思いだしちゃった?
「ここなの?」
惚れた弱みなのか、今日で最後と自分を奮い立たせたのか、奴に促されるまま車に乗ってついた先には私が思い出したくもない、高田とお見合いもどきをしたホテルだった。
もどきじゃなくてお見合いなのだけど、あれをお見合いだなんて認めたくない私がいるんだ。
あー思い出したら胃がむかむかしてきた。
「お前が飯食いたい気分じゃないっていうから妥協してやったんだろ。なのになんて顔してんだ」
なんて、凄い嫌味なんですけど。
でもお酒の助けを借りるのも有りかもしれない。
意気地と勇気が足りないのだから。
エレベーターが開いた先はあの時の最上階のバーでして。
あの時飾ってあった美女の絵は他の絵と掛けかえられていた。
そんな事を思い出していた私に
「もしかして、思い出しちゃった?」
と耳元で囁かれて、初めなんの事か理解出来なかった私。
でも瞬時に広がるあの時の光景。
まるで瞬間湯沸かし器、顔がボッと火を噴いたように熱くなった。
そんな私の顔をみて満足したらしい。
何も言わずに、自動扉をくぐっていった。
あの日のアンタとの事も抹殺したいもんだよ。
そうすれば、こんな想いはしなくて済んだのに。
そっと自分の頬に手を添えるとまだ、熱くって。
何でこう反応しちゃうのだろう。
私ってそんなにウブなのだろうか。
もしここに誰もいなかったら、きっと自分の頭をポカポカと殴っていたに違いない。
私の馬鹿ーってな具合に。
でも、ふと頭を過る都合の良い解釈。
もしかして、あいつも私の事?
いやいやそんな事あるはずもない。
期待しちゃ駄目だと言い聞かせる。
それが私の為なのだから。
言わずと知れた高級ホテル。
最上階のバーのシャンパンとなればきっと良いものなのに違いない。
それなのに、どうして味わえないのか。
仕方ないのかもしれない、何せこの後私はコイツに……
「何でアンタとシャンパンなんて飲まなくちゃいけないの」
ここにきて毒づいちゃう私って……。
緊張がピークに達してるからなの?
まるでビールのようにシャンパンを口に運んでしまうあたり、大人の女の「お」の字もない。
「嫌いじゃないだろ?」
その言葉はシャンパンに向けての言葉なのに、どうしてか私の想いの先を聞かれているようで身体がビクンと跳ねそうになる。
「嫌いじゃないわよ」
口先に浮かぶ言葉。
そう、私どういう訳だかアンタの事嫌いじゃないのよ。
心の中で言葉をつけ足していた。
「だったら――理由はいらないだろ」
カウンター越しに並んだボトルを愛おしげに見つめて、コイツは何を考えているのだろうと思った。
バイトをしてたというだけあって、高級バーの品ぞろえが気になるのか?
掴みどころがないんだ。
いつだって私はこいつに翻弄されっぱなし。
むかつくはずなのに、ね。
そして、会話が無い。
ただ黙々と喉を鳴らす音だけ。
一体何しにきたのだか。
かといってこのタイミングで告白なんて出来やしない。
「おまたせしました」
そういって蝶ネクタイのボーイさんが運んできたのは良い香りを放つグラタンだった。
「グラタンなんて頼んだの?」
周りを見渡しても誰もこんな食事っぽいの頼んでいる人はいないのに。
「頼んだから来るんだろうが、下のレストランからデリバリーが出来るんだよ。結構旨いんだぜ、ここの」
だから、そういう意味じゃないっつうの。
「何、食べたくなった?」
スプーンを持ち上げて笑うコイツはいつもの意地悪そうな顔じゃなくて。
「結構です」
グラスをクルクルと揺らしてみせた。
細かい泡が弾けて消える。
それにしても、食事のマナーというのだろうか、食べ方が綺麗。
その仕草に見惚れそうになる自分に気がつかれないように、慌ててグラスを口に運ぶ。
「叔母さんがさ」
唐突に紡ぎだした言葉に黙って耳を傾けた。
「小さい頃、さとしと遊びに行くと決まってグラタンを作ってくれたんだ。それが旨くてね。でも叔母さん、ある時を境にグラタンを作らなくなってな。口には出した事ないけど、もう一回食べたいんだよね、あのグラタン」
私の知らない顔だった。
ふと思う、子どもの頃からこんなに綺麗な食べ方をしていたのだろうか、と。
『だったら、作ってって頼んでみればいいのに』
そう言いたいのに言葉が出なかった。
きっと叔母さんに深い意味はないのじゃないのかと思う。
いい歳した大人にグラタンって発想なのかもしれない。
何でだろう、何でそう言えないのだろう。
言葉を発する変わりに、グラスに頼り半分残ったシャンパンを一気に飲み干してしまった。
ほんとに勿体ない飲み方。
と言っても味わえないのだから、そうでもないのかもしれない。
意味不明な言葉が頭の中をくるくると回っているのは、そうとうテンパってると言う事なのかも。
「好きなの頼めば?」
私のグラスが空になったのに気がついたのか、口元にスプーンを運びながら、視線を向けもせずに放たれた言葉。
「何か頼む? 好きなんでしょ?」
反射的に出た言葉はさっきカウンターを愛おしげに眺めていたのを見たからなのかもしれない。
「お前な、俺が何で来てるか知ってる癖に。それとも何か、俺、今晩誘われてたり?」
今の今まで、私に興味なんて無いぞ、オーラを纏っていた癖に、何で突然そんな事言い出す。
確かに、車で来た事を失念していたけど――。
変に意識をしてしまっているせいで、恥かしいやらムカつくやら。
言い返そうとしたところに、鼻を鳴らすいつものあれだよ。
からかわれていた事に気がついて
「すいません、これもう一杯頂けますか?」
斜め向かいでグラスを磨くバーテンダーに声を掛けた。
きっと良い値をするだろう、このシャンパン。
今度こそ味わってやらないと。
当初の目的を忘れた訳じゃないけれど、会話というのにも微妙なこの言葉の応酬が少しでも長く続いて欲しいと願ってしまう私がいる、胸に秘めたこの言葉は別れ際のその時に言えればいい。
気まづくて早く帰らなくてはいけない事態には持って行きたくなかったのに。
「もしかしたら、誘ってるのかもよ」
完全にスルーの会話なはずなのに、ワンテンポずれて発してしまったうえに妙にボケたさっきの問いへの返事。
その私の言葉に、コイツはというとちらりと私を見たきりで、残りすくなったグラタンを掬うだけ。
本気じゃないって言いたいの?
自分から気まづくしている私って本当に何なのだろう。