ご対面
「これもいけるのよ、息子があっ上のお兄ちゃんがね、フランスに行った時のお土産なの」
――されないよ――
私が家族の反対を気にしていた時の電話での返事は確かにコイツの言うとおりだったようで。
「ありがとうございます」
傾けられたボトルの先にワイングラスを差し出している私。
テーブルに並べられた料理の隙間に既に2本目となるボトルの登場と相成った訳でして。
でも決して私一人で飲んでるわけではないのだけど。
さかのぼる事2時間前。
私は今までお邪魔したことのないような豪邸の前にいた。
自分の実家なのだから、当たり前なのだけど、さもあらん事の様に門をくぐりガレージに停められた車。
はい、外国のお車が数台鎮座しています。
これが友人宅で『お宅拝見』だったらどんなにワクワクしただろう。
深いため息が出たのは当り前の生理現象だと思われる。
――ただの家だよ――
そりゃ家でしょうけれどさ。
ただのじゃないでしょ。
私の事などお構いなくずんずん進んでいくやつの背中を見ながら、のそり重たい足を引きずるように玄関前に到着。
一度だけちらり私を振り返り
――ちょっとだけ覚悟してくれ――
なんて。
これはどういう意味でしょう?
身構えた途端に向こう側から開けられた大きな扉。
綺麗というより可愛らしいと表現するような女性が私の顔を見て目を見開いた。
その瞬間。
「いらしゃい。待ってたのよー」
とヤツを素通りして私の手を握ったではないか。
あまりの勢いに頭の中で考えていた挨拶なんてすっ飛んでしまった。
「母さん」
呆れたような声に私の方が背筋を伸ばして、繋がれた両手をそのままに。
「初めまして、仙崎梨乃と申します」
そう言うのがやっとこだった。
「あらら、私ったら。ようこそいらっしゃいました。芳人の母です」
とやわらかな笑み。
レアもののコイツの笑みに良く似たそれは、十分母親でなくお姉さんでも通用するような感じがした。
そして今に至る。
母親とは対照的に、落ち着いた渋い面持ちの父親とワイングラスを揺らしている。
そうまさに隣のコイツの幾年後を見ているようなそんな感じの雰囲気なのだけど――。
小川先生にはあんまり似てないみたいだな。
何でも小川先生は長男なのに実家を継がずに個人病院を開いたのはこの父親の為なのだとか。
と、これは今さっき聞いたばかりの事でして。
お母様――こう呼べばいいのだろうか、それさえも解らないまま話が進む進む。
小川先生夫妻の話で止まってくれたらいいのだけど、お兄さんの話から親戚の話まで。
誰が誰なのか全く解らないよ。
あっ一人あのエロ馬鹿男の名前と顔は一致したっけ。
それというのもコイツがあまり情報をくれないものだから。
つい最近やっと聞けた少ない情報を必死でかき集めても出てくる名前についていけない私。
んー今まで何人に名前が出てきたのだろう?
後で復習しなければ、この次に会った時が恐ろしい。
これ以上親戚がいない事を願うのみだ。
で、肝心のヤツと言えばいつもにも増して無口ときた。
「梨乃さん、芳人といてつまらなくない? 最近とくにつれないのよね。学生の頃はもうちょっと愛想のいい子だったのに。全くこんな無愛想な医者じゃ患者さんいなくなっちゃうんじゃないかしら。お義兄さんに仕込んでもらわないと」
えーっと。
初めは私に話掛けていたのだよね、でも最後は呟きみたいで……
はて、私はなんと答えれば良いのだろう?
真剣に考えているというのに、隣に座るコイツときたら。
「母さん、相変わらずだな」
それは正面に座る父親に向けたもので。
「そう簡単に変わるもんじゃないだろう」
淡々とそう返す父親。
微笑ましい親子の会話だ。
「梨乃も真面目に付き合うと疲れるぞ」
なんて言いだした。
真面目に向き合うに決まってるじゃない。
フォローにもなってないその言葉。
そんな事言ってると
――はい、一緒にいても無口で無愛想でいつしか愛想を尽かしそうです――
って言っちゃうからね。
と思いつつも言えっこないけど。
しかも愛想なんて尽かしそうにないけど。
いっその事、愛想を尽かせたらどんなに楽だろうとも。
モヤっとした頭の中、目の前のグラスを無意識に手にとってしまったり。
「梨乃さん、結構いけるのね」
嬉しそうにボトルを傾けてくれるのはお母さま。
今のやり取りを見ても全く気にしてないみたいで。
「いえ、あまりにも美味しくてすみません」
反射的に謝ってしまうのはそのワインが極上品だと知っているからで。
「もう、すみませんだなんて。このワインも喜んでるわよ、こんな素敵な日に飲んで貰えるなんてね。後でお兄ちゃんにも伝えとかなくちゃ。また買ってきて貰おうっと」
ほんの数時間だけど、少しだけ解った気がする。
物凄くマイペースなんだ。
小川先生の奥さんの話とは随分と印象が違うのは気のせいなのだろうか。
明るい人だとは言われていたけれど――
「本当に澄江お義姉さんの言ってた通りのお嬢さんね。芳人ったらもっと早くに紹介してくれたら良かったのに。あーお式が楽しみだわ」
何の脈絡も無く突然言い出すその言葉。
やっぱりマイペースな人だと思った。
ふと壁を見ると額に入った家族写真。
何年前のものだろうか?
