよかったよ。
あー見上げなくても解るよ、ブリザードのような視線が。
ちょっと怒ってるよね、と咄嗟に出た言葉がまた陳腐なもので。
「やっぱりそう思う?」
そんな言葉だったり。
そりゃあ私だって、反対にそんなこと言われたらなんのイジメかよと思うかもしれない。
だけど、ちょっとした理由があるだっていうの。
察してくれよ。
「でもさっ――」
「あと5組じゃん。って言うかソフトクリーム食え」
反論する私の声がヤツの声に被さった。
食えときたか。
ひょいと顔を起こせば見慣れた背中は、注文済みのよう。
隣に彼女もいるようだし――――。
彼女じゃないか。
丁度出来た列の隙間から、少し膨らんだお腹が見えた。
結婚したんだ。
強がりじゃなくそんなに愛してるとかまでいく好きじゃなかったし、別れ方も最悪だったから別に関係ないんだけど、ほんの少しだけ複雑な気分になってしまった。
大丈夫。きっと顔を合わせても知らんふりをするだろうし、私に気がつかないという事もある。
でも意識的に隣のコイツに幅寄せし、少し半身になって小細工をしてみたり。
隣のヤツはそんな私を見て
「ふーん」
と言うと視線を前に馳せた。
きっと感づいてるよね、何かを。
というか、なんで私がコソコソしないといけないんだ?
引け目を感じるのは向こうだし、今更私を見たとこで何とも思わないっていうのも有りかもだ。
そう、私は堂々とするべきなんだ。
まあ何事もなく通り過ぎて行って貰うのが一番で、そう願うのはおかしくない。
声を聞きたくもないというのが本音なのだから。
列の後ろにいた時は解らなかったけれど、順番が近づいてくると店の様子がよく見えた。
結構手際よく注文が捌かれていて、3順目の私達にも注文伺いの声が掛る。
元カレとも思いたくない男は会計を済ますところで、何てタイミングなんだと恨めしくなる。
「ソフトクリームとグレープフルーツのフレシュお願いします」
控えめな声だったつもりだけど――――
「りっ……」
名前の頭文字と共にボテっという質量感のある音。
驚愕というのだろうか、まるで化け物を見たような4つの目。
私はその足元に視線を移し道路落ちたクレープから除いたバナナとイチゴを憐れんだ。
「追加でバナナとイチゴのクレープも一つ」
と関わりたく無い人達への余計なおせっかいまで焼いてしまった。
呆けて立ちすくでいる彼らをよそに私は屈んでひしゃげたクレープに手を伸ばす。
気付かれてしまったのなら仕方ない。
これが大人の女の余裕よ、とでもいう感じ?
でも確かに思ったよりも自分のダメージが無い事が嬉しい誤算なのか。
私のすぐ隣では呆れたように一息つくヤツがいまして。
ボソっと
「お前らしい」
と呟いた。
なんで立ち去ろうとしないのか。
でも、クレープを頼んでしまったのだから立ち去られても困るのだけど、微妙な矛盾を感じながらきっと一息だろうその時間を過ごす。
そして、会計よりも先に出来上がった注文の品。
私達のものではない先に渡されたクレープを手渡した。
「久しぶりね」と一言告げてレジに向きなおすと手で制された。
どうやら腹黒君は奢ってくれるようだ。
店員はひしゃげたクレープを渡したせいでか何かを察したようでクレープ代は取らなかった。
何とも気前の良い店。
こういった気配りも人気店の秘訣なのかもね。
会話をしたくないとばかりにソフトクリーム片手に回れ右をした私に
若かりし頃のバイト先でふわふわの笑顔がトレドマークだった女の子が今にも泣きそうな顔をして私を呼びとめる。
「仙崎さん」と。
昔は梨乃ちゃんと懐いていた子が、固い声で。
「私はそんなお人よしじゃないよ。懐かしむのは勘弁。――でも赤ちゃん無事に生まれるといいね」
それだけだけ一方的に告げると何か言いたそうにしている男の視線を無視して
「行こうっ」と腹黒オトコに腕を絡ませた。
そのまま無言で駐車場まで歩いた私達。
車に乗るなり
「泣きそう?」
と意地の悪い笑み。
「まったく」
これでもかって程の笑顔で返してみた。
それは強がりでもなんでもなくて。
きっとあんたのお陰かもね、と心の中で呟いてみる。
あの男と別れたから、今があるのだと。