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偶然と余計なひと言

会長の爆弾発言で一瞬微妙な間が生まれたものの


「いや、残念だったな」

なという会長のぼやきでその話は綺麗に終焉した。

びっくりしたなんてもんじゃない。

安藤物産といえば大手で今はまだ役職についてないとはいえ、経営者一族の――なんて恐ろし過ぎる。

でも、それはあくまでも会長の妄想であって、肝心の宗太が私相手に満足するとも思えず、もし私に婚約話がなかろうと結果は決まっていたというところだろう。


「はいおまち、センマイです」

渋い味を醸し出しているねじり鉢巻きの店主がテーブルに皿を置くと会長は目を細めた。


「ところで先代はどうしていらっしゃるかな?」

店主は会長を見つめ

「今年で17回忌になります」

と言うと壁を見上げた。

そこには今の親父さんに良く似たねじり鉢巻き姿のおじさんがカウンターで笑っている写真。


「それは失礼しました」

会長の言葉に店主と会長が互いに頭を下げ


「これは親父の一番お勧めでしたから。お客さんにまた食べて頂けて親父も喜んでいると思います」

そう言ってカウンターへ戻っていった。

まだ会長が役職に着く前の営業の時に先輩に連れられて通ったらしいこの店。

時が経ち会社を背負うものとして忙しく過ぎて行く日々の中で忘れていた店を偶然通りかかり思いだしたらしい。


「もう一度会いたかったな」

そう呟いた会長は悲しそうに笑った。

食べてみろと勧められ箸を伸ばしたセンマイとやらは、中々噛みきれなくて正直美味しいとは思えなかったり。

でも懐かしい感じはした。

遠い昔に食べた事のあるような。

頭に浮かぶ幼い頃の私。

確か父の行きつけのホルモン屋で食べたような気がしなくもない。

センマイは私の中でノスタルジックな食べ物としてインプットされた。


「ところで、仙崎さんのお相手はどんな人なのですか?」

今まで聞き役に徹していた宗太さんが一番突っ込んで欲しくない話題を振ってきた。

会長は顔をこちらに向け、江川まで箸を止めてこっちを見ているし。


「どんな人かと……そうですね、しいて言えば、決断力のある人だと思います」

本当は俺様男って言いたいけどまさか言えないし。ちょっと強引なこじつけだけど似たようなものね?


「やっぱり女の人って頼りになる人がいいのでしょうね」

きっと褒めてくれているのだろうけれど、果たしてアイツが頼りになるかは疑問だよ。

この結婚自体が間違った方向かもしれないというより今の時点では本決まりの話ではないのだ。


「だったら、江川君の奥さんは幸せなのだろうね。何せわが社は随分と江川君にやり込められたのだから。会社にとったら江川君ほど会社にとって頼りになる存在はないのじゃないかな」

お酒が入っているからか、饒舌になった会長は江川に突っ込みたくてしかたないらしい。

のらりくらりとかわしながらも、答えている江川に笑えてしまう。

ちょっと前だったら考えられなかった。

こうやって会社以外で江川と席を並べる事。

昔の事とはいえ、江川の私生活を聞く事なんて。

今私が冷静どころか穏やかな気持ちで江川の話を聞いていられるのは他でもないアイツの存在なのだと思う。


この数カ月で綺麗さっぱり江川への未練が消えて無くなっていた。

考えるのはアイツの事ばかり、これでいいのか悪いのか。



「宗太さんは何処の部署にいらっしゃるのですか? 営業から外れて数年経ちますので失礼ながら安藤物産さんにはここのとこお伺いしていないのですが、兵頭専務や高木部長には随分とお世話になりました」

江川が放つ何の変哲もない会話だったけど、その後の会話に縁ってあるのだなと怖くなった。


「こいつは3男坊の羽根っ返りで、うちの会社にはいないのだよ」

会長はこの宗太さんにこそ会社を盛り立てて欲しいと願っていたようだが。


「私は大学病院で内科の医師をしています。今日は学会の帰りに拉致されました」

肩を窄めておどけているようだけど、私にはそのフレーズがドシリと胸に落ちてきて。

大学病院なんて数知れず、まさかねと思ったのだけど。


「まあ、身内に医者がいるっていうのも悪くないか、とこの歳になってからようやっと思えてきたんだよ。腕は確かなようだから、江川君も仙崎さんも頼ってやってくれ、なあ宗太」


「はい勿論です。何かあったら困りますがもしもの時には声掛けて下さい。4駅先の中央大学病院にいますから」

平然を装いながら、宜しくお願いしますと頭を下げる私と、口を半開きにした江川。

頼む、頼むからそれ以上口を開いてくれるなと念を送ってみたのだけど――。


「何が宜しくお願いしますだ」

そう言って私の後頭部に軽い衝撃。

だ、か、らー。私の態度を見て察しろっていうの。話したくないオーラ出しているの解らないかな?


