意気地が無いんだそして勇気も
「おっこれで7回目」
顔をあげると、腕を組んで私を見下ろす吉川がいた。
「7回目?」
何となく頭の端っこで聞こえた数字。
「そっ7回目」
そういって私の真似だろうか、首を項垂れ長い吐息を吐く吉川。
無意識って恐ろしい。俗に言う幸せを逃がしてるってやつなのかも。
「それはそれはご丁寧に」
誤魔化すように、ポケットから飴を取りだして口に放り入れた。
何だってこんな甘ったるい飴を買ってしまったのか。
今の気分は酸っぱい系なのに。
「マリッジブルーですか?」
私達の会話を聞いていたのか、私の長い吐息が聞こえたからなのかパソコンの裏側から普段無口な永山までそんな事を言いだす始末。
「マリッジブルーだったらいいんだけどね」
思わず口に出た呟き。
言った瞬間に口に手を当て、ギョッとしてしまった。
吉川が口に運んだコーヒーの手が一瞬止まったのが視線の端に見えてしまった。
自分で吐いた言葉に居た堪れなくて、慌ててパソコン画面を凝視する。
そんな私を気遣ってか
「何、仕事絡み? 片瀬――はないか、あいつごときに梨乃様がやりこめられるはずもないか。何でも背負いこまないで、俺らに適当に仕事振れば喜んで手伝うからよ」
なんて。
深く突っ込まないでいてくれることが有難すぎる。
そして、自分の不甲斐なさが身に沁みた。
「さんきゅ」
そう言うのが精いっぱいで。
キーボードを指で弾きながら考えるのは、アイツにいつ電話すればいいのかという事。
あれから4日経ったけど、掛ける事が出来なかった。
既に私の着信履歴からはアイツのナンバーは消えかけていて。
笑っちゃうけど、私の携帯履歴にずらりと並ぶのは姉貴の番号だったり。
掛けてくるのは姉貴じゃなくて、雅也なのだけど。
無邪気に「好き」と言える雅也が羨ましい。
私だってそんな歳を通り越してきたのだけどね。
自分で危惧していた通り、日が経つにつれ伝えようと思う気持ちも消沈気味。
意気地が無いんだ、そして勇気も。
何だかな。
「仙崎、檜山産業の資料どうだ?」
会議室から戻ってきた江川だ。
何だか楽しそうな声に聞こえるのは嫌味なのだろうか。
私は首だけ後ろに捻って
「午後一で課長に送信してあります」
とにっこり笑ってみたものの、その顔は微妙だったようで
「何か疲れた顔してるな。そうだ、今夜あたり皆で飯でも食いいくか?」
江川の言葉に何で? って疑問符が浮かぶけれど、周りの同僚は声を上げて浮かれ始める。
「やった、課長の驕りですよね」
とか
「旨いとこ行きたいな」
とか
「酒有りですよね」
とか。
「おいおい、俺を破産させる気かよ。全員分奢ったら俺、嫁さんにしばかれるから勘弁な」
なんて。
物に釣られるなんて、お前ら小学生かよ? その後の仕事の捗る事。
いつもこのくらい仕事すれば、残業時間減るんじゃないの?
きっとみんながそう思ったはず。
一概にもそうなのじゃないけど、クライアントからの電話が鳴らなかったのは奇跡に近い。
絶妙なバッドタイミングで現れる部長の姿が見えなかったのも幸運だった。
そして、内緒にしようと言った訳じゃないけれど、片瀬には誰にもこの事を告げなかった。
あの日から片瀬への振舞いがみな違ってきてる。
みんな大人だから表立ってはいつもどおりにしてるけど、ある一定以上の距離には近づかなくなったような感じ?
片瀬の江川への猫撫で声も極端に減ったというか反対に見る目がきつくなったのだ。
きっと次のターゲットに移ったのだろう。
子どもが出来たと喜ぶ江川に脈無しと諦めたのじゃないかというのが、皆の予想。
私に靡かないわけが無いとでも思っていたのだろう。
プライド高いのも考えもんだ。
けど、若さってその時しか無い武器なのは間違いない。
あれはあれで有りなんだって思う自分もいる。
彼女が理想の相手を見つけられるとは思えないけどね。
「カンパーイ」
一斉に響くグラスの音。
「俺は飯を食いにって言ったはずなんだが」
そんな江川の呟きなんて、全く気にしない今日の面子。
最早諦めの境地で
「明日も仕事なんだから、飲み過ぎるなよ」
の声には反応して、あちらこちらから色良い返事。
「解ってますって」
そう言ったのは、乾杯して直ぐだというのに、もうジョッキの中身が底をついた吉川だった。
解ってないじゃん。そう思ったのは私だけじゃないはず。
この駅近くの居酒屋は私達の課の行きつけだ。
最近はみんなで来る事は無かったけど、吉川や永山達は良く来てると言ってたな。
程良くお酒が回ったところで、ついに来たよ恐れていた事態が。
「仙崎の結婚相手ってどんな奴なん?」
酔った吉川の声は思いの他大きくて、ざわついていたテーブルが一瞬シーンとなった。
だから、来たくなかったんだよ。
こうなる事は解っていたのに
「私、女一人じゃ寂しいから行きましょうよ」
なんて、テーブルの真ん中を占拠してる後輩のマドカに言われたもんだから、来てしまった私。
マドカ一人だって十分寂しくなんてないだろうに。
毎度後悔するこのパターン。
まあ今日は、小煩いおっさん連中がいないから私にお酌当番が回っている訳じゃないんだけど。
それより、こっちの方が難題だったのだ。
「人間だよ、普通の」
普通じゃないかもだけど。
「だから、そんなの解ってますよ。犬と結婚する分けないじゃないですか」
マドカの痛烈なヒット。
一睨みしてみるものの、お酒の入ったマドカは最強だ。
「仙崎先輩の相手って、相当我慢強い人じゃないと務まりまらなさそうですよね」
キャハハと笑うマドカに殺意を感じた。
空気を察しろよとばかりに、周りの奴らはマドカに視線を這わせるけど全くお構い無し。
「だから普通の人だって。ちょっと口数は少ないけど、優しい奴だと――って何で私喋ってんのよー」
怒りに釣られて喋ってるし。
前に座った江川の肩が上下に揺れてた。
あーもう、私って馬鹿。
「ふーん、無口なんだ」
吉川まで、笑いを堪えてるし。
マドカに至っては
「いいですね、愛って感じ。お幸せになって下さいね」
なんて、ニターっとしてる。
だから、私は結婚なんてしないんだって。
そう言いたいけど言えなくて。
「すいませーん。これ冷で」
通りがかった店員さんに一番高い日本酒を指さしてそう注文してしまった。
「うおっ、仙崎が照れてるなんてそうは見られないぞ」
という何処からともなく聞こえた声に
「照れてないから」
というのが精いっぱいだった。
翌日、あの後も調子に乗りまくって私を窮地に追い込んだマドカにお灸を据えようと吉川が詰め寄ったらしい。
――だって先輩ああでも言わないと話してくれなそうだから――
なんてシレっと言われて。
あれはあれでマドカの計算だったと言われ開いた口が塞がらなかった。




