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一日十善

「それはまた急展開というかなんというか」

真美の第一声はそんな言葉で。


久し振りに来た嘗てのさぼり場である外階段の踊り場で昨晩の出来ごとを真美に話した。

今は真美のさぼり場になっているらしいここ。

外の風を浴びながら、こっそりと吸う煙草が良いんだとか。

少しだけ強い風が煙草の煙をあっという間に空気に溶けさせていく。


「相手の本心も聞かず自分の本心も言いだせなかったってわけね」


「その通りでございます」

階段の手すりに凭れて空を見上げたままの私に

「それは惨めになりたくないから?」

一番つっかえているところをズバッというのは真美らしい。

「求めちゃいけない気もするんだよね」

それは私の逃げなんだ。

行きつく先があるならば、冒険をして傷つきたくないという逃げ。


「そんなもんかもね」


「そんなものなのよ」


若い時には理解出来なかった釈然としない答え。

数学のように答えを導きだせるものだと思ってきた。

でも今は?

アイツの言った妥協って言葉がしっくりくるものなのかもしれない。

理想への決別?

虚しいけれどこれが私の現実なのかも。


「梨乃は絶対幸せになれるって」

そう言って根元まで吸いこんだ煙草を携帯灰皿に押し込んだ真美。

何処をどう解釈すればそんな事が言えるか。


「なりたいもんだね」

先に行くね、と鉄の扉を押し開けた真美の背中にそう呟いた。


仕事が楽しくて恋愛なんてもうしなくてもいいかな、なんて思っていたのはそう前ではないはずなのに。

恋愛すっ飛ばして結婚かぁ。

昨日の晩から何度考えても現実味が無い。

それに、アイツと一緒に暮らすって事が想像できないんだ。

初めて行ったアイツの部屋には生活感が全くなくて。

まあ引っ越し準備中なのだからそれも仕方ない事なのかもしれないけれど。

そして今更なんだけど、昨日もアイツの事聞きそびれた。

結婚するっていう事を勢いで決めちゃって、あんまり他の話しを出来なかった。

家族の事とかそれに何処に引っ越すのかとか。

それって私にとったら結構重要な事なんじゃないだろうか?

一緒に暮らすのだろうから、私の意見とか聞くべきだよね。

でもあれか、昨日結論出したのだから引っ越しの場所とかはその時はアイツが決めてもおかしくないのか。


頭の中は考える事がいっぱいで仕事中だっていうのに困りものだ。

さぼりすぎたかも。

部長にでも見つかったら何言われるかたまったもんじゃない。

大きくついたため息は、頭の中身のせいなのか仕事へ戻らなくてはいけないせいなのか。

どちらにしても、ここで切り替えだ。

仕事に私情をはさむのだけは止めなくては。


邪念? を振り払ってデスクに着いたものの、斜め前からの視線が痛い。

きっと盗み見しているつもりなのだろうけれど、そう見られると誰だって気がつくっていうの。

顔を上げる度に逸らされる視線。

私から話を振るのも癪なので知らんふりを決め込んでいるのだけどね。


カタカタとキーボードを叩く音に紛れて、隣の吉川が私に耳打ちしてきた。

「永山の事まだ怒ってるのか? あいつだいぶ反省しているみたいでさ」

半分心配、半分冷やかしといたところだろうか。

こんな時アイツだったら、鼻を鳴らして――って何想像しちゃってるの私ってば。


「別に」

吉川の一瞬引いた顔を見て、その一言を他の解釈されたかななんても思ったのだけど、生憎他人の心配している場合ではなかったりする今の私。

そのうち何事も無かったかのように話し掛けてくるのだろうなぁなんて思っていたのだけど。

デスクの向こう側から数分の間に何度も聞こえてくる深いため息を聞いているうちに、何で私から折れなくちゃなのよと思いつつも思い腰を上げていた。


「永山、カフェオレ宜しく。次に余計な事したらどうなるか解ってるわよね」

強張った顔が次第にほぐれてきて『了解した』と立ち上がると足早にフロアーを抜け出ていった。

吉川と目が合って思わず笑みが零れる。

これじゃお局様全開じゃんね、と。

永山の後を追い廊下に出ると、今一番出くわしたくない人ナンバー1の部長の姿が。

何でか隣に片瀬がいるのはどういう事?

堂々としてるのだから突っ込みようがないのだけど、権力とお金がそれほど好きなのか片瀬?

邪な考えも過る私だけど、いくらなんでも部長とじゃね。

こんな事を考えているとは微塵も出さないように、優雅に腰を折って部長と片瀬をやり過ごしたつもりだったけど。


「仙崎、浮かれて仕事を放るような事ならとっとと花嫁修業に励んだほうがいいんじゃないか?」

なんて。

全くもうちょっとマシな嫌味を言えないものだろうか。


「肝に銘じておきます」

嘘の結婚話の時にはなかった私の余裕かもしれない。

苦虫潰したみたいな顔の片瀬にもにっこり笑える私って大人だわ。

なんて、本当は邪念ばかりで部長の言う通りなのかもしれないけれど。


結婚=退職という構図はこの会社にはないけれどそう思う重役も少なくはないのかもしれない。

特に専務なんかは私と課長の過去なんか知ったら辞めさせたいところだろうな。

綺麗すっぱりお互いに思いは無いとは言っても他の人からみたら解らないからね。


「すみませんでした、調子に乗り過ぎました。まさかそんなに出回るとは思わなくて」

カフェオレを差しだした永山は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。


「どうせあんたの同期の奴らに送ったんだしょ? 恵美香みたいに噂好きには格好の好物だっただろうからね」

大体の予想はついていた。

永山は私の数年下だけど、新人なら兎も角お局組みに足を突っ込み始めた永山の同期達は各所に渡って知り合いがいる。

江川との事も内緒だったお局組みの私には久々過ぎる浮いた話なわけで。

悪気があるとか無いとかそういう次元じゃないのかもしれないけれど、やっぱり気分は良くないわよね。

今となってはその方向性に向かっているけどあの時はそうじゃなかったのだから。


「反省してます。悪い事をしたせいなのか、週末の合コンも流れちゃって。良い事ないんです」

深いため息は私のせいだけじゃなかった訳ね。


「因果応報って奴?」

笑って言った言葉に


「あー今週の目標は一日一善にしようかな」

と呟くもんだから

「一日十善くらいで丁度いいかもね」

と笑い飛ばしてやった。


「蒸し返すようで俺もチャレンジャーだと思うのですが、ホントにあの人が婚約者だったり?」

全くもう、邪念はいらないって吹き飛ばしたっていうのに、好奇心いっぱいの永山を軽く睨めつけ


「ご名答。ってあんた調子に乗り過ぎ。これじゃ済まなくなるからね」

冷め始めたカフェオレを永山に掲げてくるりと背を向けた。


無口な奴だったのに、本当はそうでもないのかしら?

永山って謎だわ。
















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