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土曜日の朝

――土曜10時に行くから――


そんないつも通り唐突なメール。

残業たっぷりの仕事を終えてロッカールームで一息ついた時だった。

はいはい、また私の都合なんて無視ですね。

用件も何も書いてない一言メールに返信しようと思ったまさにその時、掌から流れてくる着信音。

自宅からだった。

こんな時間に、滅多に掛かってくることのない電話に身が縮こまる。

どうして? 急用?

瞬時に嫌な予感がはしり、身構えながら携帯を耳にあてた。


「もしもし」

遠慮がちに放った私の声とは正反対に耳をつんざくような母の声。


「あんた、先に言ってくれたらいいのに全くもう気がまわらないんだから」

興奮しているのが目に見えるよう。

一体何を言ってるんだか、見当もつかなかった。


「ごめん、なんの事だかさっぱりわから――」


母さんは私に最後まで話させる気はないのだろう、私が話し終える間もないまま覆いかぶせるかのように呆れ声。

「だから何でそんな呑気なのかしら。土曜日の事よ。お父さんなんてもうテンパちゃって大変よ。仕事がとか出かけなくちゃだとか、もう落ち着きなくておかしいくらい」


もしやこれの事か?

さっきのメールが諸悪の根源なのか。

私より両親に先に了解とるってか?

もうね、これが俺様と言わずなんといいましょうか。

大王さまだね。

こんな感じで結婚生活は上手くいくのだろうか。

私の意見なんて存在しないんだろうな。

電話の向こうで母さんが何やら言っているけれど、携帯を耳から少し遠ざけた。

どうせ緊急の用事でもないからね。


「梨乃ってば聞いてる?」

相槌が遅れた私に母さんが突っ込みをいれてきた。

耳に残った会話の残像を拾い集めて気の無い返事を返すはめに

「だからさ、母さんがお見合いするんじゃないんだから洋服なんてどれでも一緒でしょ。初めて会うわけじゃないんだから。それと、私まだ会社だから、今その話をしなくてもいいよね」


「あーらそれは失礼。でも梨乃ってば毎日遅いから。母さん他にも聞きたい事あるから早く帰ってきて頂戴ね」

何だか軽い嫌味を言われたような気がするのは気のせいでしょうか。

電話を切る直前に大きなため息が出たのはごく自然な流れで。

ため息をつくと幸せが逃げるって誰が言ったんだっけ。

最近の私は幸せ逃げまくりだわ。


土曜日ね――

憂鬱極まりない。

カレンダーから土曜日が消えちゃえばいいのに。

有りっこない事を思ってもその日は来てしまうもので。


休みの日に早起きするのは雅也がいる時の専売特許だったのに。

10時まではまだ4時間もあるというのに、私は母に叩き起こされた。

6時だよ、折角の休日の朝の6時だよ。

訳が解らないよ。

目を覚ましたはいいけれど、何にもする気がおきない。

でも身体こそ動かないけれど、勝手に脳内はあいつのことを考えてしまうときた。

あいつもあいつだよ。

あの唐突な10時に行くメールから、何の音沙汰もないときた。

別にあいつからの連絡を待ってるっていうのじゃないけれど。

ベットに腰かけてぼーっとしていると梨乃ーっという叫び声にも似た大声と同時に部屋のドアが開かれた。


「なんだ、起きてたの。早く着替えちゃいなさいね」

そう言った母の化粧はいつものそれと随分違いますよね。

気合い入りすぎだし。

それも朝6時に。


「私まだ寝てたいんだけど」

無駄な抵抗だと思いながらも一応希望を述べてみる。


「駄目、あんた寝すぎると瞼腫れちゃうんだから。こんな日くらいしゃっきりしときなさい」

こんな日くらいって。

確かに目は腫れぼったくなるけれどさ。

それは確実に母さん譲りでしょう。

また大きなため息が漏れた。

そんな私を見てか母はよっこらしょという年相応の掛け声と共に私のベットを揺らした。

こんな風に母とベットに並んで座ったのは遥か遠い中学生以来だろうか――。

正直面食らった私の顔を母は覗き込んできた。


「もしかして、あんた芳人さんとの結婚に乗り気じゃないの?」

今更ですか?