「きっと、照れなのでしょうね。まさかこんな偶然があるなんて、いや仙崎のお相手も宗太さんと確か同じ大学病院の医師なんですよ」


言いやがった、言いやがったよコイツ。

この間の専務室から戻った時といい、どうしてこう余計な事を話すかな。

勘弁して欲しいよ全く。


「本当ですか? どなただかお聞きしてもいいですか?」

ほら、宗太さんも食いついてきちゃったし。

お聞きしてもいいですか? なんて言ってるけど駄目ですって言ったら言わなくてもいいのだろうか?

諦めなくてはいけない状況なのだろうか?


「大学病院の先生って大勢いらっしゃるのでしょ。きっと解らないのじゃないのかな?」

ほら察して、言いたくないって気がついて。

返事をするって決めたけど、これ以上おかしなことだけにはなりたくないんだよ。


「何科にいらっしゃるのですか?」

聞く気満々に見えるのは気のせいじゃないよね。


「小児科に」

頼む、知らないと言っておくれ。

そう思った私の願い虚しく


「もしかして、小川?」

半信半疑という感じで紡いだ声は大正解でありまして。

私の顔は見事に引き攣りましたとも。

こういう時は察しの良い宗太さん。


「へえー噂の小川の婚約者さんだったとは。凄い偶然に感謝しなくちゃだ。じいちゃんサンキュウな」

もうね、私泣きが入るかと思いました。

神様がいるならば、明日病院で宗太さんとアイツの遭遇だけは避けてくれと願いたい。


「お知り合いだったのですか、本当に凄い確率ですね」

と江川まで。

会長に至っては


「まだ婚約の段階ならば、うちの宗太にも可能性はあるとちょっぴり思っていたのだが、お前の知り合いならそうもいかんな」

と言い出した。


そんな私の受難は更に続いた。

油断していたとはまさにこのことで、バイブにするのを忘れた私の携帯が鞄の中で音を立てた。

急いで出てきたのもあるけれど、この失態は大きすぎるのじゃないだろうか。

まさか昨日の今日で電話が掛ってくるなんて誰が思うのか。

そう、この着信はまさしくアイツのものでして……。

どうしてここまでしつこいかな。

気がつかないフリをするのも限界がある。

眼の前の会長も隣の江川もそして向かいの宗太までが、私の鞄に視線を促している。


「いいのですか? もしかして噂をすれば何とかで小川だったり?」

宗太の言葉にギョッとしてしまった私は素直なのだと思う。

それにくわえ、宗太さんの嬉しそうな顔と言ったら。


「違いますって」と笑ってみせたものの携帯を一向に取りださない私を訝しそうに見つめる6つの眼。

耐えきれなくて、鞄毎持ち上げて

「すみません、ちょっと失礼します」

と席を立った。

背中に視線をビシバシと感じながら、未だ鳴りやまない携帯を掴むと小走りに店を駆け抜けた。

暖簾をくぐると同時に携帯を耳にあてると


「よお」

と一言。


「よお」

お店の壁に凭れながら、今更ながらに緊張してきた。そうアイツは昨日本気だと言ったのだから。


「会社じゃなさそうだな」

裏路地とはいえ人通りのある路地は静けさとは縁遠い。


「うん、今昔お世話になった取引先の会長と課長と一緒に食事してたとこ。用事だったら後で電話する――」

言葉を言い終わる寸前に私の前に大きな影が出来た。

呆けた私の前で、片手を翳してお辞儀をすると突然やってきた宗太は事もあろうか私の携帯を指さし「婚約者の小川?」

語尾をあげて聞くけれど核心あっての名前だろうに、さらりと発する宗太は私に対して満面の笑みでして。


「仙崎さんちょっと変わってもいい?」

私も耳元で囁くもんだから、携帯にばっちり声が通ってしまったようで。


「誰?」

アイツの声は私を通り越して企んでいそうな笑みの宗太さんにもよーく聞こえましたとも。


「あ、あのね、偶然なんだけどさ」

そこまで言った私の手元に宗太の手が触れてすっと抜かれた。

頼む、宗太さん私に携帯を返しておくれ。

