懐かしい味
「で、招待客の人数決まった?」
式場が決まった事を皮切りに、あれよあれよという間に準備が進んでいく。
調子が狂っちゃうって思うのは私がおかしいからなのか。
まるで普通の恋人同士が結婚式の準備を進めているような感じ?
フニオチナイ、どこかにどんでん返しが待っているのでは? と勘ぐってしまうのは変なのだろうか?
「おい」
呼びかけられた声にビクっとなって、ダンボール箱のガムテープを剥がす手も止まった。
「何?」
そう言いながら何か話しかけられていたような気もしないと後ろを振り返る。
「いや、なんでもない」
なんだそりゃと思いつつ、私は目の前に作業を続ける事にした。
何となく突っ込む気になれなかったり。
今日は引っ越しなのだ。
でも私じゃなくて、ヤツの。
ここは幼い頃からお世話になっている場所でして。
「芳人、梨乃ちゃん。お茶入ったから休憩どう?」
声をかけてくれたのは小川先生の奥さんだ。
そう、引っ越し先は小川医院。
それはあくまでも仮の住まいというものらしい。
二人の新居はこの近くにマンションを買おうかという話があったり。
でも、それは私に直接言われたものじゃなくて、正確に言うと私の両親に向けてそう説明していたのを隣で聞いていた、そんな経緯があったり。
なんだか私よりも私の周りの方が事情をよく知っているみたいな感じ。
自分以外の人と話している姿は私から見ても好感度のあるものだろう。
普段を知っているだけに
人当たりが良いのじゃなくて腹黒いと感じてしまうのはいたしかたないことなのだ。
「梨乃ちゃん、ごめんね。これじゃ2度手間だって私達も言ったのだけど」
熱いお茶をすすりながら小川先生が申し訳なさそうに言った。
「いえ、そんなことはないですよ。病院を辞めるって言った時はもう決めてたみたいですし、私もこんなに早くに結婚の話が具体的になるだなんて思いもしなかったもので」
嫌みっぽく聞こえたであろうというか、そう聞こえるように多少の皮肉を込めたのだけど。
「全く芳人ったら。梨乃ちゃん振り回されて可愛そうじゃない」
奥さん、そうは言うが楽しそう?
はい、まったくもって振り回されています、そう心の中で呟いた。
芳人も梨乃ちゃんも全然顔見せてくれないんだもの――そんな言葉から始まった奥さんの口は止まらない。
半ば呆れ顔の小川先生だけど、そのまなざしは嬉しそう。
可愛がっている甥っ子が嫁を見つけ跡を継いでくれるのだから、それもそうなのだろうなぁ。
でも私はここまできても未だ他人事のように感じる。
式場も日取りも、ドレスも決まって、なのに実感が沸かないのが正直なところなのだ。
ここまできても、私本当に結婚するのかな? なんて思ってしまう。
結婚ってなんなのだろう?
紙切れ一枚の重みが正直よくわからないのだ。
炬燵の中で無意識に崩した足がヤツの足に触れた。
ただそれだけの事なのに、ドクンと鼓動が跳ね上がる。
慌てて足をずらすも何故か再び私の足先にヤツの足が触れてきまして……
そこから密かな攻防が始まった。
隣をみれば澄ました顔。
奥さんの話に相槌うちながらさも平然としてるときた。
まあ私もそうしてるつもりなのだけど。
一体なんなのよ。
なんだか妙に恥ずかしいというかなんというか。
触れるか触れないかくらいのそれはちょっとクルものが――って私欲求不満なのかしら?
