テンパリすぎだ
何が白馬の王子様に、よ。
と思いつつ勢いできちゃったものの、満員電車の中立っているのが精一杯で何を話せばいいのか整理もつかないまま目的地へ到着してしまった。
取り敢えず電話よね。
アイツが来る前に考えればいいことよ、うん、そうしよう。
改札口を出たエントランスの真ん中で携帯を片手に着信歴からリダイアルすると、すぐ近くでタイミングよく鳴りだす電子音。
その音に釣られるように振り向くと、見慣れぬラフな格好をしたアイツが立っていた。
ふいうちを食らって携帯を耳に宛てたままの私は相当マヌケ顔だったに違いない。
は、反則だよこのギャップは。
惚れた欲目を引いても……なんて思っている場合ではない。
そ、そう私は文句言いに来たのよ。
さっきの言い草はなんなの! って。
「あ、あのさ」
どうしてコイツの前だとこうなっちゃうんだろう。
頭の中で描いた通りに出来なくて嫌になる。
もっとカッコよく啖呵切るはずだったのに。
軽く自己嫌悪が入った私には、目の前の奴の言葉が聞こえなかったみたい。
どうしてか固まってしまった私は後を追う事もせずに立ち止まったまま。
視線だけは送っていた。
そしてほんの数メートル先なのに通勤帰りの人の群れに紛れていく背中。
雑踏の中のはずなのに周りの声は聞こえなくて、歩き出そうとした時に辛うじて見えた奴が振り返り、真直ぐに私の視線を捉えた瞬間にいつもの鼻でフンってアレをやられた。
「こんなとこで話す気か? 俺こんなところですっとこどっこいなんて恥ずかしすぎる大声を聞きたくないんだけど」
ヤツの声が聞こえた途端にまるで絵本の中から飛び出したみたいに周りの喧騒が耳に届いてきた。
「あれは、アンタが」
またそんな言葉しか出ない私。
よっぽど電話で怒鳴った方が正解だったのかも。
「だから行くぞ」
反論する間もなく歩き始めてしまう。
慌てて後ろを追いかけて隣に並んで負けないようにと睨みあげ
「何処に行くのよ」と。
何でまたケンカ越しにと思ったけれど、コイツと対峙するには勢いが必要そうだから。
「俺の部屋」
その一言にまたもや足が止まってしまった。
確かに、あんまり考えずにここまで乗り込んできたのは私だけど。
そんな私の身体がガクンと揺れた。
理由は簡単、私の手首を掴まれて引っ張られてたから。
「話、しに来たんだろ。心配するな襲わないから。まっお前が襲って欲しいっていうのなら考えてもいいけど」
肩を揺らしながら歩くコイツは余裕たっぷりで。
耳が痒いような感覚はきっと私の顔が火照っているから。
掴まれた手首からジンジンするような熱さが広がっているみたい。
手を繋いで歩くのとは程遠いまるで連行されているかのような今の状態。
いろんな恥ずかしさが入り混じって、我にかえった瞬間その手を振りほどいた。
「ちゃんとついて行くから」
顔を背けながら、掴まれていた手首をゆっくりと摩った。
早くこの熱が逃げてくれますように、と。
駅のロータリーを通り過ぎ、繁華街を抜けても私もコイツも一言も発しなかった。
行き先の解らない私は周りを観察する余裕もない。
かと言って下手に言葉を交わすのは得策じゃないと思った。
ふと考える、私とコイツはいつもこんな感じなのだ。
私の方が優位に立ってそうな時でも、いつだってテンパっているのは私の方。
追い詰めているはずが追い詰められているそんな感じ?
考えてみるとちょっと虚しい。
気になる相手に追い詰めるだの、追いつめられるだの、これって恋愛対象の相手に思う事じゃないかもしれない。
始まりが始まりだったせいか、それとも進行形であろうと普通でないからなのだろうか。
それでも、やっぱりコイツが気になる私はマゾなのだろうか?