顔の前に手を伸ばしてみるものの手で制されちゃってる私ってどうなのだろう。


「俺だよ俺。安藤だよ。実は今日学会の帰りに祖父に連れてこられた店で仙崎さんと課長さんを呼びだしててさ。お前の婚約者だっていうのにもう驚いてさ、それも聞けよ、じいさん、俺に仙崎さんを結婚相手として紹介しようとしてたんだから笑っちゃうだろ」


「……」

さっきは良く聞こえた声が返ってこなかった。


「はい、もうそこまでで良いでしょ? 返して下さい」

思いの他はっきり出た言葉に圧倒されたのか


「という事だから、また明日な」

言いたい事が言えたせいか満足そうに笑ってすんなり返ってきた携帯。

宗太の背中が暖簾の奥にしっかりと引っ込んでから、小さくため息をついて携帯を耳に宛てた。


「驚いたよ、まさかアンタの同僚があの安藤物産のお孫さんなんて」

おどけて言ったつもりの言葉にも反応が無くて。


「聞こえてる?」

思わずそう聞いてしまった。


「ああ」

と一言発した後、思いもしない言葉が返ってきた。


「あいつだったら白馬の王子様になれるかもな」

一瞬何を言っているのか解らなかった。


白馬の王子? あいつ?

理解をするまで数秒。全く余計な事しやがって。会長の孫じゃなかったらグーでパンチしてやるとこだよ。

ふーっと長めの息を吐いて息を吸いなおした。


「今何処?」

そうちゃんと会って話さないといけない。

こんな電話一つでただでさえややこしい糸をほつれさす訳にはいかなかった。


「家」

コイツは単語で返しやがった。


「だから、家何処?」

仮にも婚約ごっこをして妥協のプロポーズをされた相手だっていうのに、今の今まで家が何処だか解らなかった私も私だよ。


「なんで」

ほら、また単語だよ。あったまきた。


「なんでじゃないわよ、このすっとこどっこい! 会って話をしようとしているの解らないの? さっさと言いなさいよ」

私の放った言葉に通り過ぎゆく人がぎょっとして振り返ってたけどそんなの構わなかった。


「八軒町」

また単語だったけど、ようやっと聞き出せた駅名に安堵した。


「ついたら電話するから、迎えにきなさいよね」

言い終えた私はそのままアイツの返事も待たずに電話を切ってしまった。

勢いというものは恐ろしい。


さて、何と言って先に帰ろうか。

そう考えた私だったけど、店に入った途端に注目を浴びているのに気がついた。

店の奥に座っている会長も江川も笑いを堪える事なく噴き出し始めてるし。

宗太だけは顔を顰めてるのがせめても救いだろうか。


「久し振りに聞いたよ、すっとこどっこいなんて言葉」

江川の言葉に背中が凍った気がした。

もしかしなくても聞こえてましたよね?


「すみませんでした。調子にのってしまって」

深々とお辞儀をされてはもっと恥ずかしい訳でして。

でも、この宗太のお陰で私の行く末が少し定まったような気がしないでもない。


「仙崎さん今日は楽しい時間をありがとう、またご一緒させて欲しいと思うのだがどうかね? 今度は宗太抜きでね」

よっぽど面白かったのだろう会長の目にうっすら涙があるような。


いえもう結構です、とも言えず。

「はい、また美味しいお店教えてください」

美味しいお店だったけど、恥かしすぎてもう二度とこれないだろうこのホルモン焼屋。


「仙崎さんから嬉しい返事を貰ったとこで、ほら早くいかないと待っているのだろ?」

目を細めた会長の言葉で鞄から財布を取り。

先に席を立つ非礼をお許しくださいと数枚のお札を取り出すと


「仙崎さんから取れないよ。早く行っておあげなさい」

一度出したお札を引っ込めるのには勇気がいったけど、江川もここはご馳走になろうと言うものだから、もう一度深くお辞儀をして、店を出た。

目指すは八軒町。

私の運命が動きだす場所へ。

















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