遠目でよく見えないけれど、一番小さな男の子がコイツってことよね。
3兄弟とは聞いていたけれど、お兄さん達はどんな感じなのだろう。
一旦沸きあがった好奇心は時間が経つにつれ膨れ上がってきて。
「見てもいいですか?」
軽く翳した掌の先をみんなの目が追う。
「別にそんなの見なくたって」
隣からの小さな呟きは無視無視。
「そうそう、これ芳人が中学の入学式の時庭先で撮ったのよ。ちょっと微妙な顔してるのはね」
楽しそうに回顧する母親に向かって
「母さんっ」
慌てて止めに入るけれど
「前髪伸びすぎって私がちょっと鋏を入れたらチグハグになっちゃってね。拗ねちゃったのよ」
懐かしいわね。とコイツの焦りをものともせずに言いきってしまった。
近寄ってみてもそんなにちぐはぐには見えないけれど――。
「それでね、主人が直ぐに切りなおしてくれてね。医者だけあって手先が器用なのよ。床屋さんに行くよりも良い感じに仕上がったでしょ? 私がいいとこまで切ったからこうなったのかもしれないけれどね」
お父さまは笑いを堪えるのに必死なご様子。
「だからっていつまでもこの写真飾っておかなくたっていいだろ」
「そうね、芳人の結婚式の写真があがったら交換しようかしら。ね、梨乃さん」
私は、ほほ笑むしか無かった訳でして。
それにしても、良く似てる。
目の前の父親にも似ていると思ったけれど、それ以上だ。
お母さま曰く微妙な顔をしているコイツと二人のお兄さん達。
まるで、コイツの成長を記しているかのよう。
もしかして、性格もソックリ?
想像したら身震いしそうになって、慌ててしまう。
「それにしても残念よね。この子達も梨乃さんに会いたがっていたのよ。でも病院休みにするわけにいかないから仕方ないのだけどね」
会いたがる?
ご両親には反対されてないみたいだけど、もしや難関はお兄さん達だったりして?
変に気を回したくもなるのはやっぱりこの豪邸だからだろうか。
「梨乃さん、これが長男夫婦です、そしてこっちが次男夫婦」
ソファの後ろのサイドボードにあった二組の写真立てを父親が持ってきてくれた。
結婚式の写真だった。
「上の兄貴の和仁と義姉さんの泉さん。こっちが直ぐ上の兄貴で純樹と義姉さんの和佳子さん」
コイツが説明してくれたけれど、私の心の叫びが聞こえてしまうのではないだろうかという衝撃。
二人とも奥さん若くないですか?
それに小さくて可愛らしいんですけれど!
お母さまといい、この家の女の人ってみんな小柄で可愛らしい人ばっかりじゃない。
私が凄く異端児みたいに思えちゃうのだけど。
「みなさんお綺麗ですね」
そのみなさんにはお兄さん達二人も含まれている。
今まで自分の顔を卑屈に思った事は一度も無かったけれど、初めてそんな事を思ったり。
「あら、梨乃さんだって凄く綺麗で可愛いじゃない」
お母さまがそう言ってくれるけれど、これは誰が見たって、ねぇ。
お世辞にしか聞こえないって。
そう思った時、頭に軽い感触が。
「当り前」
放たれた一言。
その言葉の真意は?
「きゃー、お父さん聞いた? 芳人ったらもう」
嬉しそうにはしゃぎだす母親。
父親に至っては目を細めて、大きく頷いてくれて。
逆に居た堪れなくなるのですが……
「そうそう、昨日泉ちゃんと和佳子ちゃんも電話くれてね。二人とも会いたがってけれど、初めて私達と会うからって遠慮しちゃってたのよ。近いうちみんなにも紹介したいから宜しくね」
私は笑って返事が出来ただろうか?
この美形一族の中で食事する自分を想像して恐怖すら感じるのだけど。
避けては通れない道だとは解っているけれど、気おくれしてしまう。
さっきも願ったことだけど、お兄さん達の性格がコイツと似てませんように。
改めてそう願うのだった。