奥さんは本当に私の事を歓迎してくれているらしい。
もっとももう一人の甥っ子である高田に私を紹介したくらいなのだから歓迎もなにもないだろう。
素直に喜んでくれているのだと思う。
小さい頃からよく知ってるし、うちの両親の事だって。
どこの誰だかわからない子よりは安心するのかもしれない。
だけどやっぱり思うのだよね。
こうやって病院を継ぐというのなら、奥さんのように結婚相手は看護士さんや病院業務が出来る人の方がいいのじゃないかと。
どうして、私だったのか。
未だに謎でしかない。
自分で言うのもなんだけど、若くもないし可愛げのない私よりも、もっと他にいたのじゃないのかと。
「そういえばあなたたちどこで知り合ったの?」
一方的な話から急に振られたその言葉。
いつの間に終わった炬燵の中の攻防だったけど、私が咄嗟に言葉が出なかったせいなのかまたコツリと足先が触れた。
俺が話すという合図だったのだろうか。
「よく行ってるショットバーで偶然隣に居合わせたんだよ。なっ」
おっと、危ないその笑顔。
足先だけど体の一部が触れているのも手伝ってか、顔の温度が上昇しそう。
「そうなんですよ、偶然。ねっ」
思わず釣られて笑顔がでてしまう。
きっとお二人からみたらそれはそれは微笑ましい場面だったに違いない。
確かに……嘘ではないけれどね。
思い起こせばちょっと冷静になれるってもんだ。
そうあの時の印象は鼻持ちならない嫌な奴だったんだって。
「それじゃあ、いつしかの休日雅也君を連れてきた時にはもう二人は付き合ってたのね」
本当にもう秘密主義なんだから。
そうと言ってくれたら智になんて会わせなかったのに、と。
奥さんは答えが欲しかった訳ではないようで、一人解決に導きながら回想にふけり始めちゃった。
余計な事は言わないでおくのが正解ね。
うまく切れぬけられたよう。
それにしても、ヤツや私の両親にも聞かれなかったから良かったよ。
ちょっとした打ち合わせも必要だったのかもしれないと思ったり。
奥さん、これ以上突っ込んだ話はやめておくれと心底願う私がいた。
そんな時だった。
けたたましくインターホンが鳴り響いたのは。
今日は土曜で休診日だけど、小川先生の休日は無いに等しい。
現に私だってあの時、雅也のお世話になったのだから。
和やかだった顔が皆一斉に引き締まった。
私以外の3人がすっと立ち上がり、インターホンに奥さん、居間から続いている診療所へと2人同時に踏み出した。
インターフォンの鳴りように、部外者の私だって緊張が伝わってくる。
私だけがのほほんと炬燵にいてはいけないと思うけれど、私が行っても何も出来る事はないし邪魔になるだけだ。
けれど反射的に立ち上がってしまった。
そして、診療所の先に見えたのはぐったりとした男の子を抱きかかえたお母さん。
背中には雅也と同じくらいの女の子。
男の子はいっぱい泣いたのだろう、頬に涙の跡が残っている。
慌てふためくお母さんから、奥さんが妹だろう女の子を背中から抱きかかえる。
ヤツが診療台に寝かせた男の子の頭を撫でながら
「頑張ったな」と声をかけていた。
同時に聴診器を胸に当てお腹を触る。
小川先生は心配そうに我が子を見ている母親から状況を聞き始めた。
凄い連携プレイだった。
熱が高かったようで、奥さんに小川先生が何か指示を仰ぐと奥さんは私とアイコンタクト。
えーっと妹の相手をすればいいのかな?
雅也のおかげで自分の子供がいない私でも覚えたあれの活躍かしら?
