決まりですから。
あいつが勤めているのは、都内にいたら誰でも知っている大学病院。
健康が取り柄の私は勿論来た事ないし、幸いお見舞いにも来たことがないけれど。
大学病院というだけあって、バス停を降りて病院は目の前だというのに、さっきからもう二台も救急車に追い越された。
サイレンが鳴りやむのを聞きながら、全く関係ない人だと解っているけれど、重篤な患者さんじゃありませんようにと願わずにはいられない。
小さな紙袋を胸に抱え、止まりかけた足をゆっくりと進めた。
立ちはだかるようにそびえ立つその白壁。
私にとったら、ここは悪魔の住む城? それとも王子様の待つ……
あー私ってばこの後に及んでなんて妄想を。
正直テンパリ過ぎてイカレてんだと思う。
――いい梨乃、ここにはあいつの言われた通り指輪を返しにきただけよ。顔なんか見ないで受け付けの人にでもこれを渡してとっとと退散すればいいの――
自分に言い聞かせながら、正面入り口の脇ある夜間入り口の灯りの元に。
午後10時を回ったこの時刻、患者さんのいない病院は静寂を保って。
ただ、患者さんを運び終わったばかりのサイレンの止んだ救急車の赤いランプが怪しいまでに光ってみえた。
夜間窓口には、がたいのいい警備員さんが一人、真っ正面を向いていて自動ドアが開いた瞬間からばっちりと目が合った。
軽くお辞儀をすると立ち上がった警備員さんが小窓を開けて
「すみませんが、もう面会時間は過ぎておりまして」
と時計に目をやる。
「あの、面会というか、わたしくし仙崎と申します。こちらにいらっしゃる小川先生にこれを――」
そう言って紙袋を差し出そうとした私に。
「伺ってます、仙崎さんですね。こちらを付けてあちらのエレベータで4階に行ってみて下さい」
関係者と書かれたネームホルダーを渡されてしまった。
「いえ……あの、これを渡して頂きければ私はそれで結構ですので」
一度流れで受け取ってしまったホルダーを紙袋と一緒に差し出すと
「大変申し訳ありません。決まりで先生への預かりものはしてはいけないものになっておりますので」
がたいのいい警備員の柔らかな笑顔は私になんの反論もさせてはくれないとばかりに、それだけ言い終わるとさっきのように椅子に座ってしまう。
「でも、あのー」
こんなところで勇気も何もないけれど、もう一度紙袋を掲げてみたけれど、警備員さんはにっこり笑ってエレベーターがある方に向けた右手で促されてしまった。
仕方なしに、会釈をするとそのエレベーターに向うことに。
大きなため息が出たのは極自然な流れだろう。
こうなったら、その4階のナースステーションで、もう一度トライだ。
そう思った途端に、高田の言葉が蘇ってきて軽い身震い。
敵か? 敵がいるのか?
すぐに開いたエレベーターに乗り込むと
――どうかナースステーションにいる看護師さんが最低限の人数でありますよ――
と呟いていた私。
そんな願いも虚しく、4階のランプが点滅したと同時に開いたドアの先のガラス張りになったナースステーションはとても見通しが良くて。
この看護師さんの人数で入院患者さんの多さが解るような気がする。
夜勤御疲れ様です。
どうか友好的なみなさんでありますように、と出来る限りの笑みを張り付けて、恐らく響くだろうヒールの踵を細心の注意を払って一歩踏み出した。
正面のナースステーションばかりを気にしていた私を突然襲った鈍い光。
真横の廊下から現れた看護師さんに懐中電灯で照らされたという事に気がつくまで数秒。
薄暗い廊下から近づく灯りの先に、真美を彷彿させるような鋭い眼差しを持った看護師さん。
おっと危ない笑顔、笑顔。
ナースステーションからばっちり注目を浴びているのを感じながらも、その看護師さんに身体を向き直した私だけど緊張しているせいなのか何故か直立不動。
ナースシューズのつま先が私の足先でピタッと止まると、先程警備員さんに言った言葉を繰り返した。
まるで、値踏みされるように頭の先からつま先まで視線を動かしたその看護師さん。
「お待ち下さい」
と上がりも下がりもしない一本調子の声を私に掛けると、私にも掛けた声よりも数段冷ややかな声で
「誰か小川先生から聞いてる? 関係者の仙崎さんだって」
と。
一瞬の間があった後、やや後方にいた若い看護師さんが小さく手をあげて
「あの――さっき、小川先生が下に呼ばれた時言われました。お名前までは伺いませんでしたが、何でも婚約者さんがいらっしゃるとの事で……奥の部屋でお待ち頂くようにと」
小さな声だったけど、少し離れた私のところまで聞こえたのだから、皆さんにも十分伝わったようで――。
視線が差すようで目眩がしそうだった。
そりゃ確かにもう二度と会わない人達かもしれないけれど、約束の日まであとちょっとあるけれど、何だっていうのよ。
この場の空気一気に重たくなったみたい。
「いえ、あの。こちらを渡して頂ければ結構ですので」
震えませんようにと出した声は、冷えた廊下に良く響いた。
よっぽど教育が行き届いているのだろう。
「いえ、そういった事は出来ない規則になっていますので」
にっこり張り付けた笑顔だけど、目は笑ってないよね。
お金じゃないよ、お礼じゃないよ。
貴金属だから幾分にはなるだろうけど。
患者さんからの心付けじゃないって解っているだろうに。
婚約者って言ったんでしょ? 何だか癪だけど。
だったら……
こういうのは教育っていうのじゃないよね。
頭が固いっていうのよ。
脳内でいろんな文字が躍ってる私に。
「こちらでお待ち下さい」
そう促されたのは待合室。
パチンという音と共に明るくなった広い部屋。
会いたいという気持ちと会いたくないという気持ち。
椅子に腰かけてしまった時点で複雑な思いのまま待つ事決定。
膝の上に置いた小さな紙袋の存在が少し辛い。
何となく視線も感じて、顔をあげる事も出来ず冷えた部屋で一人、これを渡したら即行帰るのだからと言い聞かせる私がいた。
山吹さん コメントありがとうございます^^ 梨乃を応援してくれてどうもありがとうです! 続き頑張りますね!
みなさんからの沢山の拍手ありがとうございました!
とても嬉しかったです^^
それなのにあまり進んでいなくてすみません!
次早めに更新出来るよう頑張ります!
追記・山吹さん脱字教えてくれてありがとうございます!
教えて貰って良かったです。
拍手での感想ありがとうございます。
後程、活動報告にて拍手のお返事書かせて頂きたいと思います。
活動報告は作者名をクリックすると作者ページに飛びますので、そちらから活動報告のページに行く事が出来ます。
宜しかったら覗いてみて下さい^^