「お前なんて顔してんだ。一人で歩いてたら変質者だぞ」
また不意打ちを食らった。
歩き始めて数分、初めて開いた口から出た言葉は『変質者』ですか。
っていうか実際そんな変な顔してたのかもしれない。
「すいませんね、変質者顔で」
まるで小学生のケンカみたい。
いい歳した大人の会話じゃない事は確かだ。
でもそんな私の言葉を華麗にスルーされ、立ち止まった先は結構なお値段がするであろうマンションだった。
高級感溢れる大きな自動扉を通り抜けるとこれまた一面に広がるガラスのドア。
ポケットからキーホルダーを取りだし軽く翳すとまるでモーゼの受戒みたいにとは言いすぎだけど大きなドアが開いていく。
私は軽いオノボリさんになったみたいだったけど、顔に出さないようにと素知らぬ顔が出来てますようにと願いながらついていった。
恋愛小説のひとこまに気になる相手とエレベーターで二人きりなんてベタな妄想を抱いてしまい一人勝手に怪しく頬を染め始めた私だったけど、目の前の背中はエレベーターを華麗にスルー。
そう、こやつの部屋は1階だったようなのだ。
ほら、郵便受けでも覗いてくれたら私だって気がついただろうにここまで直行だからさ。
とまたも一人脳内言い訳をしてしまう。
いくらなんでもテンパリすぎだ。
最近の私はテンパってばかりだよ、ほんと。
なんて脳内遊びを一人でしていたものだから、目的地に到着してドアを開いたところを見ていなかったり。
やっぱり変質者みてぇ。
というなんとも不名誉な呟きが聞こえましたとも。
唇を一文字に引きつらせて、すいませんね、変質者顔で。
と目で語ってやった。
さぞかしちらかっているのだろうと想像した私はその部屋に入り違う意味で呆然とした。
ちらかっているというかなんというか。
部屋の中はダンボールで占拠されていて目につくのは空っぽの本棚とパソコンとソファ。
「引っ越しするの?」
ダンボールには引っ越し屋のネームがばっちり入っていて聞かなくてもそれが正解だと物語っているのだけど聞かずにはいられなかった。
「そう、するの。したんじゃない」
言われてなるほどそう言う解釈もあったかと妙に感心してしまう私。
「なんで引っ越し?」
素朴な疑問というものだ。
「病院辞めるから。手当が無くなるのもあるし、ここから通うよりも効率がいいからだ」
すっきりしすぎたキッチンでヤカンを火にかけながらさらりと口にした言葉。
嫌味を言う訳でなくちゃんと会話しているのを不思議に思ったり。
「座れば?」
突っ立ったままの私は言われるがままに腰を下ろした。
何だか拍子抜けしてしまう。
穏やかに話す事に慣れていないせいなのかもしれない。
いつもの私は何処に行ったのだろう。
ソファへと促した本人は冷蔵庫に顔を突っ込んで何かを探しているようだった。
思わず辺りを見回したくなるけれど、見渡す限りのダンボールの山のお陰でこの部屋では変質者にならずに済んだみたい。
仮の婚約者なんて滑稽だ。
私は知らない事ばかりなのだから。
口裏合わせって言っても殆ど私の家に来たアイツが合わせていただけだから。
私が知っているのは名前と勤め先くらいかも。
その勤め先も近いうちに変わるのだけれどね。
本当に小川医院を継ぐのだろうか。
このダンボールを見ても尚本当なのか疑問に思う。
少しだけみた病院でのアイツは患者にも看護師にも慕われていたような気がした。
「先生を必要としている人がいるんです」
あの時の悲痛な声を思い出し、本当に辞めてもいいの? と問いたい私がいた。
本当に問わなければならない事は他にあるというのに。
私がここに来た目的。
本心が聞きたかったから私はここまできたのだから。
進展なくて申し訳ないです。