ゆっくりと女の子の目線に合わせて屈み、両手をあげると
「キャベツーの中か~ら青虫出たよ、ぴっぴ――」
するとずっと顔を顰めてした女の子が声を上げて笑い出した。
その笑いように、ここはそれほど笑うところか? と首を傾げた。
すると
「おばちゃん、ちがうよーそれはね」
そう言って歌いだした。
「キャベツーの中か~ら青虫出たよ、ぴっぴっ」
そうそれは歌詞こそ同じだけど全く違う音程でして。
ぐったりしていた男の子まで笑い出す始末。
おかげで落ち着いていた咳がまた出始めてしまって。
申し訳ないやら情けないやら。
母親がほほ笑んで? くれたのにはほっとしたけど私は居たたまれず女の子の手を引いて診察室から出てきていた。
「えーっと。お姉ちゃんにもう一回お歌教えてくれる?」
そう、お姉ちゃんを強調してね。
「いいよ。リカがもう一回歌ってあげる」
そう言って再び廊下で響いた歌声。
それはやっぱり私の知ってる歌であって、でも知らない歌であって。
「言っておくけど、私は完璧なコピーですから。あれは甥っ子があれよ、音程が苦手なだけで決して私が音痴って訳じゃないからね」
こんなに必死になって説明すればするほど哀れになってくるってあれよ。
あの男の子は熱が高かったので点滴をして帰っていった。
帰る時は来た時には考えられないくらい顔色も良くなって、3人が笑顔で出ていった時は私まで嬉しくなったり。
そんなこんなで今は2階で中断していた荷ほどきの最中。
「別にそんな必死にならなくてもいいって」
そうは言いながらも肩揺れてますけど。
「だからー」
「だから、俺は別に梨乃が音痴でも構わないって言ってるの」
私の反論する声に被ったその言葉。
んーもうっ、そこが違うんだから。
今度雅也に会わせる時がきたら証明してやるんだから。
ってほんとなんで私もムキになってるのだか……
それにしても、やっぱり医者なんだ。
子どもと向き合うその姿を目の当たりにしてまたちょいとトキメイテしまったのは絶対知られたくないことだったり。
それにしても、なんでこんなに本があるのさ。
ダンボールを動かすだけでも一苦労だよ。
ふいに目に入った部屋の片隅に重ねられたダンボール。
――こっちは開けなくてもいいから――
次の引っ越しのときに開ければいいらしいそれらの箱。
上から2段目の箱には
「アルバム」
の文字。
私はそれが一番興味があるんですけど。
頑丈に張られたガムテープが恨めしい。
後でこっそりなんてできないんだろうなぁ。
まあそう遠くもない日にはお目見えするのだろうけれどね。
一緒に暮らす日がくるんだよね。
その時はその背中に触れる事が日常になるのだろうか。
華奢に見える癖に――――。
あー駄目想像しちゃ。
ふーっ。
いやだいやだよまったくもう。
「芳人、今日二人とも夕飯食べてきなさいよ。久々に腕ふるっちゃうから」
階下から聞こえる奥さんの声。
一応お伺いを立てようとしているのか私の顔を振り返る。
私はコクリと頷いた。
そして、いつしかの言葉を思い出した。
手を止めて階段を駆け降りた、
「ありがとうございます。お言葉に甘えてご馳走になります。あの、それで」
自分でもなんて図々しいと思ったのだけど、知りたかったんだ。
アイツにとっての懐かしい味を。
奥さんは喜んで私の申し出を受け入れてくれた。
炬燵でチキングラタン。
久々すぎて忘れちゃってるわ、なんて言ってたけれど。
フォークで掬ったひと口目、ヤツの顔が綻んだのを見てそれが記憶の味と変わっていないことを確信した。
その日の晩。
送ってもらう道すがら、そっぽを向きながら
「サンキュウ」
と言われた。
言葉が足りなすぎて一瞬なんの事か解らなかったけど、きっとこの言葉は引っ越しの手伝いの事じゃないと思った。
「別にアンタの為じゃなくて、どんな味なのか興味があったからよ」
なんて、またボキャブラリーが貧困な私。
「期待してるからな」
うっ。
そうきたか。
「また作って貰う方がいいんじゃない」
でもそうは言いつつ、しっかり台所に一緒にいた私。
素直になれないのは性格よ。
可愛気のない女だなぁと我ながら思ったり。
しかし、筋肉の衰えが身に沁みる。
最近重たいもの持ってなかったから。
温泉いきたい。
ふとそう思ったのだった。