今頃言っちゃいますか?

きっと先月までの私だったら、素直に頷いていたのかもしれない。

乗り気じゃないわけじゃないんだよ。

答えははっきりしちゃったの。

願う事自体が無謀な答えなのだけど。


「乗り気じゃないわけじゃないんだよ。ただちょっと心配でさ」

そう心配。


「母さんだってお姉ちゃんだってそんな時あったんだから。これぞ世に言うマリッジブルーっていうのかもね」

こんな事言うと変だけど母さんは珍しく母さんみたくて。

「大丈夫、梨乃は絶対幸せになれる。芳人さんみてたら梨乃の事好きオーラがビシバシ出てるもん。結婚したらきっと梨乃大変よ。あれは嫉妬深いタイプね」

なんて。

ぜーんぜん当たってないんですけど。

その当たらなさが尋常じゃなくて、何だかおかしくなってきた。

勝手に笑いが漏れた私の頭に手をやると

「そうそう、その笑み。梨乃のそれは最強武器だよね」

なんて、十代ならいざ知らずこの歳の私に言いますか、それ。


「さてと、父さんを捕獲しておかなくちゃだから、梨乃も早く降りてきなさいね」

座った時と同様例の掛け声で立ちあがった母さん。

母さんってばまるで解ってない。

なさすぎるって。

もう可笑しくて笑いと涙が止まらなかった。

それは一般的に壊れたというものなのかもしれない。


パジャマ変わりのスエットのままリビングに降りると、母さんはあららと呆れ顔をしたけれどまた早いしね。

「父さんおはよう」

それはいつもの光景だったはずなのに、何故か父さんは新聞を広げたまま「おはよ」と一言。


「お父さんってば、今日結婚式じゃないんだからしんみりするのは早いわよ」

キッチンから母さんの声が飛んできた。

何だか人ごとみたいに思っていたけれど、こうやって父さんを見ていると実感がわいてくるというかなんというか。

それにしても何?

凄く良いにおいがするんですけれど。

この香ばしい食欲をソソルのってもしかして。


「スペアリブだってさ」

答えをくれたのは父さんだった。

やっとこ新聞を下げた父さんは

「母さん気合い入って凄いよ、今日のお昼は我が家史上最高だそうだ」

そう笑ってくれた顔が心無か寂しそうにみえて、胸がチクリと傷んだ。


朝食は至ってシンプルだった。

部屋中に蔓延している良い匂いを嗅ぎながら、ご飯に納豆というこれは何かの拷問でしょうか?

「いいのよ、お昼は豪華なんだから朝はこれくらいで。梨乃のドレスのサイズが変わったら困るでしょ?」

なんて。

自分で作ったものを豪華と言う母は最強かもしれない。

実際お料理上手なんだけどね。

それなのに、今まで私は食べるのが専門で作ることに興味が無かったときたもんだ。

こんな事なら母の隣でと今更思っても仕方がないこと。

母のように完璧にはいかないけれど、まあ人並み程度には作れるつもりだからよしとしよう。

でもこのスペアリブだけは教えて貰いたいと思うのだよね。


そうこうしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。

一方的に告げられた時間まであと10分という時チャイムが鳴った。

その時ソファでテレビを見ていた父さんの背中がビクッとなったのを私は見逃さなかった。

そんな父さんとは反対に

「はいはーい」とテンションが高い母さんが廊下をパタパタと駆けていく。

私も思い腰を持ち上げて、そろりと立ちあがった。

足が重たいのなんのって。

私が廊下に出る前に母さんの甲高い声。

「梨乃ー芳人さんいらっしゃったわよ」

解ってるって。

いつしか雅也に教えて貰ったあの呪文を唱えて顔を作った。

そうでないと顔が引きつってしまいそうだったから。

ここで

『久し振り』なんて言ったらどんな顔するんだろう?

なんて変な考えが浮かんだり。

後が怖いから出来っこないけどね。


廊下を出たら当り前だけど、いた。

ピシッとスーツを着こなした眩しいくらいに良い男が。

あんた誰? そう思う満面の笑みを従えて、今日のコイツは最強だと思った。













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